2012年5月28日月曜日

疲れる、とは何か考。


なぜ疲れるのか。生きていれば、ずっと動いていれば当たり前とも思うが、ふと「僕たちはどうして疲れなければならないのだろう」とも思う。睡眠の話にも近い気もするけれど。

「疲労」についてはいろいろ言われている。“wikipedia”でだけど。“痛み”と“発熱”に並ぶ、生命維持装置に欠かせない「3大アラーム」だとか。脳が主体的な疲労のことを「中枢性疲労」、肉体的に由来する疲労のことを「末梢性疲労」というのだとか。

また「生理的疲労」と「病的疲労」に区別もでき、病的疲労には発熱や記憶障害も起こることもある。同じ疲労でも、男性は無口になり“活動停止状態”に陥りがちだが、女性の場合は逆に“動的”で、他人に八つ当たりしやすいなどとも言われているそうだ。

「疲労」についても様々なメカニズム、ルートがありそうだが、恐らくおおよそはこんな感じになると思う。「ストレス→神経・免疫・内分泌系の異常→ウイルス再活性化→サイトカイン産生異常→神経細胞機能異常→疲労感」。

ここに出てくる「サトカイン」とは、免疫システムの細胞から分泌されるタンパク質のこと。僕らを構成する細胞の、増殖や分化、死、治癒などに関係する重要な高分子化合物だ。ストレスを受けると、このサトカインの分泌がおかしくなる。結果、僕らはヘロヘロになる。あくまでも一つのルートだけれど。

そう考えると、一番始めの「ストレス」がなければいい、ということになる。では「ストレス」って何? となる。で、1935年に「ストレス」の言葉を生み出した、カナダ人生理学者・ハンスさんの定義を借りてみると、「体外から加えられた要求に対する身体の非特異的な反応」となる。

ハンスさんは、反応を引き起こす刺激を「ストレッサー」、刺激に対して反応し、歪みを起こした状態のことを「ストレス」と区別した。だから「ストレス=刺激=有害」というわけでは、この時点ではない。実際僕は、結構刺激を求めているし、それが快感だ。喜びにつながり、「ストレス解消」になっている。

ただ、刺激にも限度がある。物理的、精神的に。その限度、許容量は人それぞれと思う。孫悟空なら死なない刺激で、クリリンなら死んでしまうこともある。ということになると、僕らにはそれぞれ、それぞれに合った、適度な「刺激」が求められ、適応能力を超えれば「疲労」につながる、ということなんですね。とまとめにかかる。まとめられそうにないけれど。

あるいは認知の仕方も「疲労」「ストレス」と関係がありそうだ。ある人には快感と思えることは、別の人には苦痛でしかないこともよくある話しだし。であれば、「あらゆる苦痛も快楽に感じれる認知術」があれば、僕らはかなり幸福な日々を過ごせそう。まあそのために僕は個人的に“修業”をしているのだし。

ここで言う“修業”は、たとえば色んな価値観を吸収し、あらゆる物事の知識を仕入れること、あるいは……。とにかく「プラス思考」を目指すプロセスになる。

うんぬん。かんぬん。そして話は「癒し」、飲み会やマッサージ、お笑い鑑賞などといった“疲労回復”に飛ぶ。飛んで止める。長くなる。けれど「疲労」と「回復」は、哲学的命題としてイコールだ。きっと。

いずれにせよ、「疲労」を思考していることで、僕は疲労してきた。ふぅ。だったら最初からよせば良かったのにね! 結局何もまとめられずにいることも、また疲労感を増量させてくれています。と「疲労」を実感するためのプロセスでした。

◇おしまい