2012年10月3日水曜日
アッシジのフランチェスコ考
アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年)。僕が尊敬する先輩「ひとちゃん」が、僕が高校生だった頃に尊敬していた。尊敬し過ぎた結果、「ひとちゃん」は髪形もアッシジのフランチェスコとなった。つまり頭のてっぺんを剃った。修道服みたいなのを着たりもしていた。
先輩「ひとちゃん」はその後、神学部のある大学へ進学。やがて牧師となった。で、今「ひとちゃん」は三重県にいる。鈴鹿の教会で、4人家族を築いている。そんな僕の師匠にちょうど去年の今ごろ会いに行った。ついでに泊まらせてくれもした。
昔のカトリックの修道士が頭のてっぺんを剃ったのは理由があるはず。けれど「この髪型の由来は不明」だと、ある百科事典サイトはいう。一方で「磔刑となったイエス・キリストが十字架上で頭にかぶせられていたとされるいばらの冠を模しているとも言われる」という。
カトリック的河童頭。これを「トンスラ」または「トンスーラ」という。カトリックの儀式で、人が僧になる時に剃る。この儀式も「トンスラ」という。で、今はもうやってない。トンスラの儀式は1972年に廃止された。昭和47年。皇紀2632年。コンコルドが成田空港に来た年。
で、アッシジのフランチェスコ。イタリア風には「Francesco d'Assisi」。本名は、 ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ。多分こっちを聞いても誰も分からない。そもそも日本では「アッシジのフランチェスコ」はそんなに知られていないのかも知れないけれど。
「Giovanni di Bernardone」は、786年前の今日、10月3日に他界。44歳だった。その44年の間の言動が、彼を「イタリアの守護聖人」、「聖フランシスコ」とならしめた。「ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ」は「アッシジのフランチェスコ」と聖人化した。
フランチェスコは、富裕な毛織物商人の長男として、アッシジに誕生。イタリア半島のちょうど真ん中あたりの町だ。少年時代は聖堂の付属学校に就学し、修辞学や文法、祈祷書などを学ぶ。20歳頃までは、父とともに織物商の仕事をしていたようだ。
彼は「ハンサムで気前がよく、スマートで陽気なフランチェスコは祭りのたびに金にものをいわせて人気を博し、娘たちのあこがれの的」だったともされる。「謝肉祭のパレードでは毎年『王様』に選ばれた」ほどだった。やはり、若かりし時よりただ者ではなかったようだ。
ある日フランチェスコは「そうだ! 騎士になろう」と思い立った。それで勇んで「アッシジ vs ペルージャ」の戦争に参加。けれどもその意気虚しく1202年に捕虜となってしまう。さらには獄中で病気に罹患した。1年余りの“獄中”。いろいろ苦しんだだろう。何より重い熱病は続いた。
ところで画人ジョットが描いた『着物を返すフランチェスコ』という絵がある。そこには着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコが描かれている。1205年頃から回心が始まったとされるフランチェスコが画中にいる。
回心。彼は不思議な声を耳にするようになり、世界観が変わった。そして、洞窟で祈ることに心の安らぎを覚えるようになった。あるとき神と対話した。そして神は「私の望みを知りたいのなら、まずお前がこれまで愛してきたものすべてを憎み軽蔑せよ」と啓示した。
神は「これまで嫌ってきたものすべてを喜びの泉とせよ」とも言った。フランチェスコはローマで浮浪者に出会った際、貧しさを味わうために、着ているものを浮浪者と交換したとされ、そのとき彼はこれまでと違う解放感を覚えたという。ここから青年は貧者への奉仕に向かう。
あるとき小さな礼拝堂で、十字架上のイエス・キリストが「行けフランチェスコ、そしてわが家を修復せよ。それはもう倒れかかっているから」と呼びかける声を聞いたという。僕はこうした啓示については脳の病気なのでは説もとりたいところだけれど、とりあえず啓示としておきたい。
礼拝堂での啓示がフランチェスコにとって決定的な回心の瞬間となった。啓示を受けたフランチェスコは、父の店から織物を持ち出し、それを販売して金銭を得、礼拝堂の修復にあてようとした。で、父に訴えられた。法廷での親子闘争。彼は親子の縁を絶ち、相続権はじめ一切の財産権を放棄した。
出身階級とも絶縁して家を出たフランチェスコ。彼は、病人への奉仕やサン・ダミアノ聖堂の修復などの活動に励んだ。世俗への執着を断ち、無一物となってイエスの生き方を自身の人生のモデルとして生きた。「奉仕」と「托鉢」の生活だ。敬虔な貧者は、やがてアッシジの2つの聖堂を修復した。
「清貧」と「労働」を守って暮らすフランチェスコの周囲には、自然と仲間や弟子が集まるようになる。外部からは“乞食集団”にしか見えない集団。1210年、フランチェスコは教皇インノケンティウス3世から修道会設立の認可を受け、「フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)」を設立した。
その後、フランシスコ会の信者は増加。フランチェスコの死後には世界最大の修道会へと成長。そんな流れを創始したフランチェスコ。命日となる10月3日、僕はフランチェスコを、また彼の影響を強く受けている「ひとちゃん」に思いを馳せる。改めてキリスト教の力を感じてしまう。
ちなみにフランチェスコを調べていたら、あのB級ハリウッド映画俳優のドン、ミッキー・ロークが主演した『フランチェスコ』(1989年)という映画を発見。なんと「goo映画」での評価は☆4つ半、90点と高評価。近いうちに見てみよーっと、と思いましたとさ。アーメン。
◇おしまい