2012年6月8日金曜日

東京「マサイ族」考。

なぜ今、ここで「マサイ族」に関心を持つのかは、さて置く。ただ、ふと僕らは、あの「マサイ族」から学ぶべきことがあるのではないか、と思ったのだ。あくまでも“ふと”だけれど。

たとえ「マサイ族」が、現地ではしたたかに、観光客向けに衣装を着て、嫌々ジャンプし続けていたとしても。あるいは割りとスマホを駆使していたとしてもだ。僕らは時々、ケニアのマサイ族について思い起こす瞬間が、年に一回はあっていい。

僕にとってのその第一回目が、今日になる。晴れた東京の午後3時過ぎ、優しい風を受けながら僕は、遥か遠くの地、ケニアの戦士について思いを馳せる。そして温くなったアイスコーヒーを喉に通す。

東アフリカのケニア。人口約4000万人で、「キユク族」など部族は多数あり、「マサイ族」は“少数民族”になる。ただ、以前は民族間の境界はなかった。つまり同族だったのが、ケニアを植民地としていた英国人に便宜的に区分され、「マサイ族」が造られた。

ちなみにケニアが英国の保護領となったのは1902年。その前からはドイツからも侵入を受けていた。その前にはアラブ人が侵入。その前の15世紀末は、ヴァスコ・ダ・ガマの来航をきっかけに、ポルトガル人にも侵入されてきた。

15世紀初頭には、中国・明の鄭和の艦隊の一部が、ケニアに到達している。などを考え、さらに「スワヒリ文明」などを考えると、ケニアは実に昔から、グローバル化の波にさらされていたと言える。そして“グローバル化”促進を象徴するアメリカの、現大統領のオバマさんは、このケニアの血を引いている。つまり今度はケニアが出発地点となった。

以上のような分かったようで分かりにくい背景を持つケニアに、「マサイ族」はいる。ケニア南部から、タンザニア北部一帯の先住民族で、「マサイ」とは「マー語を話す人」の意味があるという。推定人口20ー30万人。

遊牧民だったマサイ族は、「非常に勇敢でプライドが高く、草原の貴族と呼ばれる」と、wikipedia先生は教えてくれる。そんな彼らが信仰するのは、アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ山頂上に座する「エン=カイ」という神という。

伝統的住居は、牛糞と泥をこねて作った掘っ立て小屋。集落「ボマ」は、この住居を円状に配置し、外側を木の柵で囲うのスタイルが伝統的。日暮れ時には、放牧する牛などの家畜を、猛獣などから守るために集落内に連れ戻す。

「牛」は通貨ともなり、牛を持たない男は、一生結婚はできない。逆に牛持ちはモテる。一夫多妻も可能だ。また男には「戦いのみが男の仕事」という伝統的価値観がある。だから武器以外の道具を持ち運ぶことすら恥とする。

だからマサイの男は、本来は猛獣退治や牛の放牧以外の労働はしない。他の仕事は女の仕事だ。けれど男は、守るべきときに守るべきものを命を懸けて戦った。時に実際、命を落とした。

伝統的な主食は牛乳と牛の生血。政治的には村ごとにいる長老が物事を決定する原始的な長老制。マサイ族の男は、生涯に一度は戦士階級「モラン」になる。伝統的な色は赤。男には、大人になる通過儀式として割礼がある。女も、性器に切り痕を入れる。「マサイ族」はそういう部族だった。

しかし列強による植民政策のあおりを受け、マサイ族の土地は、強制的に奪われてきた歴史がある。そして現在は、遊牧エリアとしていた多くは「動物保護区」や「国立公園」などに指定。以前のように遊牧生活は“違法行為”となってしまった。

さらには現在、ケニア・タンザニアの両政府により「定住化政策」が進行中。それゆえかつての伝統的生活スタイルは、着実に時とともに破壊されてきた。そんなわけで、「戦士」たちは農耕や観光ガイドなどをしなければ、生きて行けなくなっているのが現状だ。

