2012年7月18日水曜日
黙示録について(1)
FOXチャンネルのドラマ番組『ウォーキング・デッド』を、昨晩何気なく観た。最初どんな物語か全く分からなかったが、それもそのはず、“ゾンビによる世界の終末の後の物語”という、そっち系の米国ドラマ。意外にヒットした“終末もの”らしく、第2シーズンまで放送されているそうだ。
“終末もの”は、「アポカリプス作品」とも呼ばれている。僕はそう呼んだことはないのだけれど、「ゾンビ系」や「核戦争系」、「宇宙人襲来系」、「隕石衝突系」、「大地震・津波系」などさまざまある。「あちゃーこりゃアカンわぁ、世界の終わりやわぁ」な世界観が、作品で展開される。
観ているこっちはこっちで、ヒヤヒヤしながらも、現実の「安全圏」内にいることへの安堵感もあったりする。「なんだかんだ、おいらは死にません。映画館はエアコン効いてるし、ポップコーンだってコーラだってあるしね!」みたいな。
ホラーアクション映画『バイオハザードII アポカリプス』(主演:ミラ・ジョヴォヴィッチ)にも、「アポカリプス」の言葉があるけれど、この「アポカリプス」。キリスト教用語で「黙示」という意味がある。フランシス・フォード・コッポラ監督による戦争映画『地獄の黙示録』の原題は『Apocalypse Now』。現代風直訳は「黙示なう」。
wikipedia先生によると、「黙示」とは「初期のユダヤ教およびキリスト教において、神が選ばれた預言者に与えたとする『秘密の暴露』、またそれを記録したもの」だ。そして「黙示を記録した書を黙示文学(もくしぶんがく)という。黙示文学はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の伝統において極めて重要」とされている。
「黙示」でキリスト教徒が真っ先に思い浮かべるのが、新約聖書最後に配置された『ヨハネの黙示録』だ。意味不明過ぎて極めて宗教的な内容。ルカの福音書などより、キリスト教を宗教たらしめる書物と僕は思っている。例えば「サタンは底知れぬ所に封印されるが、その後しばらく自由の身となる 」(20:1-3)といった具合。
『ヨハネの黙示録』、実はこの著者が誰だかははっきりしていない。ヨハネさんが書いたかどうかも怪しい。あくまで文中で著者が「ヨハネ」を名乗っているに過ぎないからだが、聖書研究家の中では、「筆者は使徒ヨハネではないか」ってことになっている。イエス12弟子の一人で、ヤコブお兄ちゃんと一緒に漁師から弟子になった人物だ。
この使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』の中で、終末において何が起こるかを記した。あるいは世界の終わりについて見た幻を語る。7人の天使がラッパを吹く話も記述する。第一のラッパにより、地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼けるという。はっきり言うと、ぶっ飛んでいる。
僕はそんな『ヨハネの黙示録』にこそ、キリスト教の核心を見つけている。というわけで、僕の新たな思索テーマに、『ヨハネの黙示録』が加わりましたー、パチパチパチパチ。こんな風にして僕の哲学テーマ、情報整理シリーズが増えていき、結局何も「終末」を迎えられない気がしております。
「終末についての考察に終末はあるのか」あるいは「終末に辿り着けるのか」。こうしてこの“なんちゃって哲学”なブログは、ある種『リトモの黙示録』と化すのであーる。パチパチパチパチ。
◇つづく
2012年7月13日金曜日
「世界陰謀論」考・序
映画やドラマには脚本がある。出演者の涙や笑いは演技だし、“野外”と思える舞台は実はスタジオだったりする。CG合成もある。それら演出や裏側を知っていてなお、僕らは映画やドラマを観て一喜一憂する。
「どーせフィクションだし(笑)」とはならない。なる場合もあるけれど、僕らはあえて、その「フィクション」を楽しむ。楽しめる能力がある、と言った方が良いかも知れない。そこには「フィクション」か「ノンフィクション」かは、あまり関係ない。
僕が大好きな「陰謀論」も、そんなレベルで好み、受け入れ、理解する。「その陰謀が本当だったら、この世界まじスゲー」とか、「やっぱロスチャイルド家が絡んでるのね!さすがー」とか。「なるほど、フリーメイソンが歴史を動かしてた、とするともろもろ納得できるぜ」とか。
「陰謀論」を支持したい気持ちになるのは、なんかゾクゾクしてくるのからでもある。「この世界は、実は○○が支配している」とか。そしてもしそれが真実だとしても、下層階級の庶民には知られることはない。この“知られない仕組み”も、支配者は用意していて、反乱が起きないようになっている。
