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2013年3月14日木曜日

「知の巨人」研究・3

また一人、僕ら人類は、「知の巨人」を失った。文化人類学者の山口昌男が、先日逝去した。「スポニチ」では、こう報じている。「フィールドワークに基づく独自の文化理論で知られる文化人類学者で元札幌大学長の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳。北海道出身」。

「知の巨人」研究の第3弾は、彼を偲び、敬称略で山口昌男。スポニチはこう経歴をまとめている。「1955年に東大国史学科を卒業後、麻布中教諭を経て、東京都立大(現首都大学東京)大学院で人類学を学んだ」。「65年から東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所を拠点に、アフリカやインドネシアなどの現地調査を続けた」。

アフリカやアジアなどでのフィールドワークでは何をしていたか。というと、「両性具有(インターセックス)」や「トリックスター」をテーマとした研究。トリックスター とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと(by Wikipedia)。その成果は『中心と周縁の理論』で発表した。

スポニチ記事を続けると、山口昌男は「構造主義や記号論を日本に紹介したほか、現地調査を基に社会秩序の生成過程を解明した『中心と周縁理論』、道化の役割に注目した『トリックスター論』などで70年代から80年代の文化状況をリード」。「歴史から政治、芸術までを横断する圧倒的スケールの知の巨人として」、同時代に大きな影響を与えた。

この「圧倒的スケールの知の巨人」という表現、最大限かつ最高峰の褒め言葉だ。実にうらやましい頭脳・行動力があった。「90年代以降は福島県の廃校からの文化発信活動や、99年に学長に就いた札幌大で独自の大学運営を展開するなど、既成の枠にとらわれない自由な発想で行動した」。つまり、学問領域の枠を超え、日本の思想・文化をけん引した。

「東京外語大名誉教授。アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大教授のほか、ナイジェリア、メキシコなど海外の大学でも講じた。酒場や見せ物といった“祝祭的”な現場を愛する行動派の知識人で、自ら漫画も描き、フルートやテニスを楽しんだ」。他紙の報道と比べ、スポニチ記事が一番まとまっているし分かりやすい。から借用してみた。

2011年、文化功労者。著書に『アフリカの神話的世界』『知の遠近法』『歴史・祝祭・神話』『文化と両義性』など。96年『「敗者」の精神史』で大佛次郎賞受賞。残念ながら僕は『知の遠近法 』(岩波現代文庫)にしか触れたことがない。というわけで、今回の訃報を、僕は「圧倒的スケールの知の巨人」の著書に触れていくきっかけとしていきたい。

◇合掌


2012年9月20日木曜日

「知の巨人」研究・2


『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 』(文藝別冊)というムック本がある。アマゾンでは「民族学・文明学に新たな視野を拓いた知の巨人。著作集未収録原稿ほか、幻の『世界の歴史 人類の未来』目次を紹介」と紹介されている。「知的生産の現場・梅棹研究室をイラストで再現。梅棹忠夫論、対談も多数」ともある。

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」では、もちろん梅棹忠夫の著書が並び、『知的生産の技術』(岩波新書)、『情報の文明学』(中公文庫)、『文明の生態史観』 (中公文庫)など。僕はいずれも読んだことはないけれど、『日本文明77の鍵』 (文春新書)や『梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明』含め読んでみたいものばかり。

「知の巨人」研究・第二回目は、生態学者、民族学者の梅棹忠夫(1920- 2010)について。梅棹忠夫について、と言っても、今記した通り、僕は彼の著書は読んでいない。であるからして、そのぉ、あのぉ、すでに彼についてまとめた記事を僕がまとめていく作業。知の巨人をまとめてくれた巨人の肩に、僕は乗っかるわけなのであります。

「うめさお ただお」。その肩書きには、「国立民族学博物館名誉教授」、「総合研究大学院大学名誉教授」、「京都大学名誉教授」や「理学博士」などがありました。例の参考資料によれば、「日本における文化人類学のパイオニア」であり、「梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開」しておりました。

