2012年7月30日月曜日
フリーメイソン考【3】
「フリーメイソン」か「フリーメーソン」か。これは僕もあいまいに使用してきたのだけれど、この「フリーメイソン考」では“なんとなく”で、「フリーメイソン」の表記で統一している。けれど編集者御用達の「用字用語ブック」「記者ハンドブック」のルールでは、恐らく「メーソン」表記が正しい。
けれど僕は“誰も読んじゃいねーよ”なブログを更新するにあたり、そもそもいい加減な表記しかしていない。ましてや校正なんかもしていないから、後々恥ずかしい目に遭うかも知れない。いや、“誰も読んじゃいねーよ”な限りにおいては、そんなことはなさそうですね。
そこで思うのは、「誰にも知られず」けれど「堂々と活動している」のは、秘密結社に限らない、ということだ。この哲学ブログや僕が勝手に更新し続けているその他ブログもまた、「誰にも知られず」けれど「堂々と活動している」。そして「誰にも知られてはいけない…」。
でも「秘密結社フリーメイソン」と「僕の密かなブログ」の違いは、奥深さとか、関心持たれる度合いとか、結構ある。表向きでは社会貢献もしている「秘密結社フリーメイソン」と、なんら社会的貢献を果たさない「僕の密かなブログ」の差は歴然だし、あらゆる点で比べるのはおこがましくもある。
で、全然脈略ない話からスタートしたのだけれど、今回は「デザギュリエ」について。1717年から始まる近代フリーメイソンの創始者と言われている人物です。オカルト系ほかその手の本では、超重要人物の一人として紹介されています。
とゆーのも、デザギュリエさんが近代フリーメイソンの核であり基盤となっている「フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)」作成に、主導的役割を果たしたから。1723年に完成した同憲章の普及も頑張った。ついでに彼は憲章序文を執筆しております。
ジョン・ デザギュリエ(1683-1744)。「近代フリーメイソン創始者」あるいは「近代思弁的フリーメイソンの父」。フランスでプロテスタントの指導者だった彼は、ユグノー教徒の迫害を逃れて渡英。後にニュートンの弟子になりました。科学者になり、博士になった。
デザギュリエが英国でしたことは、英国でスコットランド由来の「フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)」、これを普及させたことだ、あくまでものフリーメイソン界での活躍話だけれど。この憲法こそが、会員たちに「秘密厳守」を迫らせている。
「ふむふむ、フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)ねぇ」「で、そもそもフリーメイソン憲章って何だ?」となりますね、当然。そして「なぜアンダーソン憲法って呼ばれてるの?」とゆー疑問も出てきます。それらについて、もう今回の主題「デザギュリエ」もまとめて、次回の“情報まとめ”に委ねます。
そうなると「おいおい、本題始まったばかりなのにまじかよー」てなるね。けど、なんだか疲労感によりグダグダな文章になりそうなので、自分自身にごめんちゃい。「今できることは今やる」。「今できないことは今やらない」。こうして僕はまた先延ばし事項を増やしていきます。宿命的に。エントロピーの拡大的に。
◇つづく