2013年4月17日水曜日

時間とは何か考


時間とは何か。これは「時間」について疑問を持ってしまった多くの人々を苦しめてきた命題だ。これまで多くの哲学者や芸術家、文豪、自然科学者や心理学者などが研究し、それぞれの異なった解釈を提示・表現してきた。そして実際、「時間」の捉え方は、自然的時間、宗教的時間、物理的時間など、それぞれ異なっている。

高校時代の現代文の勉強で、「時間」をテーマにした文章をけっこう読んできた。と同時に高校時代、時間に対するおおよその概念が、僕の中でまとまった。「時間」とは何か。例えばこんな時間論。置き時計や腕時計が誕生する以前の科学的未発達文明においては、「自然的時間」、「宗教的時間」が支配的だった。云々。

太陽の動きに連動する朝や夕といった「自然的時間」。年や月、週、日、時間、分、秒といった人工的、人為的な時間とは異なって流れているとする時間だ。一方、直線的に捉えがちな時間を円環的、輪廻的に捉えたり、神の視座から捉えたりする時間が「宗教的時間」。そしてたとえば教会は塔の時計を通じて、時間の流れを管理・独占したりした。

けれども18世紀から19世紀にかけて産業革命が起こり、概念も変化した。産業革命は人々の時間認識革命でもあった。以降、鉄道ダイヤの普及により、一つの基準として人工的時間、物理的時刻が普及。「近年は高速旅客機や録画保存機器などの発明により、人間の体内時計が揺らいでいる」と言われるまでになった。

たとえば移動手段によって移動時間が異なってくる現象が生まれた。自動車や飛行機の登場で、一昔は遠く感じた隣町や隣国が、「すぐそこ」になった。また、飛行機は日付を越えて時差を生むようになり、宇宙船に乗れば24時間のうち「1日」が何度も訪れるようになった。速度や空間と時間の関係性がモヤモヤ見えてくる。時代や文明との関連性も。

あるいは、録画保存機器の発明による影響は、こんな風に言われる。「ビデオカメラにより過去の記録や記憶を新鮮に振り返ることができる。つまり過去の記憶は、自然と色褪せることが無くなりつつある」。僕たちが普段観ている録画収録のテレビ番組もそうだ。ニュース番組であれ、ライブ映像以外は過去の事象を「今」捉えている。

時間とは何か。時間の構造についての記述を幾つか拾ってみる。まずは「直線的な時間」。ニュートン力学における時間は、無限の過去から無限の未来へ続く直線。次に「線分的な時間」。この捉え方は、時間は“無限の過去”から“無限の未来”へ続くものでなく、始まりと終わりのある有限なもの、有限な線分だとする考えだ。

次に「円環的時間観」。時間は円環状であり、同じ歴史が繰り返されるという捉え方。ユダヤ教、古ゲルマンの宗教をはじめ、現在の新興宗教まで広く見られる時間観。この円環的な時間は、ニーチェの永劫回帰思想にも見られ、「回帰の環(Ring)」と表現されている。彼は「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立った。

脱線するが、ニーチェの「永劫回帰」について。この永劫回帰は「一回性の連続」という概念が基礎となる。転生思想のように「前世→現世→来世」と転生するのではなく、カセットテープの再生と同様に、同じ再生時間に同じ音が再生される如く、人生は再び繰り返すというもの。超人でない凡人には理解不能。

「虚数時間」というのもある。宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキングらは、1983年に発表した「無境界仮説」で、複素数にまで拡張した時間を計算に使用した。ここから、「宇宙の始まり」、「ビッグバン以前の時間」が虚数であれば、時間的特異点が解消されると主張した。これも文系頭脳の凡人には理解不能。

膨張を続ける宇宙。時間を逆回しにすると、どんどん小さくなり最後は1点「特異点」に集中する。これが、ホーキングらが発表した「特異点定理」。宇宙の始まりを考える時、一般的な「実数時間」ではなく「虚数(二乗すると−1になる)時間」を導入すると、「特異点は消失する」、つまり、つじつまが合う、らしい。

古典物理学、量子論以前の物理学における時間は「連続体」であり、「実数で表せる」とした。時間はいくらでも細かく分割可能ということ。けれども物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられる。映画フィルムのように一コマ以下の時間は存在しないという考えになる。

「分岐時間」という、時間が木のように枝分かれするという時間観もある。分岐後は複数の異なる歴史の世界が同時進行しているというSF的な世界観。これらの同時進行する世界同士を、互いに「並行宇宙」または「並行世界(パラレルワールド)」であると言う。量子力学の多世界解釈では、この「分岐時間」がツールという。

などなどある。つまりは各々の時間観とは各種世界観なのだ。そこで「時間」にまつわる名言を集めてみた。これもまた各種の時間観。「その日その日が一年中の最善の日である」(米国の哲学者、ラルフ・ワルド・エマーソン)。「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ」(帝政ロシアの小説家、レフ・トルストイ)。

「時間こそ最も賢明な相談相手である」(古代アテナイの政治家、ペリクレス)。「時はその使い方によって金にも鉛にもなる」(フランスの小説家、アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ)。「一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ」(スイスの心理学者、アレクサンドル・ビネ)。先人たちは実に良いことをおっしゃる。