よって多方面に多くの影響を与えた「知の巨人」。京都帝国大学時代は、日本の霊長類研究の創始者として知られる今西錦司に学ぶ。「生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す」。代表作『文明の生態史観』。

ちなみに「生態学」とは、「生物の生活や行動、環境との相互作用などについて研究する学問。エコロジー(ecology)」と、「はてなキーワード 」では解説。古代ギリシャのアリストテレスによる動物に関する研究や、植物学の祖とも呼ばれるテオプラストスの植物、植物群落についての研究も、生態学の歴史の一端とされる。

梅棹忠夫は、「数理生態学の先駆者」でもある。オタマジャクシの群れ形成の数理を研究した。さらに、宗教のウィルス説という、とてもユニークな論を唱えた。ウィルスによる病が宗教だ、というわけでなく、思想や概念の伝播、精神形成について、ウィルスの広がりと重ねた。宗教ウイルス説。

宗教を伝染病にたとえた斬新な「宗教ウイルス説」は、「文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである」と、例の参考資料は記す。さすが「文明学者」と呼ばれるだけある。

経歴は「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分」とされる箇所をまとめます。大日本帝国が国際連盟へ正式加入した1920年、梅棹忠夫は京都市に長男として誕生。1936年、京都一中(現・京都府立洛北高等学校)から4年修了(飛び級)で第三高等学校に入学した。

「京都一中」は、1870年に創立された、日本最古の旧制中学校。戦前から戦後にかけて京都大学へ多数の進学者を送り出していた。「第三高等学校」は、京都にあった旧制高校で、略称は「三高」、現在の京都大学の前身の一つになる。名門校からしかも飛び級で、名門校へ進んだ。

頭は抜群に良い。けれど「三高時代から山岳部の活動に熱中して学業を放棄」した。それゆえ「2年連続で留年して退学処分を受け」た。僕はこういう人が好きだ。結局「後輩や同級生からの嘆願運動で復学を認められる」。で、京都帝国大学理学部動物学科に進んだ。

在学中には今西錦司を団長とする中国北部「大興安嶺探検隊」などに参加。「モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした」。

フィールドワークや京大人文研での経験から1969年に著した『知的生産の技術』はベストセラー。同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。というより、実は梅棹がデザインした特注が、普及したものが「京大式カード」となったようだ。

1963年という時期に『情報産業論』を発表、情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉は梅棹が名づけた。「その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』にまとめられている」。また国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。

1986年に原因不明の失明、以降の著述は口述筆記で行われた。これは闘病記『夜はまだあけぬか』(講談社文庫)に詳しいようだ。僕が尊敬する“先生”、司馬遼太郎とは、モンゴル研究のつながりで長年の友人であった。編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』もある。

「日本語のローマ字化推進論」を唱えた。「漢字廃止論」を唱えた。「エスペラント推進論」を唱えた。ベホイミを唱えた。とにかく「世界エスペラント協会」の名誉委員になった。宗教観については、自身は無宗教であるとしている。ザオリクは唱えなかった。2010年7月3日、大阪府吹田市の自宅で老衰により、90歳没。

偉大なる知の巨人・梅棹忠夫。読書の秋の10月、僕はなんかしらの著書を読もうと思う。優秀な頭脳を持つ探検家、斬新な視点を提供する哲学者でもあっただろう。途中失明しても、「知」を発信し続けた。彼が「知の巨人」と認定されているのも分かる気がしました。

◇おしまい


2012年9月6日木曜日

「知の巨人」研究・1


「知の巨人」と呼ばれる人たちについて思い巡らせてみる。「知の巨人」、誰が最初にこの言葉を見つけ、使用したのかは知らないけれど、いいネーミングだと思う。英語にすると、The giant of knowledgeでThe giant of wisdomではないと思っている。あくまでも「知恵者」でなく「知識人」の分類だ、僕の定義では。

じゃあ誰のことを「知の巨人」って人々、あるいはメディアは呼んでいるのか。ネット検索でどんな人が「知の巨人」でヒットするのかを見てみると、「吉本隆明」「ドラッカー」「南方熊楠」「立花隆」「ジャック・アタリ」「梅棹忠夫」「山口昌男」といった面々が検索にかかってくる。

