Coming すーん。
2012年8月21日火曜日
「進化論」考。
恐らく「進化論」をテーマにした論考を、たった5~10分程度のタイピングでまとめてしまおうとするのは無謀というより論外かも知れない。いろいろ思うトコ、知識としてまとめておくべきことは多すぎるからだ。でも今の僕には、長文をタイプする時間・余裕がない。
たとえば「ダーウィン」について。「進化論を否定する米国の保守的キリスト教」について。あるいは「ラマルクの進化論」や「遺伝」について、または「ミッシングリンク」「有神論的進化論」「ウイルス進化説」「遺伝子の水平伝播」について。言葉としての「進化と進歩」について。
たとえばカトリック教会では1996年、前ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世が「進化論は仮説以上のもの」としている。さらには「肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたもの」だと述べている。一方、米国・ケンタッキー州には、進化論を否定する創造博物館がある。
僕らはそんな世界に生きている。人類は進化あるいは退化し、「進化論賛成者」と「進化論否定者」を生み出している。進化あるいは退化して、そんな両極端を生み出した。「進化」や「退化」で、人間の、人類の歴史を読み解こうという試み。思考。模索。
実験・研究・思索。人類はさまざまな活動を通じて、「進化論」をもんできた。サルにはできない。サカナにもできない。コオロギにも、「進化論」探究は無理だ。でも人類はそれをしてきたし、今後もしていくだろう。この差は何か。ってことで「進化論」。
「インテリジェント・デザイン(ID)」という考え方がある。「知性ある何かによって、生命や宇宙のシステムが設計された」とする説だ。キリスト教徒には分かりやすい概念。要するに一神教的解決論。1990年代にアメリカの反進化論団体、一部の科学者などが提唱した。
この考え方はカルトや秘密結社にも通じるものがある。宇宙人が人間を創造した、という説もある。設計者が僕らを創造した。そこに「進化」というシステムの設計もなされた、と考えてもよいのだけれど、反進化論者は「ID」をそうは捉えない。捉えたくない。
最後に、Wikipedia先生が「進化理論の発展」を語るところをコピペ。時短あるいは省エネ。「ダーウィンが提案した進化理論の中で、共通祖先からの進化、…省略…、種分化と分岐による生物多様性、適応進化における自然選択の役割は、現在の進化学においても揺るぎのない枠組み」となった。
一方で、「20世紀中盤に進化学に加わった中立説は、分岐系統学に新たな証拠を提供し」た。この中立進化説は「自然選択の働かないランダムな進化過程のメカニズムを明らかにしようとしている」という。これは突然変異と遺伝的浮動が進化の主因であるとする説のこと。
現在、「集団遺伝学、生態学、生物地理学、古生物学などの総合的な分野として発展してきた進化学は、さらに、分子生物学、進化ゲノム学、進化医学など、様々な分野の進展を取り込みながら、確立された科学の一分野として発展」。幅広く、奥深くなっている。
近年は、「発表される様々な報告や機構の提唱などは、基本的にダーウィンの考えた大まかな進化の枠組みを基盤として、さらに発展させる方向に進んでいる」。 しかし、「一部の学者はダーウィニズムやネオダーウィニズムを原理主義であると考えており、科学ではないと言う見解がある」。
以上の抜粋部分が、「現在の“進化論”」。この中で登場した「中立説」は、国立遺伝学研究所の木村資生によって、1960年代後半および1970年代前半に発表されたもの。日本人も「進化論」の進化に、大きく影響を与えている、という一面を見ることができる。
ダーウィンが書いた『種の起源』(1859年)から160年以上経つ。「進化論」はどこまで進化するのか。人類はどこまで進化していっちゃうのか。進化とは退化なのか。思うところは尽きません。
◇おしまい
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