“知られない仕組み”、つまり“秘密にされていること”。ベールに覆われ、特権階層にしか、特定集団にしか知られない真実。あるいは「極秘」「非公開」。ちょっとスパイの世界にも通じ、だからこそより暴きたくなるし、知りたくなる。情報として。
「この世界は、実は○○が支配している」という説。中にはバカバカしい陰謀論もたくさんある。宇宙人支配者論だとか。けれども「この世界は、実は○○が支配している」の○○が、何かの宗教、神様だったら、また別の話になるのだろうか。
たとえば実はこの世界は、宇宙を含め、ヤハウェが支配している。人間は大仏様の手の内からは逃れられない。とか。これをバカバカしいと捉えるか、信仰の問題に発展させるのかは人それぞれだと思う。だけど、そう、僕にとっては宗教も、ある種の「陰謀論」の枠として認識しているのかも知れない。そう思う。
まあとにかく僕は、これからじっくり回を重ね、数々の「陰謀論」を考察していきたいと思っている。「お前はホント暇人やね」と言われそうだが、「うん、そうなんよ」ということなのだ。少なくとも「陰謀論」を考察するくらいの時間はある。それを出力する能力は不足してはいるけれど。
ちなみに、有名な陰謀論のごく一部を挙げていくと、「ユダヤ陰謀論」「 新世界秩序陰謀論」「財閥陰謀論」がある。ある「陰謀一覧表」には、「創価学会および在日朝鮮韓国人にまつわる陰謀説」や「世界統一政府陰謀説」、「アポロ計画陰謀論」とか。
「地震兵器」や「気象兵器」といった眉唾ものもある。いや、眉唾ものこそ、この陰謀論界において価値が高い。「遺伝子組み合わせ陰謀説」や「世界大恐慌陰謀説」、「天皇すり替え説」「ナチス陰謀論」などなど。
もし僕が何かをこのどーしよーもないブログで暴いたとする。すると僕はある組織に命を狙われることになるかも知れない。だからこれは非常に危険な考察になる。なんてことを考えていくわけで、もはや「陰謀論」がまずいのか、「考察する脳ミソ」がまずいのか分からなくなる。
これもドラマや映画と同じ楽しみ方。妄想力。なんてことを書いているこのブログも、何かの組織の宣伝活動、捏造活動かも知れない。うん。そうすると僕は、何らかの組織のエージェントなり会員なり信者ということになる。真実は全て隠されている。
◇おしまい
2012年7月12日木曜日
「コルビュジエ」考
近代建築を語る上で外せないのが、「近代建築の五原則」というもの。僕が好きな建築家、ル・コルビュジエ(1887- 1965)が提唱したもので、「新しい建築の5つの要点」が正確な訳語らしい。
で、何が近代建築の要点かというと、(1)ピロティ、(2)屋上庭園、(3)自由な平面、(4)水平連続窓、(5)自由な立面。1931年にパリ郊外で建てられた、「Villa Savoye」あるいは「サヴォア邸」が、その原則を存分に取り入れた、最高傑作とされている。
緑の芝生の中に設けられた、四角い空間。そこに建つ白い建造物。2階部が浮いて見え、屋上庭園はプライバシー保護の観点から外からは隠された設計。構造は鉄筋コンクリート造。「サヴォア邸」は今となっては、“よくある近代建築”に見えるが、その当時の斬新・衝撃度は半端なかった。
もちろん、今でもその“新しさ”は際立っている。実際、「サヴォア邸」のような建築物をしょっちゅう見るかと言うと、そんなでもない。つまり主流でない。僕は思うのだけれど、やはり“建築の美”、その一部は、主流でないところに根源がある気がしている。
その観点で言えば、日本の街や農村に建つ西洋建築、洋館が観光スポットになりがちなように、ヨーロッパの街に日本式建築があれば、現地の人々からは観光に値する、「何だか美的建築かも!」と思うことになる…ならないかもだが。まあ個人的に「美には希少性も関わっている」と思っているのです。
話は飛んでしまったけれど、「サヴォア邸」は、「新しい建築の5つの要点」を“発見”した張本人、ル・コルビュジエの設計。彼は1887年生まれだから、彼が40代半ばにデザインしたもの。そしてフランス語で「杭」を意味する「ピロティ構造」をしっかり取り入れている。
話はまた飛んでしまうが、僕はかつて法政大学の市ケ谷キャンパスに通っていた時代がある。この大学のメイン校舎中央には、どーんと「ピロティ」があった。そのピロティ下で、酒好きな学生たちで、宴会して遊んでいた記憶がある。けっこうやっていた。今思えば、そうした“ピロティ下の思い出”は、ル・コルビュジエがいたからあるようなものだ。過言でなしに。
そこで僕とル・コルビュジエはつながってくる。僕らは生きる時代も住む国も異なるが、交差してくる。絡んでくる。ピロティ下の思い出、その一点においてのみかも知れないけれど。うん、ル・コルビュジエは僕の人生、記憶、行動に、間違いなく影響を与えた。全くもって大した影響とは言えないのだけれど、過言でなしに。