他には「渡部昇一」「加藤周一」「松岡正剛」「鶴見俊輔」といった人たち、「レム・コールハース」「小室直樹」「大江健三郎」「江藤淳」「小林秀雄」「佐藤優」といった人たちが、ネット検索界では「知の巨人」と“タグ付け”されている。それはどうかなな評価もあるけれど、ネット検索界の事実でもある。

僕が「知の巨人」で最初に頭に浮かぶのは、やはり立花隆。彼の頭脳は、百科事典図書館みたいだ。その性格には難がありそうだけれども、僕は彼の著書を相当読んできたのは、その“百科事典図書館”の知的レベルに追いつきたいと思ったから。その高い教養レベル、知的探求心は、何も知らない僕の眼を開かせてくれている。

もちろん批判する人も数多い。 『立花隆の無知蒙昧を衝く―遺伝子問題から宇宙論まで』という本も出版されている。アマゾンの同書紹介では「立花が知の最前線の現状をひとりよがりに解釈し、御都合主義的な論戦を展開し、読者にとんでもない誤解のタネを植え付けていると断言する」とある。

まあ「知の巨人」にはありがちなことだろうと思う。恐らく「知の巨人」たちは「無知の知」を知っているからこそ、知識に貪欲になれるし、知識を膨大に蓄え、醸造させていく。知識を持つがゆえにそれら膨大な知を吐き出したくなる。だから物を書くし、講演をする。で、「庶民」から「すげー知識!」と称賛される。

「無知」の知者だけれども、ある程度自分の「有知」も知っている「知の巨人」たち。だから「現状をひとりよがりに解釈する」と無知蒙昧を衝かれることもある。あえて“啓蒙”=「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」という言葉を使えば、多くの啓蒙家たちは自らが光と自認しているはずで、その輝き次第では、ほころびが出る。

かつてヨーロッパでは「啓蒙時代」と歴史家に名付けられた時代があった。啓蒙思想が主流となった、17世紀後半から18世紀にあたる。では「啓蒙思想とは」となるけれど、これは「聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動」(byフリー百科事典)のこと。

この時代に活躍した思想家は、スコットランドの「ジョン・ロック」、「デイヴィッド・ヒューム」、フランスの「ヴォルテール」、「ドニ・ディドロ」、「モンテスキュー」、「ジャン=ジャック・ルソー」、ドイツの「ヴィンケルマン」など。この潮流はスイスやドイツにも及び、「レッシング」や「モーゼス・メンデルスゾーン」らもこの流れになる。

この啓蒙思想家たちも立派な「知の巨人」たちと言えるかも知れないが、「思想家」と「知の巨人」は分けたい気がする。知がなければ思想はできないし、「思想家」を自称するなら知識豊富でなければならないとも思う。ただ少なくとも僕は「立花隆」を「思想家」とは見ていない。めっちゃ考えている人だろうけれど。

誰が言ったか「知の巨人」。その博覧強記ぶりは、著書などから知ることができるし、僕のように「知の小人」にとってはありがたい存在です。けれど決まってその文章は、やや読みにくい。これも「知の小人」ゆえに感じることなのかもなぁ。というわけで、「知の巨人」たちの「知」について、ちょこちょこ調べてまとめていきます。

ちなみに立花隆(1940ー)ネタ。茨城・水戸一高、東京・上野高校を経て東京大学文科二類。1964年に仏文科を卒業後、文藝春秋に入社。67年に東大哲学科に学士入学、これは中退した。74年、 『文藝春秋』で発表した「田中角栄研究~その金脈と人脈」が、田中退陣のきっかけとなったのは有名だ。

政治と金問題から脳死問題、生命科学について、などなど。『立花隆・100億年の旅』『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』……。その著書は実に幅広い。ちなみに宇宙飛行士の野口聡一さんは、高3のときに『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士になる決心をしたらしいです。

◇おしまい