「マサイ族」の観光ビジネス傘下化は、こうした事情がある。だから「観光客が来たら急いで服を着替え、槍を持つマサイ族」は、決して笑えない悲劇、哀しい物語なのだ。よく日本のテレビでは茶化しているけれど。

僕らはいろんな意味を受け取ることができる、マサイ族から、いろんな意味を読み取ったりする。歴史から、文化から。受け取り方はそれぞれあっていい。植民地政策や経済的な問題とかも含めて。けれど遠く離れたマサイ族も、僕と同じ現在を生きるホモ・サピエンス。知恵と勇気を武器にする。

果たして僕は、男として世界に通用するのだろうか。そんなことも考える。果たして僕は、人類規模の視点で世の中を考察できているのだろうか。そんなことも考える。僕は「戦士」として生きているだろうか、「戦士」として生きていきたい、そんなことも考える。

なぜ今、ここで「マサイ族」に関心を持つのかは、さて置く。ただ、ふと僕らは、あの「マサイ族」から学ぶべきことがあるのではないか、と思ったのだ。あくまでも“ふと”だけれど。


◇おしまい




「分析哲学」考。



「つまり、これはこういう理論だ!」と、一括りにはできないらしい「分析哲学」。どうとでも取れる思考法、世界把握とも言え、強引に「分析哲学」という言葉に押し込めた感が漂ってもいる。だからドラゴンボール的にたとえると、炊飯器に強敵を封じ込める必殺技「魔封波」的な。

そんな「分析哲学」について、ちょっくら整理してみる。なぜ整理してみているかは、うまく説明できないけれど、一度は脳ミソ内で「分析哲学」的知識をクルクル循環させておいた方が良いと思ったからだ。教養として、または新たな発見として。

まあ僕による僕のための“まとめ”である以上、大それた「分析哲学」考になるわけもなく、そこら辺にある素材をメモしてみる、という程度になる。というやや長めの前置きになりました。前置きの割にはとても短めの、僕的「分析哲学」整理。

まずは朝日新聞出版の「知恵蔵」による解説を、適当に端折ってみる。と、「分析哲学」は、「主に英米圏で広まり、現象学、実存の哲学、構造主義と並び、20世紀の大きな哲学潮流の1つ」。ふむふむ。

分析哲学は、「認識主観や個人の生、文化や社会のあり方よりも、思考の営みの根幹である人間の言語そのものに注目する」。なるほどなるほど。そしてその展開は、「ケンブリッジで20世紀初頭に現れたラッセルらの哲学から始まる」という。

英国貴族のバートランド・ラッセル(1872ー1970)は、1950年にノーベル文学賞受賞した論理学者。核技術・科学技術の平和宣言「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955)でも有名ですね。

そのラッセルは、“人生の意味は?”、“我々はどう生きるべきか?”といった「大陸の哲学、特にヘーゲル哲学をあいまいで非合理な哲学とみなした」。そして彼は、「言語からあいまいさを取り除き、数学的な記号の体系として厳密に整理すれば、哲学から非合理な思考は一掃されると考えた」。

ここまでで、だいぶ「知恵蔵」から文章を流用。けれど僕は、“分析哲学”的に、臆することなくそのまま流用し続けちゃうのです。あるいは手抜き的な。

合理的な思考を指向する「この発想は、ウィーンを中心に生まれた『論理実証主義』の運動に受け継がれ」た。この“論理実証主義者”の代表格として知られるのが、ドイツ人哲学者のルドルフ・カルナップ(1891-1970)。彼は40代半ばで渡米、後に米国に帰化をした。

そんな「カルナップらは、数学や論理学のような形式的に真偽が明確な命題と経験」が、思考時の基準・前提条件であるべきとした。数学や論理学を基礎とした方法論、つまり「その真偽が検証されるような命題との2種類の命題のみを有意味とした」。数学的、物理的、論理的に実証できない命題は、無意味とした。