相対性理論とか、光とか量子とか、空間の歪みだとかエントロピーだとか。そういった数式や定理での時間の捉え方ももちろん大切だけれど、「名言」で捉える時間もまた有意義だ。「毎日自分に言い聞かせなさい。 今日が人生最後の日だと。 あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう」。古代ローマの詩人にも教えられます。

そして最後に思うことは、「タイムトラベル」についての考察、「タイムマシン」の発明に向けての研究、といったテーマの方が、より実践的かつモチベーション高めな「時間考」ができるやも知れない、ということ。これはあらゆる哲学的テーマでも言えることなのだけれど、思考・世界の把握法はツールであるべきだ。「哲学のための哲学」などはもっての他!と、本ブログの副題を見つめる。

◇おしまい

2013年4月2日火曜日

「幸福な青年」考


ロシア帝国時代の小説家・ゴーゴリ(1809 - 1852)は、とても心に響く言葉を残している。「青年は、未来があるというだけで幸福である」。そう、青年は、輝く未来が待ち受けている、それだけで幸せ者だということ。僕(32歳)自身がもはや「青年」ではなく、「未来」が輝く保証はどこにもないとしても、実に救われる名言だと思う。

そして改めて僕は自身に問う。「僕は青年なのか」。そしてウィキペディアにも問う。するとこんな文言に出合う。青年とは、「狭義には、高校生・大学生といった、それらの学齢を含む15歳から22歳ごろまでを指す」。またそこでは、厚生労働省の“一部資料”では、15〜25歳ごろまでと定義されていることも教えてくれている。

なるほど、となると、僕はすでに青年の次のステージに否応なく突入しちゃっているようなのだ。つまりは、「少年」「青年」を過ぎ、「壮年」時代。先の“一部資料”の「健康日本21」では、青年期は24歳まで。壮年期は44歳まで。この時代を終えると、「中年」「熟年」、さらには「初老」「老年」の区分に“進級”していく。

もちろん、「青年」「若者」については、時代や社会、環境によって違ってくる。かつては、現在「子ども」扱いされる年齢で、世間は成人、大人とみなしていたし、みなされていた。例えば日本では、江戸時代以前の武家社会において、男子は元服し、前髪を剃り落とせば「一人前の大人」とされた。数え年で12〜16歳の時期になる。

ちなみに「青年」という語句は、1887~88年にかけて、メディアを通して広がった言葉ともいう。『「青年」の誕生―明治日本における政治的実践の転換』という本では、明治20年代初頭に、新世代を指す言葉として「青年」が誕生し、その現象の背景や政治的な転換を考察している、と“書評”にはある。

「青年は、未来があるというだけで幸福である」。この名言に触れ、「青年」について、いつものごとく浅いレベルで整理中。で、「青年期」についても触れてみる。「発達心理学で15、16歳から34歳または39歳頃までの性的成熟伴う急激な身体的変化が現れ、心理的には内省的傾向、自我意識の高まりがみられる時期」ともされている。

加えて「不安・いらだち・反抗など精神の動揺が著しい」、さらには「思春期と呼ばれる前半では身体的・性的に成熟し、後半では、自我意識・社会的意識が発達する」とも言われている、ウィキペディアでは。ルソーはこれを「第二の誕生」と呼び、ゲーテは「疾風怒濤の時代」、レヴィンは「境界人」(マージナル=マン)と呼んだ。

この範疇で言えば、「壮年期」なはずの僕は「青年期」に当たる。そして「不安・いらだち・反抗など精神の動揺が著しい」。けれど、32歳、それではまずい。現代社会においても。孔子の言葉を思い出す。子の曰く、「吾れ十有五にして学に志す」。「三十にして立つ」。「四十にして惑わず」。「五十にして天命を知る」……。

僕はもう独立していなければならず、あれこれと惑うことない40歳に向けて着実に歩んでいるべき中にある。けれどもそもそも「学に志す」のは、けっこう最近になってからだ。もうスタートからして遅れている。孔子は言う。「六十にして耳順がう」、「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」。かの時代の理想に追い付けるのか、僕。

ふと弱気になる最近。何度でも心の中で繰り返す。「青年は、未来があるというだけで幸福である」。この言葉、受け身ではいけない。自身を幸福にさせる未来、将来を輝くものにしていく責任も、青年にはあるとも思う。と同時に、自らの幸福にも気付くべきなのだとも思う。仮に僕が壮年であれ、中年であれ。誰もが未来を持っている。

◇おしまい

2013年3月19日火曜日

「世界陰謀論」考(参)


『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』(徳間書店)という本。僕はだいぶ前に読んだけれど、「ロスチャイルド家」研究には欠かせない一冊だった。「トンでも本」と認定している人もいる。「金融システム自体が悪みたいに書かれてあるから納得いかない」という批判もある。「引用元が信用できない」とか「ウソっぱち」とか。

その指摘はあまり間違っていないかもしれない。にしても、一つの世界観を提示する読み物としては面白い。つまりは「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」という世界観。Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」では、 『全部わかった! 国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ』をはじめとする“そっち系”が出てくる。