そんなル・コルビュジエ。すごく簡単にこの偉大な建築家の情報を整理すると、「近代建築の三大巨匠」とされ、フランスで主に活躍、“モダニズム建築”を設計。鉄筋コンクリート造や鉄骨造という新技術を背景に、「近代建築の五原則」を唱え、機能的・合理的で、地域性や民族性を超えた普遍的なデザインを追求した。
いろいろ作品を残したが、今回は「サヴォア邸」のみに触れておこう。なぜなら、もうパソコンの電源を切る時間になってしまったから。「現代残業の五原則」を、いつか僕は提唱することになりそうだが、その一つには、「強制終了があり得る」を入れておきたい。例えば、こんな風に。全て中途半端に。
ぷちっ。
◇おしまい
「西周」考。
「にしあまね」と読む西周(1829ー1897)。「哲学」という日本語を作ったことで知られている。「philosophy」を「愛知」とか「愛智」とかでなく、「哲学」と訳したセンス、僕はけっこう好きだ。「哲」には、「道理に明るい」とか「知恵」とかの意味がある。
西が翻訳・造語した言葉は他にもある。「科学」や「理性」、「芸術」や「技術」も、西が生み出した。これらの言葉は、その後日本人に定着したわけだけど、逆に言えば彼がこれらの言葉を考案する以前は、「科学」とか「芸術」といった概念は、日本人は持っていなかったことになる。
現代の日本人からしてみれば、例えば奈良時代や江戸時代に、「これって科学的な発想だったよね」とか、「この人はホント、芸術に燃えてたんだね」とか、言うことができる。けれど当時の日本人はそういう言葉、世界観では捉えていなかった。言葉が違う、ちょっと違う世界を持つニッポン。
「言葉・ことば」については、僕は割と研究してきた方で、記号論的に、言語学的に、脳科学的に、いろいろ考察・整理していきたいと思う。思うのだけれど、今回は西周について。幕末の家臣であり、明治期には貴族院議員となった啓蒙思想家について。
西は現在の島根県生まれ。当時は石見国。医師の家系で、親戚に“明治期の医師&文豪”最高峰の森鴎外がいる。知的環境にあったせいか、勉強好きだったようだ。漢学や蘭学を学び、西洋知識を貪欲に吸収し、33歳くらいのときに3年ほどオランダ留学もした。
オランダでは、法学や哲学、経済学をガクモンした。で、1865年に帰国。明治維新の3年前。帰国した西は、徳川慶喜の側近となった。江戸幕府が終わり、明治政府ができてからは文部省などで官僚となる。特に軍関連の整備を頑張った。
明治期の活躍として知られているのが「明六社」の結成だ。日本最初の近代的啓蒙学術団体。初代会長は、初代文部大臣で“明治の六大教育家”、森有礼。「もりありのり」と読みます。西はこの「明六社」を、福澤諭吉や加藤弘之、中村正直、箕作麟祥といったメンバーたちと創設した。
明六社の会員は実に錚々たる面子が揃う。ご存知、福澤諭吉は慶応義塾の創設者。加藤弘之は事実上、東京大学の初代学長。中村正直は“六大教育家”のひとりで、かつて「三大義塾」と称された私塾・同人社創設者。箕作麟祥は「みつくりりんしょう」と読み、法政大学初代校長。などなど。
1873年に設立した「明六社」で何をしたかというと、その翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。西は本格的に「啓蒙家」として、西洋哲学の翻訳や紹介をした。つまり明治期の日本人における哲学の基礎づくりに尽力した。
西はその後、明六社に代わるアカデミー団体、東京学士会院(現在の日本学士院)で、第2代、第4代の会長となる。獨逸学協会学校(現在の独協大学)の初代校長もやった。貴族院議員もやった。けっこういろいろなことをやり尽くした感がある1897年、西は68歳でこの世を去り、現在は青山霊園に眠る。
僕が西について関心を持ってしまうのは、以上の経歴・功績だけでなく、彼が「確認が取れる日本人最初のフリーメーソン」とされていること。西周、フリーメーソン説。国際的秘密結社の日本支部メンバーが、日本の哲学の基礎を築いた。その隠された秘密結社のDNAが…という、ちょっとアレな話に急展開。道理で僕がフリーメーソンに関心があるわけだ。
◇おしまい
西が翻訳・造語した言葉は他にもある。「科学」や「理性」、「芸術」や「技術」も、西が生み出した。これらの言葉は、その後日本人に定着したわけだけど、逆に言えば彼がこれらの言葉を考案する以前は、「科学」とか「芸術」といった概念は、日本人は持っていなかったことになる。
