「つまり、これはこういう理論だ!」と、一括りにはできないらしい「分析哲学」。どうとでも取れる思考法、世界把握とも言え、強引に「分析哲学」という言葉に押し込めた感が漂ってもいる。だからドラゴンボール的にたとえると、炊飯器に強敵を封じ込める必殺技「魔封波」的な。
そんな「分析哲学」について、ちょっくら整理してみる。なぜ整理してみているかは、うまく説明できないけれど、一度は脳ミソ内で「分析哲学」的知識をクルクル循環させておいた方が良いと思ったからだ。教養として、または新たな発見として。
まあ僕による僕のための“まとめ”である以上、大それた「分析哲学」考になるわけもなく、そこら辺にある素材をメモしてみる、という程度になる。というやや長めの前置きになりました。前置きの割にはとても短めの、僕的「分析哲学」整理。
まずは朝日新聞出版の「知恵蔵」による解説を、適当に端折ってみる。と、「分析哲学」は、「主に英米圏で広まり、現象学、実存の哲学、構造主義と並び、20世紀の大きな哲学潮流の1つ」。ふむふむ。
分析哲学は、「認識主観や個人の生、文化や社会のあり方よりも、思考の営みの根幹である人間の言語そのものに注目する」。なるほどなるほど。そしてその展開は、「ケンブリッジで20世紀初頭に現れたラッセルらの哲学から始まる」という。
英国貴族のバートランド・ラッセル(1872ー1970)は、1950年にノーベル文学賞受賞した論理学者。核技術・科学技術の平和宣言「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955)でも有名ですね。
そのラッセルは、“人生の意味は?”、“我々はどう生きるべきか?”といった「大陸の哲学、特にヘーゲル哲学をあいまいで非合理な哲学とみなした」。そして彼は、「言語からあいまいさを取り除き、数学的な記号の体系として厳密に整理すれば、哲学から非合理な思考は一掃されると考えた」。
ここまでで、だいぶ「知恵蔵」から文章を流用。けれど僕は、“分析哲学”的に、臆することなくそのまま流用し続けちゃうのです。あるいは手抜き的な。
合理的な思考を指向する「この発想は、ウィーンを中心に生まれた『論理実証主義』の運動に受け継がれ」た。この“論理実証主義者”の代表格として知られるのが、ドイツ人哲学者のルドルフ・カルナップ(1891-1970)。彼は40代半ばで渡米、後に米国に帰化をした。
そんな「カルナップらは、数学や論理学のような形式的に真偽が明確な命題と経験」が、思考時の基準・前提条件であるべきとした。数学や論理学を基礎とした方法論、つまり「その真偽が検証されるような命題との2種類の命題のみを有意味とした」。数学的、物理的、論理的に実証できない命題は、無意味とした。
知恵蔵での解説者は、「これは哲学の言語を科学の言語に切り詰める極端な見解でもあり、多くの批判を受けた」ことにも言及する。そしてその“極端な見解”はその後、「科学以外の言語表現、日常言語の重要性も指摘されるようになり、オースティンは数学や科学の言語以外の様々な言語行為が有意味であることを明らかにする『言語行為』論を打ち立てた」。という。流用終わり。
ここで登場するオースティンは、おバカ映画『オースティン・パワーズ』の主人公・オースティンではもちろんない。オックスフォード大学の教授を務めた英国人、ジョン・L・オースティン(1911ー1960)。オースティンは、「日常言語学派」の哲学者としても知られている。
また“話が飛ぶ系”だが、この「日常言語学派」という聞き慣れない学派は、「オックスフォード学派」とも呼ばれたりもするようだ。哲学とは思考すること、思考するとはコトバを組み立てること。コトバがほぼ全てとも言える。それゆえ「日常言語学派」は、哲学的諸課題の解決を、日常コトバの分析で図る“一派”とも言える。
分かったようで分からない印象を与える哲学。これが「日常言語学派」。言語、コトバが全てに先立つ。言語の理解なくして、哲学的思考はあり得ない。言語哲学とも言う。これを「分析哲学」と言う。僕のコトバの組み立て方、構造や使用法が、「分かったようで分からない印象」を強くしている。
お腹が減ったので、もうそろそろ終わりにかかろう。今回のテーマは「分析哲学」についてでした。なのに外せない『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインはついに登場できず、終わりに入っている。とにかく「分析哲学の中心は言語!」。
ラッセルらを基礎とし、ウィトゲンシュタインやカルナップを端緒とする考え方。その基礎は、観念よりも言語最優先。けれどその主張は多種多様。分析哲学とはだいたいそんな感じな感じだ。分析哲学的命題としては、存在論や倫理学、美学のほか、心理学や数学的哲学など、哲学のほぼ全てと言えるほど多岐におよぶ。
これを読んでも、きっと「へぇ、あっそ。」となる。僕の言語能力の問題、あるいは集中力の問題で。
◇おしまい