2012年5月24日木曜日

なぜ松陰神社があるのか?論。


※この稿は、松陰神社の歴史解説はしておりません。なので答えにも辿り着きすらしていません。それはきっと今後の「なぜ?」シリーズ全てで言えるけど。

ふと松陰神社が気になって、神社について考えた。東京は世田谷・若林。松陰神社は僕が以前住んでいた場所の近くにあった。あの吉田松陰(1830ー1859、享年30)が祀られている。実は松陰神社は山口は萩市にもある。明治23年、1890年創建。こっちが本家っぽいが、世田谷の方が創建は8年古い。

急に話は「近代社格制度」というものに飛ぶ。明治4年に作られた“神社ランキング”制度だ。最上級はご存知、伊勢神宮で別格扱い。社格制度によれば、神社を大きく分けると「官社」と「諸社」。前者は国、諸社は県や村が管理する神社になる。官社>諸社。さらにそれぞれ大社、中社、小社がある。

整理すると、「官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社」。諸社は、「府社=県社=藩社>郷社>村社」のランキング。どうでもいい人にはどうでもいい序列でもある。でも寺院にも聖堂にも、そんなようなものがある。その確認だけしたくて、「近代社格制度」に触れてみた。

で、松陰神社。世田谷のは府社、萩のは県社。いずれにしても、“旧社格”だけれど。
でで、明治時代。30歳の若さで死んだ教育者・思想家が、神様になった。しかも官が管理する神社としてあった時代もある。これは考えてみれば不思議なことだ。キリスト教の「聖人」格と同じ位、理解しがたい宗教観なのだ、僕には。人間が神様になる、という発想は、菅原道真だったり、平将門だったり、何も松陰に限った話ではいのだけれど。

例えばギリシア神話。ゼウスとかアポロンとかの十二神。突っ込みどころ満載ではあるけど、この“神様”には、いくら偉人だとして、ジョン・レノンとか、黒澤明とかは並ばない。ギリシャ神にはならない。でも神道では、文字通り、神格化される。人が天照大神と同じ「神社」群の中で祀られる。もちろん「神仏習合」など仏教との絡みとか、政治的な絡みや分離を乗り越えた理論とか、もろもろ凄まじい部分もあるのだけれど、とりあえずここではそれは置く。

僕はそういう「あまりカッチリしていない」と言える神道に、「思考停止しているの? 大丈夫?」という疑問を持つ以上に、「なんて大らかな宗教なんだ」との感動すら覚える、本当に。あまりにも「大らか」過ぎで、小さな僕の思考容量をはるかに超えている。

僕はそんな宗教観あふれる日本で暮らす。神社の歴史、神社のオーラ。神道の深み、神道の美しさ。その奥義に少しでも近づくため、僕はこのブログ内でちょっとずつ、ちょっとずつ、「神道」についても整理していきたい。していけないかもだけれども。少なくとも、なぜ、松陰神社はあるのか、の答えは、ここにはありませんでした。

◇おしまい