2012年9月6日木曜日
「知の巨人」研究・1
「知の巨人」と呼ばれる人たちについて思い巡らせてみる。「知の巨人」、誰が最初にこの言葉を見つけ、使用したのかは知らないけれど、いいネーミングだと思う。英語にすると、The giant of knowledgeでThe giant of wisdomではないと思っている。あくまでも「知恵者」でなく「知識人」の分類だ、僕の定義では。
じゃあ誰のことを「知の巨人」って人々、あるいはメディアは呼んでいるのか。ネット検索でどんな人が「知の巨人」でヒットするのかを見てみると、「吉本隆明」「ドラッカー」「南方熊楠」「立花隆」「ジャック・アタリ」「梅棹忠夫」「山口昌男」といった面々が検索にかかってくる。
他には「渡部昇一」「加藤周一」「松岡正剛」「鶴見俊輔」といった人たち、「レム・コールハース」「小室直樹」「大江健三郎」「江藤淳」「小林秀雄」「佐藤優」といった人たちが、ネット検索界では「知の巨人」と“タグ付け”されている。それはどうかなな評価もあるけれど、ネット検索界の事実でもある。
僕が「知の巨人」で最初に頭に浮かぶのは、やはり立花隆。彼の頭脳は、百科事典図書館みたいだ。その性格には難がありそうだけれども、僕は彼の著書を相当読んできたのは、その“百科事典図書館”の知的レベルに追いつきたいと思ったから。その高い教養レベル、知的探求心は、何も知らない僕の眼を開かせてくれている。
もちろん批判する人も数多い。 『立花隆の無知蒙昧を衝く―遺伝子問題から宇宙論まで』という本も出版されている。アマゾンの同書紹介では「立花が知の最前線の現状をひとりよがりに解釈し、御都合主義的な論戦を展開し、読者にとんでもない誤解のタネを植え付けていると断言する」とある。
まあ「知の巨人」にはありがちなことだろうと思う。恐らく「知の巨人」たちは「無知の知」を知っているからこそ、知識に貪欲になれるし、知識を膨大に蓄え、醸造させていく。知識を持つがゆえにそれら膨大な知を吐き出したくなる。だから物を書くし、講演をする。で、「庶民」から「すげー知識!」と称賛される。
「無知」の知者だけれども、ある程度自分の「有知」も知っている「知の巨人」たち。だから「現状をひとりよがりに解釈する」と無知蒙昧を衝かれることもある。あえて“啓蒙”=「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」という言葉を使えば、多くの啓蒙家たちは自らが光と自認しているはずで、その輝き次第では、ほころびが出る。
かつてヨーロッパでは「啓蒙時代」と歴史家に名付けられた時代があった。啓蒙思想が主流となった、17世紀後半から18世紀にあたる。では「啓蒙思想とは」となるけれど、これは「聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動」(byフリー百科事典)のこと。
この時代に活躍した思想家は、スコットランドの「ジョン・ロック」、「デイヴィッド・ヒューム」、フランスの「ヴォルテール」、「ドニ・ディドロ」、「モンテスキュー」、「ジャン=ジャック・ルソー」、ドイツの「ヴィンケルマン」など。この潮流はスイスやドイツにも及び、「レッシング」や「モーゼス・メンデルスゾーン」らもこの流れになる。
この啓蒙思想家たちも立派な「知の巨人」たちと言えるかも知れないが、「思想家」と「知の巨人」は分けたい気がする。知がなければ思想はできないし、「思想家」を自称するなら知識豊富でなければならないとも思う。ただ少なくとも僕は「立花隆」を「思想家」とは見ていない。めっちゃ考えている人だろうけれど。
誰が言ったか「知の巨人」。その博覧強記ぶりは、著書などから知ることができるし、僕のように「知の小人」にとってはありがたい存在です。けれど決まってその文章は、やや読みにくい。これも「知の小人」ゆえに感じることなのかもなぁ。というわけで、「知の巨人」たちの「知」について、ちょこちょこ調べてまとめていきます。
ちなみに立花隆(1940ー)ネタ。茨城・水戸一高、東京・上野高校を経て東京大学文科二類。1964年に仏文科を卒業後、文藝春秋に入社。67年に東大哲学科に学士入学、これは中退した。74年、 『文藝春秋』で発表した「田中角栄研究~その金脈と人脈」が、田中退陣のきっかけとなったのは有名だ。
