2012年7月30日月曜日

フリーメイソン考【4】

さっそく「フリーメイソン憲章」から。この憲章が「アンダーソン憲章」とされるのは、アンダーソンが憲章を編纂したからだ。1712年、アンダーソンはロンドンの“グランド・ロッジ”のグランドマスター(組織内でとても偉い人)から、「憲章作ってちょ」と依頼された。

そこでアンダーソンは「任せてちょんまげ!」と秘密結社の基盤づくりに燃えました。で、そのアンダーソンさんて誰?てゆーと、スコットランドの牧師さんでした。“牧師”、つまりプロテスタント系。

アンダーソン牧師は、古代フリーメイソンの規約「ゴシック憲章」を基に、草稿づくりを開始。例のデザギュリエおじさんも、これに参加。おじさんは序文執筆を担いました。この“草稿”はほぼそのまま“イキ”で、「フリーメイソン憲章」として出版されたのでございます。

さて、この憲章がどんな影響を与えたのか。ちなみに憲章には、フリーメイソンの歴史や責務、ルールを規定。歴史のはじまりは、つまり地球や宇宙ができたのは、紀元前4004年てことになりました。あらあら。

そんなわけで今年2012年は、フリーメイソン的に示すと「A.L.6016」となります。加えると「A.L.」は「光の年」のラテン語の略。彼らの歴史把握の起点、基点を考慮すると、その世界観は、やはりちょっとアレなのかな?と思ってしまいます。

フリーメイソン憲章が提唱するのは「宗教の多様性」。信仰心があれば「宗教はキリスト教でなくても、おっけー!」とした。だからカトリック総本山のバチカンはフリーメイソンに対し「ざけんなよ!」と激怒したし、「破門カード」を切りまくった。

けどプロテスタントのデザギュリエにとっては、カトリックからの破門は全く怖くなかったんだろーなと思う。このデザキュリエおじさん、1719年に、第三代グランドマスターに就任しました。つまりフリーメイソン最高位になった。

デザキュリエは、1683年フランス生まれ。お父さんは牧師をしていて、だから迫害を受けて英国に一家で船で逃げた。デザキュリエはその後勉強を頑張り、オックスフォード大学に入学、自然科学を研究した。

大学卒業後は、親しくしてたニュートンのコネもあり、ロンドン王立協会の会員となりました。で、気付けば科学大好き青年は、36歳の科学者デザキュリエおじさん。になってました。

考えてみれば、36歳で秘密結社最高位に就いたのはスゴい話しだ。よっぽど才能があったのだろう。1719年、デザキュリエは“会長”として貴族や王立協会会員らを入会させるなどした。そーして「フリーメイソン」のブランド化に成功。やはり組織はそーして創られていく。

カルト宗教はだいたい高学歴信者を創りたがる。教祖の学歴をウリにしてるところもある。もはや日本では貴族とか皆無だから、そんなところに現代的ヒエラルキーの基準を求め、活用したりする。

「近代的フリーメイソン」。フリーメイソンの非キリスト教化。さらにルーツの石工を、切り離した。これにはバチカンだけでなく「古代派」も反発。で分裂。和解をもった1813年まで大分裂時代となる。

そして近代的フリーメイソン、こっちは英国王室から続々と入会者を集め、次第に「王室ならフリーメイソンに入ること」てな具合となるまでになった。こうしてフリーメイソンは知恵者を取り込み、貴種を取り込み、神秘性を高めていったわけですのん。

◇つづく