 ついでだからもう少し列挙すると『闇の世界金融の超不都合な真実 ロックフェラー・ロスチャイルド一味の超サギの手口』とか、『世界恐慌という仕組みを操るロックフェラー』とか、  『9・11テロの超不都合な真実―闇の世界金融が仕組んだ世紀の大犯罪』とか。 『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた〈上〉技術・諜報篇』とかもある。

要するに、僕が好きな“そっち系”のオンパレードになる。「ロスチャイルド家」関連本に、米国の大富豪一族「ロックフェラー家」があるのは興味深い。シカゴ大学とロックフェラー大学を創設した石油王、ジョン・ロックフェラーの一族。彼の息子は、ニューヨーク最大の不動産所有者になり、その息子は米国の第41代副大統領になった。

「ロックフェラー家」についてはまた今度整理してみるとして、今回は「ロスチャイルド家」について。ということで、『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』にも簡単に触れておく。ちなみに“世界の金融と産業を牛耳るユダヤ財閥の秘密”を書いた『ロスチャイルド家』 (講談社現代新書)を参照しないのは、こっちはややマニアックだから。

著者・安部芳裕氏は、1964年生まれ、関東学院大学卒業、「反ロスチャイルド同盟」主宰という。彼は国際金融資本が構想した「中央銀行制度」を批判する。またウォール街の錬金術に着目。投資銀行がマネーを生み出すための詐欺的なカラクリを“暴く”。たとえば、物々交換をしている村の住民に、銀行家が利子付きでお金を貸すところから。

借金をしたことで、村は活性化する。けれど、返済日に銀行家への利息が払える「勝ち組」と払えない「負け組」が生まれる。「負け組」は返済分と利息分を支払うために、身を粉にして労働をし続ける運命に追い込まれる。弱者は強者の奴隷になっていく宿命を固定化していく金融の仕組み、カラクリ。全部ロスチャイルドが作った、という。

ウィキペディアでは「ロスチャイルド家」はこう解説されている。「ロスチャイルド家(Rothschild)は、元来ユダヤ系ドイツ人の一族であり、18世紀からヨーロッパの各地で銀行を設立し、現在に至っている」。ディアスポラのユダヤ人、いわゆる“アシュケナジム”。南欧諸国に定住した“セファルディム”とともに、ユダヤ社会の二大勢力の一つだ。

「現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心」。「ドイツ語読みでロートシルトと呼び習わすこともある(赤い盾の意味)」。立派なロスチャイルド家(ロートシルト家)の紋章もウィキペディアでは紹介されている。その解説はこんな。

「この紋章は1822年にオーストリア政府(ハプスブルグ家)より、男爵の称号とともに授けられた」。ちなみにこの「ハプスブルグ家」は、オーストリア大公国をはじめ、スペイン王国、ナポリ王国、ハンガリー王国などなどの大公・国王・皇帝の家系。“源氏性を自称した日本の徳川家”みたく、ハプスブルグ家はユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称した。

そんな超名門・ハプスブルグ家から授かった紋章は、「盾の中には5本の矢を持った手が描かれ、創始者の5人の息子が築いた5つの家系を象徴している」。「盾の下には、ロスチャイルド家の家訓であるConcordia, Integritas, Industria(調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれている」とある。最高級ブランドの一族からの紋章、最高級の箔付けだ。

「ロスチャイルド家」研究第一弾の今回は、ざっくりなまとめだけにしときます。その初代は、初代“アシュケナジム”のマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812年)。彼は神聖ローマ帝国・帝国自由都市フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)で、銀行家の4男として生まれた。一族の家紋は、父親が開いた銀行の紋章でもある。

「ロスチャイルド財閥」の発端は、マイアーがドイツで開いた古銭商・両替商。彼はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世との結びつきで、その経営の基礎を築いた。そして欧州各地に支店を置き、ネットワークを構築。彼の5人の息子が、フランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリの各支店を担当した。この5人兄弟の助け合いが一族の繁栄をもたらした。

特に「総司令官」と呼ばれたロンドンのネイサン(1777-1836年)と、末っ子のパリのジェームスが大成功。「ネイサンはナポレオンが欧州を席巻する中で金融取引で活躍し、各国に戦争の資金を融通」。また「ワーテルローの戦いでナポレオン敗退の報をいち早く知ると、英国債の空売りによる暴落を誘導後に一転買占めた取引で巨額の利益を得」た。

いわゆる「ネイサンの逆売り」だ。独自の情報網でナポレオン敗北の報をいち早く入手したネイサンは、セオリーと逆に猛烈な売りに出た」。これに市場は「ナポレオン勝利」と判断。即座に反応して売りが集中、株価は暴落した。そこでネイサンは一気に買いに転じ、多くの株を紙屑同然の値段で取得。その量は、何と上場されていた全国債の62%に上る。

この「ネイサンの逆売り」で、ネイサンは英国金融界での地位は盤石に。一方、末っ子ジェームスは「当時の成長産業だった鉄道に着目し、パリ~ブリュッセル間の北東鉄道を基盤に事業を拡大」。天然資源の採掘事業にも融資した。1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上で、これはフランス全金融業者の総資産推定額・1億5000万フランの4倍の値だったという。