知恵蔵での解説者は、「これは哲学の言語を科学の言語に切り詰める極端な見解でもあり、多くの批判を受けた」ことにも言及する。そしてその“極端な見解”はその後、「科学以外の言語表現、日常言語の重要性も指摘されるようになり、オースティンは数学や科学の言語以外の様々な言語行為が有意味であることを明らかにする『言語行為』論を打ち立てた」。という。流用終わり。

ここで登場するオースティンは、おバカ映画『オースティン・パワーズ』の主人公・オースティンではもちろんない。オックスフォード大学の教授を務めた英国人、ジョン・L・オースティン(1911ー1960)。オースティンは、「日常言語学派」の哲学者としても知られている。

また“話が飛ぶ系”だが、この「日常言語学派」という聞き慣れない学派は、「オックスフォード学派」とも呼ばれたりもするようだ。哲学とは思考すること、思考するとはコトバを組み立てること。コトバがほぼ全てとも言える。それゆえ「日常言語学派」は、哲学的諸課題の解決を、日常コトバの分析で図る“一派”とも言える。

分かったようで分からない印象を与える哲学。これが「日常言語学派」。言語、コトバが全てに先立つ。言語の理解なくして、哲学的思考はあり得ない。言語哲学とも言う。これを「分析哲学」と言う。僕のコトバの組み立て方、構造や使用法が、「分かったようで分からない印象」を強くしている。

お腹が減ったので、もうそろそろ終わりにかかろう。今回のテーマは「分析哲学」についてでした。なのに外せない『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインはついに登場できず、終わりに入っている。とにかく「分析哲学の中心は言語!」。

ラッセルらを基礎とし、ウィトゲンシュタインやカルナップを端緒とする考え方。その基礎は、観念よりも言語最優先。けれどその主張は多種多様。分析哲学とはだいたいそんな感じな感じだ。分析哲学的命題としては、存在論や倫理学、美学のほか、心理学や数学的哲学など、哲学のほぼ全てと言えるほど多岐におよぶ。

これを読んでも、きっと「へぇ、あっそ。」となる。僕の言語能力の問題、あるいは集中力の問題で。

◇おしまい

知的「美学」研究(2)


『美学への招待』(中公新書)という新書がある。 東京大学名誉教授の美学者、佐々木 健一が、2004年に出した美学入門だ。Amazonでは、「藝術が、いま突きつけられている課題を…(中略)…美と感性について思索することの快楽へといざなう」とある。やや取っつきにくい文体の「内容紹介」だけれど、まさに僕が探りたい内容だ。

ここで言う「藝術が、いま突きつけられている課題」とは何だろう。ここでは、「二〇世紀後半以降、あらゆる文化や文明が激しく急速に変化」し、芸術の世界も例外なく変化したと指摘。例えば、複製がオリジナル以上の影響力を持ったりしていることが挙げられるという。コロッケと美川憲一のようなことだろうか。

加えて「作品享受も美術館で正対して行うことから逸脱することが当たり前になってきている」という。なるほど。ただ、「美術作品は美術館で鑑賞すること」とは、誰が決めたわけでもない。とも思う。一般市民に公開された最古の美術館「カピトリーノ美術館」は1471年開館だが、それ以前にも“美術鑑賞”はあっただろう。

なんてことを思いながら、『美学への招待』のカスタマーレビューも読んでみると、「美学って何ですか、みたいなところから、デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)やウォーホルの『デルモンテ・ボックス』(段ボール箱をそっくり再現したもの)がなぜ芸術といえるのか、など、一般人の持つ疑問にも答えてくれます」。