現代の日本人からしてみれば、例えば奈良時代や江戸時代に、「これって科学的な発想だったよね」とか、「この人はホント、芸術に燃えてたんだね」とか、言うことができる。けれど当時の日本人はそういう言葉、世界観では捉えていなかった。言葉が違う、ちょっと違う世界を持つニッポン。
「言葉・ことば」については、僕は割と研究してきた方で、記号論的に、言語学的に、脳科学的に、いろいろ考察・整理していきたいと思う。思うのだけれど、今回は西周について。幕末の家臣であり、明治期には貴族院議員となった啓蒙思想家について。
西は現在の島根県生まれ。当時は石見国。医師の家系で、親戚に“明治期の医師&文豪”最高峰の森鴎外がいる。知的環境にあったせいか、勉強好きだったようだ。漢学や蘭学を学び、西洋知識を貪欲に吸収し、33歳くらいのときに3年ほどオランダ留学もした。
オランダでは、法学や哲学、経済学をガクモンした。で、1865年に帰国。明治維新の3年前。帰国した西は、徳川慶喜の側近となった。江戸幕府が終わり、明治政府ができてからは文部省などで官僚となる。特に軍関連の整備を頑張った。
明治期の活躍として知られているのが「明六社」の結成だ。日本最初の近代的啓蒙学術団体。初代会長は、初代文部大臣で“明治の六大教育家”、森有礼。「もりありのり」と読みます。西はこの「明六社」を、福澤諭吉や加藤弘之、中村正直、箕作麟祥といったメンバーたちと創設した。
明六社の会員は実に錚々たる面子が揃う。ご存知、福澤諭吉は慶応義塾の創設者。加藤弘之は事実上、東京大学の初代学長。中村正直は“六大教育家”のひとりで、かつて「三大義塾」と称された私塾・同人社創設者。箕作麟祥は「みつくりりんしょう」と読み、法政大学初代校長。などなど。
1873年に設立した「明六社」で何をしたかというと、その翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。西は本格的に「啓蒙家」として、西洋哲学の翻訳や紹介をした。つまり明治期の日本人における哲学の基礎づくりに尽力した。
西はその後、明六社に代わるアカデミー団体、東京学士会院(現在の日本学士院)で、第2代、第4代の会長となる。獨逸学協会学校(現在の独協大学)の初代校長もやった。貴族院議員もやった。けっこういろいろなことをやり尽くした感がある1897年、西は68歳でこの世を去り、現在は青山霊園に眠る。
僕が西について関心を持ってしまうのは、以上の経歴・功績だけでなく、彼が「確認が取れる日本人最初のフリーメーソン」とされていること。西周、フリーメーソン説。国際的秘密結社の日本支部メンバーが、日本の哲学の基礎を築いた。その隠された秘密結社のDNAが…という、ちょっとアレな話に急展開。道理で僕がフリーメーソンに関心があるわけだ。
◇おしまい
2012年7月9日月曜日
「ヒッグス粒子 発見」考(後編)
韓国のアイドルグループでない方の「ビッグバン」。あくまでも仮説なのだけれど、137億年前に「ビッグバン (Big Bang)」が起き、宇宙が始まった。宇宙が始まり、銀河系ができ、太陽系が構成され、地球が生まれた。その延長上に、人類誕生や戦争の歴史、AKB48の流行がある。
「ビッグバン理論」の歴史はそんなに長くない。1927年、ベルギーの天文学者でジョルジュ・ルメートルが提唱。その裏付けとなったのが、1929年に米国人天文学者のエドウィン・ハッブルがその観測で発見した「ハッブルの法則」だった。
現在「ハッブル宇宙望遠鏡」にも名を残すハッブルは、「銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっていること」、「その速度は地球から各銀河までの距離に比例していること」を発見した。ちなみに彼はマルチ人間だった。スポーツ万能、シカゴで物理学、オックスフォードで法学を学び、米国で法律家や高校教員、バスケットボールのコーチもした。軍隊入隊歴もあり、少佐にもなった。
ビッグバンの直後、大量の「素粒子」が発生。「素粒子」は、物質を構成する最小の単位のこと。つまり「物質を細分化していくと、最後にたどりつく究極の粒子」になる。最小単位は「原子」では、ない。僕たちに一番身近な素粒子は「電子」や「光子」になる。
身近でない素粒子には、「ニュートリノ」や「ラムダ粒子」、「シグマ粒子」などがある。約200種類以上が確認されている。最近よく聞く「ニュートリノ」は核反応を起こしたときによく発生する素粒子。質量が非常に小さいため、透過性が非常に高い。つまり人体でも金庫でも通過しちゃう。
素粒子が発生した当初は質量はなく、自由に飛び回っていたようだ。当初と言っても、ほぼ瞬間だけど。これが時間とともに冷却され、質量がある素粒子が登場。この「素粒子に質量を与えた」のが「ヒッグス粒子」。この粒子は、自由に動き回っていた素粒子、質量のない粒子を、動きにくいものにする。この動きにくさが質量になった。