ジェームス系、「パリのロスチャイルドは、1870年に資金難にあえぐバチカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたバチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている」。

ネイサン系、「ロンドンのロスチャイルドは、政府にスエズ運河買収の資金を提供したり、第一次世界大戦の際にパレスチナでのユダヤ人居住地の建国を約束させる(バルフォア宣言:後のイスラエル建国につながる)など、政治にも多大な影響力を持った。特に保守党(トーリー党)のディズレーリとの政商関係が有名」。

最後に、一族の企業設立や資本家支援について記述された「企業や資本家への支援事業」の項を参照。支援企業は、世界最大のダイヤモンド採掘量を誇るデビアスをはじめ、鉱物メジャー大手のリオ・ティント、イギリスの生命保険最大手のRSA・インシュアランス・グループ、JPモルガン・チェースやモルガン・スタンレーの前身など錚々たる面子。

もっかい紋章について振り返る。「盾の中には5本の矢を持った手が描かれ、創始者の5人の息子が築いた5つの家系を象徴」。「盾の下には、ロスチャイルド家の家訓であるConcordia, Integritas, Industria(調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれている」。この紋章の下、現在も「ロスチャイルド」一族は世界経済に君臨している、という陰謀論。続きはまた今度。


◇つづく



2013年3月14日木曜日

「知の巨人」研究・3

また一人、僕ら人類は、「知の巨人」を失った。文化人類学者の山口昌男が、先日逝去した。「スポニチ」では、こう報じている。「フィールドワークに基づく独自の文化理論で知られる文化人類学者で元札幌大学長の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳。北海道出身」。

「知の巨人」研究の第3弾は、彼を偲び、敬称略で山口昌男。スポニチはこう経歴をまとめている。「1955年に東大国史学科を卒業後、麻布中教諭を経て、東京都立大(現首都大学東京)大学院で人類学を学んだ」。「65年から東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所を拠点に、アフリカやインドネシアなどの現地調査を続けた」。

アフリカやアジアなどでのフィールドワークでは何をしていたか。というと、「両性具有(インターセックス)」や「トリックスター」をテーマとした研究。トリックスター とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと(by Wikipedia)。その成果は『中心と周縁の理論』で発表した。

スポニチ記事を続けると、山口昌男は「構造主義や記号論を日本に紹介したほか、現地調査を基に社会秩序の生成過程を解明した『中心と周縁理論』、道化の役割に注目した『トリックスター論』などで70年代から80年代の文化状況をリード」。「歴史から政治、芸術までを横断する圧倒的スケールの知の巨人として」、同時代に大きな影響を与えた。

この「圧倒的スケールの知の巨人」という表現、最大限かつ最高峰の褒め言葉だ。実にうらやましい頭脳・行動力があった。「90年代以降は福島県の廃校からの文化発信活動や、99年に学長に就いた札幌大で独自の大学運営を展開するなど、既成の枠にとらわれない自由な発想で行動した」。つまり、学問領域の枠を超え、日本の思想・文化をけん引した。

「東京外語大名誉教授。アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大教授のほか、ナイジェリア、メキシコなど海外の大学でも講じた。酒場や見せ物といった“祝祭的”な現場を愛する行動派の知識人で、自ら漫画も描き、フルートやテニスを楽しんだ」。他紙の報道と比べ、スポニチ記事が一番まとまっているし分かりやすい。から借用してみた。

2011年、文化功労者。著書に『アフリカの神話的世界』『知の遠近法』『歴史・祝祭・神話』『文化と両義性』など。96年『「敗者」の精神史』で大佛次郎賞受賞。残念ながら僕は『知の遠近法 』(岩波現代文庫)にしか触れたことがない。というわけで、今回の訃報を、僕は「圧倒的スケールの知の巨人」の著書に触れていくきっかけとしていきたい。

◇合掌


2013年2月22日金曜日

「世界陰謀論」考(弐)


試しに「世界陰謀論」でGoogle検索してみると、2013年2月22日時点で、以下の順序でサイトがヒットする。「陰謀論の一覧 - Wikipedia」、「世界の陰謀論10選 | ロケットニュース24」、「陰謀論 - アンサイクロペディア」、「ユダヤ陰謀説のウソ」……。で、僕はやっぱりウィキペディアさんに情報を求めたりする。

この思考、つまり「ウィキペディアさんに情報を求めたりする」行為は、非常に危険なのは承知している。精度にも問題があるかも知れないし、誰が責任を持って記述しているかも不明だからだ。けれど、コンビニの500円本が大好きな僕にとっては、その辺のところは「まあ楽しめればいいんじゃないの」的に捉えている。

で、今回は「世界陰謀論」考の第二回。前回同様、いや、他の記事同様、あくまでも僕による僕のためのメモとして、“ネット公開情報をまとめてみる作業”をしてみる。デジタル化された、つまり電子データ化された、あるいは一度「0」と「1」のビットに分解され結合された情報の個人的収集。本稿には新発見はないはずだ。