っていうことは、僕が「美学」について考察すべきことは、全て『美学への招待』の中にありそうだ。けれども問題は、僕はまだ同書を読んでいないことにある。読んでいないなりに、「美学」のまとめについて前進できないものなのか。いや、逆に現在読んでいないゆえの、“美学”未開拓者なりの美の考察ができるのではないだろうか。

有識者の考えにまみれる前の僕の考察その1。例えばレビューにあった「デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)」が「なぜ芸術といえるのか」。推敲しないで、瞬発的に答えるとしたら、僕の場合はこうだ。「“美”を享受するには、美を享受しようという努力が必要で、その努力如何で、森羅万象を美と解釈・把握できるから」。

これは宗教とも似ている。ある人はあらゆることに聖霊を感じ、喜びに満ちる。ある人は、奇跡的なことが起きても、そこから神や聖霊は感じない。解釈の有無・差異。要はモノやコトに対してどう捉えようとしているかの姿勢、あるいはコトやモノへの知識によってくる。人生経験にもよってくる。そこに神を見るか、見ないのか。

そこに美を見るのか、見ないのか。これは宗教的感性同様、その人の認識力、把握力、あるいは勘違いや誤解などが大きく左右する、と思っている。同時に、「これに神の存在を見なさい」と言われても唖然とするだけのように、美的感覚もまた、強要できないものとも思われる。できても限定的になるだろう。つまりは本人次第。

「これは美だ」と大勢が言えば、そのモノに内在する「美」、外部に添付する「美」が一般化されていく。それには文化や歴史が関係するだろう。あるいは逆に、一般化された合意された美は、文化や歴史を紡いでいく。その時代にいなければ見えてこない美もきっとある。その国にいなければ理解できない深みはきっとある。

ヒトに抱く美も同じだ。大正時代に美人と言われた「大正三美人」。現代に生きる僕の眼でも、情熱的歌人として知られた柳原白蓮は美人と思う。しかしながら、その他の一人は、僕はどうしても美人に見えてこない。申し訳ないけれど。逆に現在の美人を大正時代に連れていっても、「ありゃ化けもんだ」と評されてしまうこともありえる。

なんてこと、をツラツラと綴る。「デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)」が「なぜ芸術といえるのか」。ちなみにこのデュシャンは、マルセル・デュシャン(1887 - 1968年)。フランス出身で、後に米国で活躍した美術家だ。ウィキペディアでは「20世紀美術に決定的な影響を残した」と紹介されている。

「デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる」。「ダダ」とは、ダダイスム、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のこと。既成の秩序や常識に対する、否定や攻撃、破壊といった思想が大きな特徴だ。背景には第一次世界大戦に対する抵抗などがある。

デュシャンは、大量生産された既製品を用いたオブジェ作品を多く創作した。この一連のシリーズを、彼は「レディメイド」と命名。英語で既製品のことだ。彼は芸術作品に既製品をそのまま用いることで、「芸術作品は手仕事によるもの」という固定観念を打ち破った。また「真作は一点限り」という概念をも否定した。との評がある。

知的「美学」研究の第2回。『美学への招待』から始まり、いつの間にか「デュシャンの『泉』」の話になりました。「件の『泉』を含むレディ・メイド作品の多くはオリジナルは紛失している」らしいです。現在目にすることのできるのは写真か複製のみ。現存しないけれども、美学を語る上では外せない作品、美を、デュシャンは生み出しましたとさ。



◇つづく





知的「美学」研究(1)

「男の美学」、「女の美学」。あるいは「遊びの美学」、「滅びの美学」……。僕らは「美学」という単語をよく使う。使いはするが、一体僕らは「美学」についてどれほど知っているのだろうか。そもそも「美」とは何だろう。ふと疑問に思う。

「僕らは美について、美学について、実はあまりよく理解、把握していないままに、その言葉を使っているのではないか」。その認識から、「美」と「美学」についての考察をスタートさせてみる。そもそも「美」とは何なのか。そんな「そもそも論」は、僕が考察、哲学する上での美学でもある。