政治と金問題から脳死問題、生命科学について、などなど。『立花隆・100億年の旅』『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』……。その著書は実に幅広い。ちなみに宇宙飛行士の野口聡一さんは、高3のときに『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士になる決心をしたらしいです。
◇おしまい
2012年9月4日火曜日
【気象考(7)】「法令」編
気象予報士になるための試験では、「予報業務に関連する法令」の学科試験も盛り込まれている。そう、僕が嫌いな「法令」。一つ一つ覚えるのが大変というのもあるけれど、どうも“決まりごと”が苦手な僕には「法律や法令、法規を学ぶ」という行為ができない性格のようだ。
僕が「法令」や「ルール」が嫌いなのは、恐らく99%の確率で「僕の知らないオッチャンたちが、勝手に決めたルール」の一つだからかも知れない。とはいえ僕は、その時その時、必要なルールは勉強はした。たとえば自動車免許取得のための「道路交通法」や、教職採用試験のための「教育法規」になるけれど。
で、「予報業務に関連する法令」も、気象予報士試験のためのもの。この法令を分解すると、「気象業務法」や「災害対策基本法」「水防法」「災害対策に関連消防法」がある。試験では学科試験(5者択一のマーク試験、一般知識・専門知識各15問)の「予報に関する一般知識」の中で4~5問、出題されているようだ。
まずは基本のキ、の「気象業務法」。この法律は、“気象業務の健全な発達”を図り、「災害の予防」、「交通の安全の確保」、「産業の興隆等公共の福祉の増進」に寄与するためにある。とオッチャンの誰かが決めた。また「気象業務に関する国際的協力を行うことを目的とする」。
予報は全て「自然科学的方法による観測の成果」に基づくことが定められている。つまり「自然科学的知見を駆使して気象、地象及び水象を予想し発表すること」。ここには迷信や宗教、祈りが入り込余地はない。「天の神」は「天」の予報・予定から離れる。法的に。
気象予報を行うのは、基本「気象庁」。その役所以外の者が予報業務を行う場合には、「予報業務の目的期及び範囲を定めた気象庁長官の許可が必要」となっている。つまりデータをばっちり収集できても、勝手に予報はしてはいけない。天気予報は、それだけ重要かつ生活・生命に関わるものなのだ。
では「気象予報士」は法的にどんな位置づけか。と言うと、「予報業務許可事業者」なくてはならない一方で、「予報業務許可事業者」の業務のうち現象の予想以外、例えば「天気予報の解説」、「事業者の経営」などについては気象予報士である必要はない。医師の診断・病院経営と似たところはある。
「気象予報士」になるためには、「気象予報士試験」に合格し、気象庁長官の行う登録を受けなければならない。そして予報士試験に合格した者は、予報士となる資格を有しているだけ、な扱い。実際に予報士として活動するためには、面倒なことにも気象庁長官の登録を受けなければならない。予報業務許可も必要だ。
「警報及び注意報」に関しては、こんな。「気象庁以外の者は、気象、津波、高潮、波浪及び洪水の警報を行ってはならない」。しかし緊急時は別で、「津波に関する警報を適時に受けることができない地の市町村長は、例外として津波警報を行なうことができる」。加えて「水防法の規定による水防活動の利用に適合する警報」も例外。
「災害が発生するおそれがある異常な現象を発見したものは、遅滞なく、その旨を市町村長又は警察官若しくは海上保安官に通報しなければならない」とする「災害対策基本法」や、「水防法」や「消防法」などなど。これらがこの業界のルールであり、基本マニュアルになる。
もちろん“決まりごと”には、面倒な文章とは異なるものもある。誘導単位の「N」(力)を「ニュートン」と読むとか。その「ニュートン」については「質量1kgの物体に対して1ms-2の加速度を与えるために必要な力」とすること。よって、「N=kgms-2」とすること、とか。
さらには「重力によって生じる加速度はg=9.8ms-2であるため、1kgの物体に働く重力は9.8N」、よって「1kg重=9.8N」となるとするとか。科学めくと、急速にチンプンカンプンですね。うん。他にも、1m2あたりに働くN単位での力は「Pa(パスカル;圧力)」とする、とかもあります。天気予報業界、恐るべし。
◇おしまい
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