で、今回注目したいキーワードは『シオン賢者の議定書』。英語では「The Protocols of the Elders of Zion」。この文書についてはいろいろ表現されている。「ユダヤ人の恐るべき悪魔的世界征服計画陰謀書」だったり「20世紀最大の怪文書」だったり。あるいは「ユダヤ指導者による世界の操りプロジェクト」だったり、「ユダヤ王国再興世界支配計画」だったり。

『シオン賢者の議定書』は、「秘密権力の世界征服計画書」という触れ込みで広まった会話形式の文書という。1890年代の終わりから1900年代の初めにかけてロシア語版が出版。以降、『ユダヤ議定書』、『シオンのプロトコール』、『ユダヤの長老達のプロトコル』とも呼ばれるようになったものという。

ユダヤ民族がいかに非ユダヤ人を含めた世界を統治していくか、がその内容。「世界征服マニュアル」だ。それは政治・経済から教育、報道についてまで幅広く網羅したマニュアルで、実に巧みな統治制度が提示されている。それは「偽書だ」と言っても信じない人がいてもおかしくないほどのリアルさがあった。

実際、現代の財界などでのユダヤ人の優勢などを見ると、符合部分も少なくないという。こんな表記もあるようだ。「われわれユダヤ人は、…中略…、非ユダヤ人のとうてい考え及ばぬ数々の誘惑手段を考案し、彼らを意のままに操縦してきたが、こうした頭脳手腕にかけてはユダヤ人は専門家である」。

その内容はさておき、ウィキペディア該当ページ冒頭では、「ユダヤ人を貶めるために作られた本」説が紹介されている。ゆえに「ドイツのナチスに影響を与え、結果的にホロコーストを引き起こしたとも言えることから『史上最悪の偽書』、『史上最低の偽造文書』とも呼ばれている」。信用ならぬでっちあげ本ということだ。

『シオン賢者の議定書』には、さまざまなネーミング、あるいはレッテルが貼られている。それだけ、実に興味深い文書なのだ。「で、一体この文書は何なんだよ!」となる。この文書は1897年8月29日から31日にかけて、すなわち3日間、スイスのバーゼルで開かれた「第一回シオニスト会議」の席上で発表されたという体裁の文書。

ちなみに「シオニスト会議」とは「ユダヤ人代表会議」のことで、「パレスチナにユダヤ人のための、国際法によって守られたふるさとを作る」目標があった。で、『ユダヤ議定書』あるいは『史上最悪の偽書』は、この会議での「シオン二十四人の長老」による決議文であるという体裁をとっている。

そしてウィキペディアでは「1890年代末から1900年代初めにかけてロシア帝国内務省警察部警備局により捏造されたとする説が有力」と話しを進める。「1920年にイギリスでロシア語版を英訳し出版したヴィクター・マーズデンが急死したため(実は原因は伝染病)、そのエピソードがこの本に対する神秘性を加えている」。

一般人だけでなく、あのヒトラーなども「秘密権力の世界征服計画書」を熱狂的に支持した。ヒトラーはこんな風に支持した。「歴史的に真実かどうかなどはどうでもよい。内容的に真実であれば体裁などは論ずるに足らん」。そして最終的にホロコーストを実施した。通説では600万人以上が犠牲者となった。

“出火元”ロシアでは、ソビエト時代になると発禁本とされた『ユダヤの長老達のプロトコル』。同書の所持でも死刑があり得たという。研究者からは、既に発行されていたモーリス・ジョリー著『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』(1864年)との表現上の類似性が指摘されている。

この「地獄対話」は、イタリア・ルネサンス期の政治思想家「マキャベリ」の名を借りて、“フランス第二帝政の皇帝”の「ナポレオン3世」が行っていた“非民主的政策”と“世界征服への欲望”をあてこすったものであるいう。代表作に『レ・ミゼラブル』があるヴィクトル・ユーゴーも、「ナポレオン3世」を痛烈に批判していた。

『シオン賢者の議定書』は、地獄対話の内容の「マキャベリ(ナポレオン3世)」の部分をユダヤ人に置き換え、大量の加筆を行ったものとされるらしい。それが判明し、1921年に英誌『タイムズ』は『シオン賢者の議定書』が偽書であると暴露した。「ユダヤ人の世界陰謀説なんてもんはねーよ!」とばらした。

『タイムズ』の編集部による『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』と比較した報道のため、英国では「陰謀論」熱は冷めてしまった。けれど彼の地ドイツでは違った。「オカルト」を政策の宣伝として積極的に利用、その中で本書も反ユダヤ主義の根拠として積極的に利用していった。

諸々を省略すると、「このようにプロトコルは出所も作者も曖昧だが、後年、幾つかの状況証拠から、いずれにせよ当時フランス国内で諜報活動を行っていたロシア秘密警察の幹部が部下に命じてパリで捏造したものとみられている」とある。

「数多ある偽造文書の中でも、この『シオン賢者の議定書』ほど、人類にとって災厄をもたらしたものは例がない」と言う人もいる。けれど信じた人がいた。信じた人がいたことで、あるいはあえて信じたことで、多くの命が失われた。つまり“陰謀論”は利用される存在でもあった。

ただ、実際には世界に「陰謀」は無くはないと思われる。単純な構造であれ。経済・軍事大国の米国による世界統治思想は世界に影響を与えているだろうし、某宗教団体の政党・政治活動を通じた社会的影響力の強化、世界的大企業によるロビー活動もある。というわけで、引き続き「世界陰謀説」考をしていってみる。