おそらく「美」を捉えていく営みは、とんでもない脳的重労働になるかも知れない。そんな漠然とした不安がある。無事最後までタイピングし続けられるのか。ある程度「情報」としてまとめられるのか。僕が美について語ることは美しくないのではないか。

とてつもない「パンドラの箱」を開けることになるけれど、そんなことを言っても何も始まらないので、「私が思っている『美』とはこれです」というものを、いくつか手抜きして、適当にネット情報から抽出してみたい。正しいかどうかは別として。いや、「美的感覚」こそ人それぞれ、「これがそれです」と言えないものの代表なのかも知れないけれど。

「全ての美は我にあり」。「美とは個人の記憶であり、個人の記憶により生じている現象」。「美とはエネルギー」。「美は伝統や習慣、教育などの文化的背景や流行の影響を受ける」。「自分と子孫の繁栄に繋がるものは全て美しく見える」。

いずれも僕と同様、職業的「哲学者」でない方たちの意見。他にも「美とは、すなわち感情」。「美とは人間賛美」。「幸福感に溢れる気分にしてくれるもの」。「美とは、神の愛」などの投稿もある。「教えて!goo」の「美」をテーマにしたQ&Aには。

そして僕はそれら全てが正しいとも思う。間違っているとも思う。その判断基準には、多分僕の美的感覚、美的意識が介在している。「それを『美』としていいかどうかの美的感覚」的なものが。

「美はそこにあるのではなく、そこから受け取る感受性」。とは、今、脳から吐きでた僕のことば。「美は本人の知的・感覚レベル次第」。「美を美としない美もある」。「価値のない美はない」。つらつら言葉が生まれてきては、吐き出せる。

うーん。ここまできて、より一層悟る。「美学」考は、かなりの長編になるかもなーと。ちょっとわくわくする。そして僕の長文を避けたいという美的センスから、今日はこの辺でタイピングをストップしてみる。

◇つづく


2012年6月7日木曜日

【気象考(2)】「コリオリの力」編

前回の「雨と大気編」で、「コリオリの力」に触れた。触れただけだけれど、これが気象現象を考察する上ではとても重要。なのでもう少し、浅めに深く、整理してみる。

「コリオリの力」は、大気について言えば、地球の自転が関係する物理的法則、回転系の力学だ。よく衛星写真で見る台風の渦は、この力が作用して、どっち向きかが決まっている。また大気だけでなく、海流運動もまた、この力が作用している。

よく引き合いにされる例が、洗面所や風呂場の排水口。排水口に吸い込まれる水は、北半球だと右回り、南半球だと左回りの渦になる。これは、回転する円板の上で、その中心からボールをまっすぐ転がすと、ボールが曲がって外側に転がっているように見えるのと同じでもある。

goo辞書の解説が分かりやすい。「コリオリの力」とは、「回転体上を運動する物体に働く慣性の力」のこと。「回転軸と物体の速度の向きとの両方に垂直に働き、物体の速度の向きを変える。台風の進路が、地球の自転のために曲がるのはこれによる」。

ふむふむ。「1828年、フランスの物理学者G=G=コリオリが提唱。コリオリ力。転向力。偏向力」。コリオリさんが、この不思議な力学を見つけた。実に面白い法則。

もっと分かりやすく説明しているサイトもある。こんな具合。「直進運動している物体を、回転している座標系から見ると、まるで横から力を受けているかのように軌跡が曲がってみえる。この見かけの力をコリオリの力と呼ぶ」。

次の部分が肝心。「実際に力が加わっているわけではないので、『力』という言葉を使うと、理解を妨げるような気がする。英語では『Coriolis Effect』と呼ぶので、このような現象を指して『コリオリ効果』と言った方が適切だ」。

つまり、「コリオリ効果」によって、直線方向への力が、まるで横から力を受けているように見えるということ。宇宙から見ると、北半球では真北に向かってまっすぐに撃った大砲が、東向きに曲がって進むように見える。

ちなみに気象予報士試験、学科一般の出題範囲に「大気の力学」があり、そこで「コリオリの力」が出てくる。計算もある。「コリオリの力 =-2×重さ(質量) ×回転角速度×運動速度」。この式を眺めて思う。最終的に、なんでやねん!