この「動きにくさ」が、「質量」が、宇宙をつくった。宇宙をつくった物質、「ヒッグス粒子」。またの名を「神の粒子」。ノーベル物理学者のレオン・レーダーマンの著書のタイトルに由来する。レーダーマンは最初、この粒子を「いまいましい粒子」「くそったれな粒子」として紹介しようとしてたみたいだけれど。
で、「ヒッグス粒子発見」については、その可能性は99・99993%。これがパチンコの確率変動突入確率だったら、えらいこっちゃな数字だ。1回大当たりで5000円になるとして、すんごく運悪い場合で低く見積もって、10万回連続大当たりとすると、1回当たれば5億円以上がほぼ確定。
「ヒッグス粒子」かどうかは、早ければ年内に結論が出る。そのために現在スイスの「欧州合同原子核研究所」(CERN)で実験を続けていく。この「ヨーロッパ素粒子物理学研究所」とか、いろいろ呼ばれるCERN自慢の実験装置は、なんと全周27kmのもの。ほぼJR山手線くらい。地下にあり、国境を横断して設置されている。総建設費は約5000億円とも。
で、まとめにかかります。素粒子に質量を与える理由を説明する「ヒッグス場理論」。この最終結論を求めて、世界の叡知が今、スイスに集結中。ただ、この理論もあくまでも仮説だ。「素粒子にヒッグス粒子が質量を与える」という仮説。エディンバラ大学名誉教授のピーター・ウェア・ヒッグスが、1964年に唱えた。
では「質量の起源」を知ると、どうなるのか。それはいまいち分からない、僕には。けれど少なくとも、分かっていた方がいい、質量について。きっと僕の「思考」も質量がある。生化学的に。つまり「哲学する」とは「質量変動」かも知れないのだ。意味不明的に言えば。
この「質量変動」をより活発にさせるために、僕は「ヒッグス粒子」に、今後注目していきたい。その意識が「質量保持」されている限りにおいては。
◇おしまい
「ビッグバン理論」の歴史はそんなに長くない。1927年、ベルギーの天文学者でジョルジュ・ルメートルが提唱。その裏付けとなったのが、1929年に米国人天文学者のエドウィン・ハッブルがその観測で発見した「ハッブルの法則」だった。
現在「ハッブル宇宙望遠鏡」にも名を残すハッブルは、「銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっていること」、「その速度は地球から各銀河までの距離に比例していること」を発見した。ちなみに彼はマルチ人間だった。スポーツ万能、シカゴで物理学、オックスフォードで法学を学び、米国で法律家や高校教員、バスケットボールのコーチもした。軍隊入隊歴もあり、少佐にもなった。
ビッグバンの直後、大量の「素粒子」が発生。「素粒子」は、物質を構成する最小の単位のこと。つまり「物質を細分化していくと、最後にたどりつく究極の粒子」になる。最小単位は「原子」では、ない。僕たちに一番身近な素粒子は「電子」や「光子」になる。
身近でない素粒子には、「ニュートリノ」や「ラムダ粒子」、「シグマ粒子」などがある。約200種類以上が確認されている。最近よく聞く「ニュートリノ」は核反応を起こしたときによく発生する素粒子。質量が非常に小さいため、透過性が非常に高い。つまり人体でも金庫でも通過しちゃう。
素粒子が発生した当初は質量はなく、自由に飛び回っていたようだ。当初と言っても、ほぼ瞬間だけど。これが時間とともに冷却され、質量がある素粒子が登場。この「素粒子に質量を与えた」のが「ヒッグス粒子」。この粒子は、自由に動き回っていた素粒子、質量のない粒子を、動きにくいものにする。この動きにくさが質量になった。
この「動きにくさ」が、「質量」が、宇宙をつくった。宇宙をつくった物質、「ヒッグス粒子」。またの名を「神の粒子」。ノーベル物理学者のレオン・レーダーマンの著書のタイトルに由来する。レーダーマンは最初、この粒子を「いまいましい粒子」「くそったれな粒子」として紹介しようとしてたみたいだけれど。
で、「ヒッグス粒子発見」については、その可能性は99・99993%。これがパチンコの確率変動突入確率だったら、えらいこっちゃな数字だ。1回大当たりで5000円になるとして、すんごく運悪い場合で低く見積もって、10万回連続大当たりとすると、1回当たれば5億円以上がほぼ確定。
「ヒッグス粒子」かどうかは、早ければ年内に結論が出る。そのために現在スイスの「欧州合同原子核研究所」(CERN)で実験を続けていく。この「ヨーロッパ素粒子物理学研究所」とか、いろいろ呼ばれるCERN自慢の実験装置は、なんと全周27kmのもの。ほぼJR山手線くらい。地下にあり、国境を横断して設置されている。総建設費は約5000億円とも。