ちなみに、『シオン賢者の議定書』の「われわれ」の部分を自分あるいは身内の仲間たちに置き換えてみると、世界征服は可能なのであろうか。であるならば、「世界征服マニュアル」を活用している連中はいるのだろうか。いや、もしかしたら、例えば某大学の学閥みたく、すでに活用されているのかも知れない。

◇つづく

2013年1月30日水曜日

ぐるぐるグルコサミン考。


久しぶりの“記事更新”についてはスルーさせてもらうことにして、ふと「グルコサミン」が気になったものだから、この物質・存在についての情報整理をしてみたい。「ぐるぐるぐるぐるぐるこさみん♪」のテレビCMなどで、巷で販促されているソレについて。

さっそく「ぐるぐるぐるぐるぐるこさみん♪」のCMを流す世田谷自然食品のサイトを見て見ると、「累計売り上げ個数1400万個突破!」と喧伝。「多くのお客様にご愛飲いただいて」いるという。けれど該当ページを見ても、「グルコサミン」が何なのか、よく分からない。分からないような表記しかない。

おそらく医薬品等の広告規制(薬事法)の関係もあるだろう。見出しはこんなだ。「歩く・散歩など毎日の快適な生活に。大切なのは“軟骨成分”。『グルコサミン+コンドロイチン』」。「グルコサミン」とは何なのか分からない人たちに向けて、さらに「コンドロイチン」と新ワードを追加する。

「グルコサミン」とは何なのか。なぜ「多くのお客様にご愛飲いただいて」いるのか。ちょっとだけヒントになる文章があった。「グルコサミンやコンドロイチン、コラーゲン、ヒアルロン酸等は、歳とともに、不足していきます。そこで大切なのは軟骨成分です」。

続けて「新しいグルコサミンやコンドロイチン等の成分を補充してあげることをおすすめします」とある。うーん。この文章を式にすると「グルコサミンはコンドロイチンと同じ何か=軟骨成分」。「グルコサミン=コラーゲンと同じ効能を持つ」といったところだろうか。

Wikipedia先生によると、「グルコサミン」は「C6H13NO5」。「グルコースの一部の水酸基がアミノ基に置換されたアミノ糖の一つ」だそうだ。もう途端に分からなくなる。さらには「動物においては、アミノ基がアセチル化されたN-アセチルグルコサミンの形」という。

ついでに言うと、「糖タンパク質、ヒアルロン酸などグリコサミノグリカン(ムコ多糖)の成分」だってさ。辛うじて僕に通じそうなのは「グルコサミンは、自然界ではカニやエビなどのキチン質の主要成分として多量に存在している」という箇所。けど「キチン質」って何だ。

そんな風にして、巷で“ブーム”となっている「グルコサミン」については、さっぱり分からない具合なのだ。きっと高齢者の方たちも実はさっぱり分からないで“ご愛飲”しちゃっているのではなかろうか。まあ、僕たちは「ビタミン」や「たんぱく質」すらも良く知らずに飲食しているのだけれど。

少しづつ整理していってみる。「グルコース」は「ブドウ糖」。広義では「三大栄養素」の炭水化物(糖質)と同義とされる。僕たち人間はもちろん、動物や植物が活動するためのエネルギーとなる物質の一つが「グルコース」だ。「グルコサミン」はこのグルコースの一部のなんちゃらかんちゃらなのだ。

化学の世界では、「-OHで表される原子団」のことを「水酸基」というらしい。あるいは「ヒドロキシル基」と呼ぶ。この「水酸基」を持つ化合物は、「水、金属の水酸化物、酸素酸、アルコール、フェノール、カルボン酸などがある」(百科事典マイペディアの解説より)。

「グルコサミン」=「グルコースの一部の水酸基がアミノ基に置換されたアミノ糖の一つ」=「炭水化物の一部の“-OHで表される原子団”がアミノ基に置換されたアミノ糖の一つ」。うーん、「アミノ基」って何だ。「アンモニアの水素原子を炭化水素基で置換した化合物の総称」らしい。

そうやってネットに浮かぶ“知のネットワーク”を駆使しながら、言葉を取っ換え引っ換えしていく。こうして「グルコサミン」について迫りながら、まずは化学の勉強をイチからやり直さねば、との思いに至る。もしかしたら「おじいちゃん」「おばあちゃん」たちも放送大学などで勉強し直しているかもだけど。

で、別の「グルコサミン」紹介サイトを参考にすると、「グルコサミン」はカニやエビなどの甲骨類の抽出精製物。僕たちヒトでは、軟骨や爪、靱帯などにあり、軟骨細胞を形成する成分。関節部分の細胞の新陳代謝に重要な役割を果たす。という。ふむ。

そもそも加齢や運動不足などで軟骨の再生不良が起きると、腰痛や膝の痛みが発生し、関節炎などに進行することがある。そこで「そうだ! グルコサミンがあるではないか!」という図式。「膝の痛みに効く」、「関節の動きをなめらかにする」らしい。

