2012年11月28日水曜日
「ゲシュタルト崩壊」について
「ゲシュタルト崩壊」という心理学用語がある。これは実に面白い現象で、誰もが経験したことがあると思う。僕もあった。たとえば、ある漢字一字をずっと眺めていると、その文字が何でその文字なのか、何と読むのか分からなくなってしまう、っちゅーあの経験。
その一例はこんな感じ。哲学の「哲」の字をずっと見る。ずっと見ていると、「折」と「口」に分解されてくる。「折」は「折」で、「扌」と「斤」に分解されてくる。構造がバラバラになってくる。次第にこれまで認知できていたものが認知できなくなってくる。
次第に僕はバカになってしまったのかな、とも思えてくる。そんな自分の脳ミソに疑いを抱いてしまうこの「ゲシュタルト崩壊」が「ゲシュタルト崩壊」ということを、僕は今年になって初めて知った。「えー今まで知らなかったの?」、「うん。。。。」。
ゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字で有名なのが「借」だ。ほかにも「傷」や「今」、「を」「ル」も、ゲシュタルト崩壊を起こしやすいと言われている。一つのまとまった構造から全体性が失われ、個々の構成部分に切り離して認識し直されてしまいがちな文字たち。
全体性への認識が失われてしまうのは、文字だけではない。「幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られるが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる」と、ウィキペディア先生は教えてくれる。聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊?
正直、聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊については、ぱっとその経験を思い浮かばせられないけれど、あるみたい。そんなわけで、これから僕は、五感を研ぎ澄ませ、日常生活におけるゲシュタルト崩壊日誌をつけてみようかな、なんて思ったりもする。
世界の心理学者たちにより、「ゲシュタルト崩壊」についての研究が進んでいる、と思いきや、「発生要因については未解明な部分が多く、…中略…比較的高次な認知情報処理過程によって発生することがわかる程度」と実はあまり解明されていない。
ただ、「静止網膜像のように消失が起きない」ことなどから、感覚器の疲労や順応によってその現象が起きているのではないようだ。人間の心理、人間の認知、人間の脳ミソ……実に興味深い。自分自身の知覚システムすら理解しないで、生活しちゃっている凄み。
ちなみに「ゲシュタルト」はドイツ語で「形態・姿」という、まとまりのある構造を意味するそうだ。心理学の一学派に「ゲシュタルト心理学」もあり、人間の精神は部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置く。20世紀初頭にドイツにて提起された。
ってことで、最後に、“人格崩壊”に至らしめられるとの怖い話しもある「ゲシュタルト崩壊」をもっかい経験してみたい。ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル。
哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学……、ちょっち怖いね。
◇おしまい
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