◇おしまい

「金環食」最高!を再考。

世紀の天体ショー、金環食。それは宇宙の神秘。あるいは奇跡の瞬間。2012年5月21日(月)の朝の出来事でした。

その当日まで、あれだけ「金環食を直視したらダメ!」「最悪失明しちゃうよ!」と騒がれていたのに、その後30日に日本眼科学会が公表した報告によると、日食を見たことでの眼障害の症例が、全国で546報告されている。これは中間報告だから、実際にはもっと“やちゃってる人”はいると思う。

「ばかだなー」と、ちょっぴりそんな日本人にかわいさを感じ、笑ってしまうのはダメなのかも知れないけれど。 仮にその後遺症が「太陽系の壮大なプラン」に組み込まれた、“壮大なしょうがなさ”と認識できれば、もしかしたらそれは思い出の外国でタトゥーを彫るのと同じことのようにも思う。

さて、金環食。世界大百科事典によれば、「太陽本体(光球)の中央部の光を月が遮り,太陽の縁のみが金の環のように輝いて見える現象」のことだ。「地球上の観測地点から月と太陽の中心が一直線上に並ぶとき,月の見かけの大きさが太陽よりも大きければ皆既日食,小さければ金環食となる」。つまりは「太陽ー月ー地球」の大きさ、距離の絶妙な関係が、生み出す現象になる。

では「太陽と地球」「月と地球」の“絶妙な関係”とはどんなものか、メモしてみる。
・太陽:地球から約1億5000万km、直径約140万km(地球の約109倍)
・月:地球から約38万km、直径約3500km(地球の約4分の1)

ここから、こんな公式ができあがる。
・地球から太陽までの距離 : 地球から月までの距離 ≒ 400:1
・太陽の大きさ : 月の大きさ ≒ 400:1

ってことで、地球から見た太陽と月の大きさは、ほとんど同じになる。夜空に浮かぶ満月の大きさは、夕陽の大きさと同じに見える。

だから「太陽-月-地球」と一直線上に並べば日食が起こる。太陽と月の見かけの大きさが同じに見える地域では、太陽は月に隠され、皆既日食となる。また「太陽-地球-月」と一直線上に並べば、月食になる。

そんな“絶妙な関係”による天体ショーに、人は神を感じたりする。感じなかったりもする。けれどこの偶然は、極めて奇跡に近い、“あり得ない”バランスだと、僕は思う。実際、「日食」「月食」は、世界各地で神話を生んできた。

いつか太陽について、月について、のんびり考えてみたいと思う。恋愛問題など、物事を考えるときは、その対象物を見つめながらが一番のはずだけれど、唯一太陽だけは、見つめながらの考察は難しそう。でも今度やってみよう。宇宙の神秘を体に刻めるし。「太陽ー僕」一直線の“微妙な関係”も味わえそうだし。

◇おしまい


2012年6月6日水曜日

【気象考(1)】「雨と大気」編

本日・東京の天気は雨。職場から見えるスカイツリーは雲がかり、今日の展望は哀しい感じだ。

ちなみにYahoo!の天気予報ページ「全国概況」では、こんな風に書かれている。「きょうの北海道から関東はすっきりしない天気です。北海道や東北は日本海側を中心に雨や雷雨となるでしょう。」

ということで、いつからか僕は「気象予報士」資格取得を目指していることもあり、今日のテーマは「なぜ雨が降るのか」あるいは「雨天を深く楽しむための知識まとめ」。晴れの日も雨の日も、雪の日も台風の日も、全天候型を味わうための「気象シリーズ」を、中途半端に始めてみたい。そして中途半端に終わります。