で、まとめにかかります。素粒子に質量を与える理由を説明する「ヒッグス場理論」。この最終結論を求めて、世界の叡知が今、スイスに集結中。ただ、この理論もあくまでも仮説だ。「素粒子にヒッグス粒子が質量を与える」という仮説。エディンバラ大学名誉教授のピーター・ウェア・ヒッグスが、1964年に唱えた。
では「質量の起源」を知ると、どうなるのか。それはいまいち分からない、僕には。けれど少なくとも、分かっていた方がいい、質量について。きっと僕の「思考」も質量がある。生化学的に。つまり「哲学する」とは「質量変動」かも知れないのだ。意味不明的に言えば。
この「質量変動」をより活発にさせるために、僕は「ヒッグス粒子」に、今後注目していきたい。その意識が「質量保持」されている限りにおいては。
◇おしまい
「ヒッグス粒子 発見」考(前編)
「ヒッグス粒子 発見」と、新聞などで大々的に報道された「ヒッグス粒子」。文系人間が集う新聞社やテレビ局は、その凄さを何となく伝えられてはいたものの、きっと記者やキャスター自身が“何となく”しかその凄さを感じられていないと思われる。
だから、とりあえず「これは歴史的快挙」「世界が変わる第一歩」みたいなことを言っている科学者や有識者らの声を流し、適当に、それなりにインパクトが大きい風にする。たとえば、『ホーキング博士は発見について「重要な結果だ」と話し、提唱者のピーター・ヒッグス英エディンバラ大名誉教授(83)を「ノーベル賞に値する」と称賛した』とか。
ニュースメーカーの宿命としてあるのが、その事実が理解不能だとしても「とりあえず」、重要っぽいもの重要っぽく速報しておく、ということ。原発問題もそうだ。軽々しく「原発は……」と話すことは難しいくらい、込み入った原子物理学、核構造物理学などの数式や仕組みがある。科学の世界だから、何にせよ「100%とは言い切れない」と反対・賛成意見を表明したりすることは、誰もが可能だけれど。
なんて、そんなことを言っていては、科学世界における「世紀の発見」はいつまで経っても報道できなくなってしまう。というわけで、米国CNNでは、『欧州合同原子核研究機関(CERN)は4日、質量の源の解明につながるといわれている「ヒッグス粒子」と性質が一致する新しい粒子を発見したと発表した』と報道。
続けて、『「自然を理解する上で画期的な節目にたどり着いた」と、CERNのロルフ・ホイヤー所長は述べた。CERNは世界最大級の粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使い、ヒッグス粒子の探索にあたってきた』。うんぬん。とにかく一般人は「ヒッグス」を知らないから、前置きが長い。僕のこの文章も同様だけど。
ちなみに、今回の発表は暫定的なもの。さらなる検証が必要で、CERNは声明で「今回の観測結果の全体像は今年後半に明らかになるだろう」としている。つまり、現段階では確定してないけれど、“ほぼ確定だから、今回の発見を喜んでいいみたいだから、喜びましょう”、ということ。そんなニュースだ。
SankeiBizでは、こんな風にまとめられている。『ヒッグス粒子とみられる新粒子の発見は、素粒子物理学の新たな時代の幕開けを告げる画期的な成果だ。「最後の粒子」の存在が確定すれば近代物理学の金字塔である「標準理論」が完成し、物質に対する理解の正しさが証明されることになる。物理学の偉大な勝利が目前に迫った』。
『物質の究極の姿と基本法則を探る素粒子物理学は20世紀初頭以降、アインシュタインの相対性理論とハイゼンベルクらの量子力学を土台に発展してきた。日本も湯川秀樹、朝永振一郎、小林誠、益川敏英の各氏らが大きく貢献し、世界で20人以上がノーベル賞を受賞。1970年代に確立された現在の標準理論は、多くの実験で正しさが厳密に証明されており、人類の英知の結晶といえる』。
この記事の前置きはもうちょい続きそう。『素粒子は物質をつくる12種類と、物質に力を伝える5種類の計17種類がすでに確認済みだ。しかし、標準理論の重要な骨格となるヒッグス粒子だけが見つからず、半世紀近くにわたり大きな課題になっていた』。ふむふむ。そもそも素粒子って何だろう、ということは先にも触れない。
『標準理論が完成しても、それは素粒子物理学の「第一章」の完結にすぎない。宇宙を構成する物質のうち、標準理論で説明できるのは全体の4%だけで、残りの96%は正体不明の暗黒物質や暗黒エネルギーが占めているからだ。ヒッグス粒子の性質を詳しく調べれば、暗黒物質の有力候補とされる未知の素粒子の手掛かりが得られる可能性があり、素粒子研究は標準理論の枠組みを超える世界へ一歩を踏み出すことになる』。
