日本では大阪帝国大学が設立され、米国では「星条旗」が国歌に採用され、ロシアではその後初代ロシア大統領になるエリツィンが生まれたころ。1931年。フランスのサルトルは、高等中学校の哲学科教師になった。けれどそのまま教師生涯を続けたわけではなかった。というのも、ベルリン留学をすることにしたからだ。
ベルリン留学は1933年からの1934年にかけて。サルトルは本場ドイツで「現象学」を学んだ。というのも、「精神現象学」を書いた哲学者ヘーゲル(1770-1831)も、ドイツの人。現象学的解釈で「存在論」を展開したハイデッガーもドイツの人だ。サルトルはベルリンで、フッサール(1859-1938)を師匠とした。このフッサールから、哲学者サルトルが生まれ、ハイデッガーが生まれ、メルロー・ポンティが生まれた。
ちなみにハイデッガーは、「実存主義」に大きな影響を与えていて、もしかしたらサルトルよりも哲学者・思想家としてキーパーソンかも知れない人物と言える。なのでいずれ、あまり質が良くない当ブログ「哲学タイムズ」でも、ハイデッガーは取り上げていきたいと思ったりしている。いつものように、“思うだけ”で終わるかもだけど。
フッサールは、あらゆるものを現象そのもので把握、記述するスタイルでの「世界把握」を開拓していった。つまり先入観よりも、目の前にある現象を感じている直観を重視した。そこに「週刊少年ジャンプ」があったとして、そこに漫画本がある、絶対的に存在するかは分からない。と考えた。そこに絶対的にあるかどうか、ということよりも、その物体や概念を直観したことの絶対性を認めることが大切だとしたのだ。多分。
仮にそういった認識が全てとするならば、現在多くの高齢者を悩ませる認知症や、薬物中毒者の幻覚などを考えると、「ちょっと待った」的な部分、より深遠な哲学的世界が広がりそうだけれど、ここでは「現象学」についてはあまり触れないでおこっかなぁ。サルトルさんのお話です。
そんな「現象学」の権威の学者を、サルトルは師匠とした。フッサールから大いに学び帰国したサルトルは、2005年に世界遺産に登録された街、ル・アーヴルで再び教師になった。今度は大学教師。ル・アーヴルはあのノルマンディーがある街だ。この街で教鞭をとりながら、1938年、サルトルは小説「嘔吐」を出版。一躍有名人となった。
小説「嘔吐」はサルトルの代表作。ル・アーヴルに似た街で、ある絶望した研究者が、吐き気を覚えている。その理由は、彼を取り巻く事物や境遇が、「自我を定義する能力や理性的・精神的な自由を侵している!」との確信してしまったため。そんな小説が、実存主義における聖典の1つとして人気を博した。