さらには「コンドロイチン」。これは軟骨組織や関節液に存在するもので、「グルコサミン」が「コンドロイチン」の主原料となるようだ。コンドロイチンは、タンパク質、核酸(DNA)に続く“第三の生命鎖”として注目されている糖鎖化合物「ムコ多糖」という。

「ムコ多糖」。コンドロイチンは、タンパク質に結合して存在する。このことから成分的には「ムコ多糖類」という分類がされていて、「タンパク質をもつ多糖」という意味らしい。糖鎖化合物の一種で、文字通り糖が鎖状につながった複雑な形をしている。

「コンドロイチン」と「グルコサミン」は、その性質はよく似ている。ともに動物の体内に多く存在するし、軟骨の再生に大きな影響力がある。ただ、「コンドロイチン」が保湿などの特性で軟骨の維持や保護を助けるのに対して、「グルコサミン」は軟骨の再生そのものに役立つ。

よって、「グルコサミン」で再生された軟骨は、「コンドロイチン」で保護、維持されていく……。などなど、デジタルネット空間の情報を拾い集めてみると、何となく「グルコサミン」の全容が見えてきた。と同時に、人間、生命体の複雑なシステムにも気付かされる。

「生命とは何か」という問いに迫る『生物と無生物のあいだ』 (講談社現代新書)には、こんな言葉がある。「私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない」。その分子の淀みは、加齢とともにさらに淀む。それへ抗う手段の一つが「グルコサミン」。

生物と無生物のあいだを隔てるもの。その一つには“自己複製”の有無がある。そして自己複製後、それは劣化する。僕らはその劣化に抗う。劣化以外にも抗う。抗いながら生きていく。歴史が生まれ、思想が生まれ、健康食品も生まれる。うん、実に複雑な生命・歴史・社会システムだ。

◇おしまい

2012年12月13日木曜日

スペインの現代哲学者について


さて、突然ですがスペインを代表する哲学者は誰でしょう? と訊かれても、僕は「うーん、誰がいたっけ」と即答しかねていた。哲学と言えばドイツ哲学やフランス哲学とかの“有名人”はすぐ頭に浮かぶのだけれど。僕の無知はさておき、もちろんスペインにも、そしてけっこう「哲学者」はいる。

今回はその一人、ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴ(1864-1936)についての情報整理。それも23段落とかなり長文の整理になりますが。はい、このミゲルさんは「スペインを代表する哲学者」または「スペインを代表する文学者」とされているお方だ。詩人でもあり、劇作家でもあった。そして濃い人生を送った。

ミゲルさんは、いわゆる「98年の世代」にあたる。1898年、米西戦争が起きた年。日本では明治31年。「98年の世代」については世界大百科事典によれば、「1898年の米西戦争の敗北で祖国が最後の植民地を失ったとき、スペインの後進性を痛感し、苦悩のうちに未来を模索した作家たちを〈98年世代〉と呼ぶ」とある。

特定の思想家や芸術家ら一群に付けられた呼称「98年の世代」。その中心となったのは「《生の悲劇的感情》で理性と信仰の葛藤を論じ、それをヨーロッパとスペインとの関係にまで広げたM.deウナムノ…省略…らである」。ここではミゲルさんは「M.deウナムノ」と呼ばれているようです。

調べてみると、ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴさん、「ウナムーノ」の呼び名が一般的。彼は“スペイン思想界に大きな影響を残した一人”で、「思想面では哲学と詩の両面から生と死、あるいは自己の問題などに取り組み、実存主義的な思想家として知られる」(wikipedia)。ん、知ってました?

スペインの現代思想家「ウナムーノ」。僕はつい先日、知りました。彼の生まれは、現在も独立運動でも有名な、スペイン北部・バスク地方のビルバオ。ピカソの絵で知られるゲルニカから約20キロ西の場所にある。この都市は現在、“スペイン北部屈指の港湾都市”で、鉄鋼業が盛んなようです。

ちなみにピカソの『ゲルニカ』に触れておくと、「スペイン内戦」の1937年、フランコ将軍を支援するナチスがゲルニカを空爆。その「史上初の都市無差別空爆」を聞いたピカソが抱いた激しい感情・思いをぶつけた絵が『ゲルニカ』だ。今回の“主人公”ウナムーノは出身地近郊で起きたこの空爆の前年に他界している。

話は1880年、あるいは僕が横浜で生まれたちょうど100年前に戻ります。ウナムーノはスペインで2番目に古い歴史のマドリード大学へ入学し、文学・哲学・言語学を専攻。で、その後を端折ると、彼は博士号を取得後、個人教授となります。そして社会主義に傾倒したり、結婚したり。やがて名門サラマンカ大学で、ギリシア語の教授に就任。

1895年、日本では明治28年、ウナムーノは『生粋主義について』を発表。これは、「スペインの歴史を振り返り、真のスペイン思想やスペイン国家とは何かを説いた著作」(wikipedia)で大きな反響を呼ぶ。その翌年もウナムーノ史での重大出来事。誕生した息子が、脳水腫で他界した。このことは、彼に「死」の問題を突きつけた。