『また、宇宙初期の急膨張がビッグバンの引き金になったとするインフレーション理論でも、ヒッグス粒子は重要なカギを握る。粒子の「発見」は物質や時空の本質に迫る新たな物理学を切り開いていくだろう』。SankeiBiz引用おしまい。なるほど。やはり「もしかしたらこの記者も結局、ヒッグス粒子についえあまり深く分かってないんじゃないか」という感じだ。
これでは「さっぱりヒッグス粒子発見の重要性が分からない!」という僕の悶々は消えない。「素粒子」とは何だろう。「標準理論」て何だろう。ヒッグス粒子を知ることで、なぜ「暗黒物質の有力候補とされる未知の素粒子の手掛かりが得られる」のだろう。てか「暗黒物質」とは何だろう。などなど。
というわけで、最後に日経新聞の記事を、まとめて無断で転載してみる。そして今後、ゆっくり、じっくり「素粒子」や「ヒッグス粒子」について、料理していこうと思う。教養程度に。ちなみに「CERN」は、『ダ・ヴィンチコード』の前作、『天使と悪魔』に出てきますね、テロに使える物質をここで生み出す設定で。
『欧州合同原子核研究機関(CERN)は4日、物の質量(重さ)の起源とされる「ヒッグス粒子」とみられる新しい粒子を発見したと発表した。2つの国際チームによる大型加速器を使った探索実験で、新粒子が99.9999%以上の確率で存在するとの結果を得た。年内にもヒッグス粒子と最終的に確認される公算が大きく、成功すればノーベル賞級の発見となる』。
『CERNのホイヤー所長は同日、「ヒッグス粒子と(特徴が)合致する新粒子の発見に成功した」と述べた。新粒子がヒッグス粒子と確認されれば、宇宙の成り立ちの解明が大きく前進する。実験したのは、東京大学など日本の16の大学・研究機関も参加する「アトラス」と、欧米の「CMS」の2チーム』。
『CERNによると、今年6月までの実験で、両チームともヒッグス粒子とみられる新粒子が存在する確率が99.9999%以上になった。昨年末の段階ではアトラスは約98.9%、CMSは約97%の確率で、「発見の可能性が高まった」としていた。99.9999%という確率は物理学の世界での「発見」に相当するが、新粒子が予言されているヒッグス粒子とどこまで一致しているかを確認するため、今年いっぱいの実験で詰める』。
『新粒子の重さは陽子の120倍と、これまで発見された素粒子(物質の最小単位)の中では比較的重かった。宇宙の始まりである137億年前の「ビッグバン(大爆発)」で生まれた素粒子は、最初は質量を持たず光速で自由に飛び回っていた。ビッグバンの100億分の1秒後にヒッグス粒子が生まれて宇宙を満たしたため、素粒子は動きにくくなり、質量が備わったとされる』。
『実験では一周27キロメートルの円形加速器で陽子同士を光速近くで衝突させ、ビッグバンを再現。ヒッグス粒子は瞬く間にほかの粒子に変化してしまうため、飛び散った粒子の中からヒッグス粒子の痕跡を集め、存在する確率を割り出していた』。うん。脳ミソ弱めの僕には、日経記事でもさっぱりです。
◇つづく
2012年6月15日金曜日
【気象考(3)】「太陽定数」編
「太陽定数」。気象学を勉強しようとしなければ、僕はきっと知らずに生きていたキーワードだ。にわか理解しがたい数式にも言い換えられる、そんな「太陽定数」について、今日はメモってみたい。
まずはその定数を知る前に「太陽」本体について、軽い復習から。太陽の直径は約140万kmで、地球の約110倍。この時点でピンと来なくなり始めるが、質量は地球の約33万倍。この超重い質量ゆえ、太陽系の全質量の99.86%を占めている。
やはり太陽系の質量ほとんど全ては、太陽が占めている。その全質量の一部に僕を含めても、ほぼ太陽。これは「太陽系」においては、僕を含めた全質量は、ほぼ太陽なので、僕はほぼ太陽となる。ついこう飛躍する。
地球から太陽までの平均距離は、約1億5000万km。光速で8.3分の距離。この超長距離を、熱や光ははるばる飛んで、日本やアフリカに降り注いでいる。お疲れさまです。天文学では「1天文単位(AU)」とゆーのがあるようで、この約1億5000万kmが「1AU」。
もうちょい補足すると、太陽のエネルギー源は核融合反応。誕生以来ずーっと爆発し続けているのは、思ってみれば凄過ぎる。その中心部は約1500万度、表面は約6000度。それだけ熱いお陰さまで、僕らは夏を楽しめる。
そんな太陽の定数、「太陽定数」とは何だろう。「太陽定数」を簡単に言うと、「地球大気表面の単位面積に、垂直に入射する太陽のエネルギー量のこと」。すなわち「約1366W/m2」に上る。あるいは「1.37×103[Wm-2]」。よく分からない。