どこから手をつければいいのか分からないので、まずは「大気」についての情報整理から。「大気」、これは地球の重力によって、地球自身を取り囲んでくれています。いつかこの「重力」についても研究していくとして、「大気」は惑星の重力によって、宇宙空間に拡散されず、地球上に留まってくれている。

大気、大気圏は、「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」の4つに区分。「対流圏」で気象現象が起き、「成層圏」にオゾン層がある。「中間圏」は高度50ー80kmにあり、「熱圏」は太陽からの電子エネルギー吸収により、高温となっている。

雨と関連するのは、海面から高度11kmまでの「対流圏」。地球大気の質量の約80%がこの層にある。対流圏の大気温度は、高さとともに変化し、100m高くなるにつれ、0.6度ずつ気温が下がる。だから富士山山頂は寒い。エベレスト山頂は死ぬほど寒い、と思う。

太陽熱などで地表付近の空気が暖まると、その空気の塊は上昇を始める。それは温かい空気塊は、その周辺の空気密度よりも小さくなるからだ。熱いと、密度が周囲より低いと、沸かしたてお風呂の湯みたくなる。周囲より熱い人が、めっちゃ浮いてるように見えるみたくなる。

そして上昇した空気塊は断熱膨張して気温が低下。上空で熱を放射して冷えたり、また含んでいた水蒸気が凝結することによって気温が下がる。冷えた空気塊は下降する。こうして「対流」が起きている。この過程で、雨が降る。

対流圏の気象現象は、対流圏下部と上部ではちと違う。下部では大気が地表と摩擦を起こすけれど、対流圏上部ではその摩擦がない。この違いから、対流圏は3つの層に分けられる。

海抜0mから100mまでの「接地境界層(接地層)」、海抜100mから1kmの「エクマン境界層(エクマン層)」、1kmから対流圏の一番上層11kmまでの「自由大気」がそれ。接地層では地面との摩擦の影響が大きいため、大気の運動、乱流が不規則で活発だ。

「エクマン層」では「コリオリの力」、「気圧傾度力」、「地面との摩擦力」の力がつり合って大気が運動している。ちなみに「コリオリの力」を難しく説明すると、「回転座標系上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種」だ。

「自由大気」では地面との摩擦の影響はなく、大気が自由に運動している。楽しそうに運動しているかどうかは知らないけれど、とにかく自由奔放だ。

自由大気の上層部、対流圏上部ではジェット気流が流れていて、成層圏との境界線「対流圏界面」と呼ばれる高度約11km付近で、風速はMAXになる。国際線のジャンボジェット機は、対流境界面を轟音とともに飛行する。僕はよく海外へ出かけていたから、人生のうち結構な時間、この「対流圏界面」でいびきをかいてきた。

とにかく地球には、こんな「大気」の物語がある。「大気」のシステムがある。観光客を残念にさせる「降雨」という気象現象は、その中のごくごく一部の現象になる。

宇宙があり、銀河系があり、太陽系があって、地球という惑星がある。その惑星の大気圏で、水分がくるくると循環。地球上では緑が生まれ、動物はそれを食む。人は激流下りやスキーを楽しみ、ときどき雨に濡れて風邪をひく。または雨の恵みに感謝する。

一粒の水滴の物語にも思いを馳せる。海たとえば地中海、山たとえばロッキー山脈、川たとえばナイル川、街たとえばリオデジャネイロ…。米国西部の雲になり、あるいは豪州北部に雨を降らせ、太平洋に還って行く物語。巡り巡って僕らの飲み水となり、血液となり、涙となる物語。

そう捉えると、今降る雨は、もしかしたら以前僕の一部だったのかも知れない。クレオパトラの一部だったかも知れない。でも小沢一郎とかのだったら嫌だなあ。

◇おしまい