ところでウナムーノが教授に就任したサラマンカ大学は、1218年設立の現存するスペイン最古の大学だ。「知識を欲する者はサラマンカへ行け」と言わしめた名門校で、オックスフォード大学やパリ大学、ボローニャ大学などとともに欧州でも設立の古い大学の1つと知られている。ん、これは知ってました。

このサラマンカ大学は、サラマンカの旧市街とともにユネスコの世界遺産に登録。スペインの大航海時代は天文学などに基づいた航海計画などで支え、宗教改革後は欧州におけるカトリック神学の中心地としてカトリックを支えた。スペインの繁栄を支えた智の殿堂と言える。

そんなサラマンカ大学の総長に1900年、ウナムーノは選出。つまりスペインの知の最高峰の最高位に就任した。この頃に「実存主義の創始者」あるいは『死に至る病』(1849)で有名なキルケゴール(1813 - 1855)の哲学を知り、デンマーク語を修得。キルケゴールの思想は、ウナムーノの実存主義的な思想に多大な影響を及ぼした。

「ウナムーノはヨーロッパ思想界の中でもかなり早い時期からキルケゴールの思想の独自性に注目していた先駆的な存在であった」との記述もあるように、いま多くに知られたキルケゴールと、“当時のキルケゴール”は、きっと違う。そんな中で彼は彼を見出した。ウナムーノ、キルケゴールを発見。

生誕40周年の1904年、日本では日露戦争開戦の年、ウナムーノは『ドン・キホーテとサンチョの生涯』を執筆。この著書は、ウナムーノの代表的な作品と言われる。セルバンテスが描いた「ドン・キホーテ」の生き方に、真のスペイン人としての生き方・倫理観がある、とのウナムーノの考えが反映されている、という。

『ドン・キホーテとサンチョの生涯』。ウナムーノは、自らを伝説の騎士と思い込んだ主人公「ドン・キホーテ」を自分流に解釈し、人生や死の問題、あるいは自己というものにアプローチした、ようだ。で、その後『人間と民族における生の悲劇的感情』(生の悲劇的感情)を出版。これはこれで彼の哲学の代表作となった。

駆け足の“ウナムーノ史”となっている。1914年、第一次世界大戦が勃発。その年、ウナムーノは「反政府的」という理由で、大学総長を罷免される。独裁政権を強く批判していたことが響いたのだ。さらにはサラマンカからの追放も決まり、カナリア諸島への島送りされた。最も大陸に近い島でも、アフリカ大陸から100km強の距離の諸島へ。

後にカナリア諸島から脱出したものの、1930年までフランスで亡命生活を余儀なくされる……。そんな彼の人生をざっと眺めていると、「人生何が起こるか分からない」と思う。なぜなら、この一連の政治的事件で、ウナムーノに一層注目が集まることになったからだ。独裁政権が崩壊し、ようやくサラマンカに帰った彼は、市民から熱烈な歓迎を受けたという。

長いウナムーノの人生も、そろそろ佳境に入る。ここまで、まとめ過ぎた。「1864年バスク地方出身→学生→大学教授→総長→追放→亡命生活(カナリア諸島とフランス)→帰国」。「わけ分からん」というくらい駆け足した。で、1931年、 故・いかりや長介が生まれた年に、スペイン第二共和政が成立した。

「スペイン第二共和政」は、1939年にフランシスコ・フランコが独裁体制を固めるまで続いたスペインの共和政体。王族は国外へと追放された。そんな折、ウナムーノは国会議員になる。その3年後、サラマンカ大学終身総長になる。不死鳥のごとくの復活。けれども1936年に「スペイン内戦」。彼は反戦を説いた。で、再び大学を追放された。不死鳥、再び散る。

知の巨人でもあった不死鳥は、散ったまま終わった。1936年12月31日、ウナムーノは失意のまま、自宅で72歳で息を引き取った。最後に見た天井は、どんな風に見えたのだろうか。72年間、文筆しまくり、大学総長にもなり、フランスでも暮らし、政治家にもなって。その果てにあったのが、自宅軟禁だった。

彼の思想はその後、哲学者・オルテガ(1883 - 1955)など、スペイン哲学に大きな影響を与えた。というウナムーノの生涯。その大きな影響を与えた思想については、今回ほとんど何も触れてもいないのだけれども、または今後も触れそうにないけれど、「スペインの現代哲学者について」考。スペインを代表する哲学者に、ウナムーノさんがいました。その発見と、記憶定着作業。

ウナムーノさん(1864-1936)の復習。「スペインを代表する哲学者」または「スペインを代表する文学者」で、詩人であり、劇作家でもあった。「98年の世代」で、実存主義的な思想家。「サラマンカ大学総長」になったり、『ドン・キホーテとサンチョの生涯』を執筆したり。国を追われ、帰国後に国会議員になったり。そして日本で「二・二六事件」が起きた年に、72歳で逝った。

実に濃い人生。まとめるのもシンドイほど濃い生涯だ。自分が書いた以上の文章すら、僕は読み返したくないほどだ。長文にならざるを得ない複雑な人生を経て、ただでさえ賢い部類の人の世界観が、一般人、あるいは凡人と同じはずがない。もう一度、彼の死の床から見た天井がどのように見えたのか、想像してみる。

◇読了おつかれさまでした