「デジタル大辞泉」では、「地球が太陽からの平均距離にあるときに受ける放射エネルギーの量」。ふむふむ。「値は毎分1平方センチメートルあたり約1.96カロリーで、地上では大気に吸収されて約半分となる」と解説している。
「建築・土木用語辞典」の解説はもっと分かりやすい。「大気圏外における太陽の日射の強さを表す定数」。なるほど、建築・土木の学問には、「太陽定数」も含まれているのか、とその深さに畏敬の念。
まあ要するに、地上へ照射する太陽エネルギーでなくて、地球の大気圏外での話。太陽の真正面を向いた1平方メートルの面積が、1秒間に太陽から受け取るエネルギー。かつては地表で「太陽定数」が測定されていたが、今は人工衛星で測定されている、みたい。
最近では、太陽定数が太陽活動の周期と一緒に変動することが判明している。まあそれは当然だと思うけれど、変動したところでも、一応“定数”で問題ないようだ。少なくとも僕の生活にはそれで全く支障はない。そりゃそうだ。
気象現象はつまるところ、大気中の様々な物理現象の相互作用だ。その“様々”の一つに、太陽の変動がある。太陽活動の変化によって、太陽光、太陽放射の量が変わる。太陽放射量(現在約1366W/m2=太陽定数)が変わると気象も変わる。
そういう文脈に、「太陽定数」がある。そしてこの定数は、過去数十年間で0.1%の範囲内で周期的に変化している。いずれ大変動もあるかも知れない。そうなると「世界が終わる」。「全てが消える」し、「存在と永遠の意味が揺らぐ」。
なんだか途端に哲学的になってくる。それが「太陽定数」。人工的な測定値。世界の終わりのスカウター。
◇おしまい
まずはその定数を知る前に「太陽」本体について、軽い復習から。太陽の直径は約140万kmで、地球の約110倍。この時点でピンと来なくなり始めるが、質量は地球の約33万倍。この超重い質量ゆえ、太陽系の全質量の99.86%を占めている。
やはり太陽系の質量ほとんど全ては、太陽が占めている。その全質量の一部に僕を含めても、ほぼ太陽。これは「太陽系」においては、僕を含めた全質量は、ほぼ太陽なので、僕はほぼ太陽となる。ついこう飛躍する。
地球から太陽までの平均距離は、約1億5000万km。光速で8.3分の距離。この超長距離を、熱や光ははるばる飛んで、日本やアフリカに降り注いでいる。お疲れさまです。天文学では「1天文単位(AU)」とゆーのがあるようで、この約1億5000万kmが「1AU」。
もうちょい補足すると、太陽のエネルギー源は核融合反応。誕生以来ずーっと爆発し続けているのは、思ってみれば凄過ぎる。その中心部は約1500万度、表面は約6000度。それだけ熱いお陰さまで、僕らは夏を楽しめる。
そんな太陽の定数、「太陽定数」とは何だろう。「太陽定数」を簡単に言うと、「地球大気表面の単位面積に、垂直に入射する太陽のエネルギー量のこと」。すなわち「約1366W/m2」に上る。あるいは「1.37×103[Wm-2]」。よく分からない。
「デジタル大辞泉」では、「地球が太陽からの平均距離にあるときに受ける放射エネルギーの量」。ふむふむ。「値は毎分1平方センチメートルあたり約1.96カロリーで、地上では大気に吸収されて約半分となる」と解説している。
「建築・土木用語辞典」の解説はもっと分かりやすい。「大気圏外における太陽の日射の強さを表す定数」。なるほど、建築・土木の学問には、「太陽定数」も含まれているのか、とその深さに畏敬の念。
まあ要するに、地上へ照射する太陽エネルギーでなくて、地球の大気圏外での話。太陽の真正面を向いた1平方メートルの面積が、1秒間に太陽から受け取るエネルギー。かつては地表で「太陽定数」が測定されていたが、今は人工衛星で測定されている、みたい。
最近では、太陽定数が太陽活動の周期と一緒に変動することが判明している。まあそれは当然だと思うけれど、変動したところでも、一応“定数”で問題ないようだ。少なくとも僕の生活にはそれで全く支障はない。そりゃそうだ。
気象現象はつまるところ、大気中の様々な物理現象の相互作用だ。その“様々”の一つに、太陽の変動がある。太陽活動の変化によって、太陽光、太陽放射の量が変わる。太陽放射量(現在約1366W/m2=太陽定数)が変わると気象も変わる。
そういう文脈に、「太陽定数」がある。そしてこの定数は、過去数十年間で0.1%の範囲内で周期的に変化している。いずれ大変動もあるかも知れない。そうなると「世界が終わる」。「全てが消える」し、「存在と永遠の意味が揺らぐ」。
なんだか途端に哲学的になってくる。それが「太陽定数」。人工的な測定値。世界の終わりのスカウター。
◇おしまい
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