2012年10月3日水曜日

アッシジのフランチェスコ考


アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年)。僕が尊敬する先輩「ひとちゃん」が、僕が高校生だった頃に尊敬していた。尊敬し過ぎた結果、「ひとちゃん」は髪形もアッシジのフランチェスコとなった。つまり頭のてっぺんを剃った。修道服みたいなのを着たりもしていた。

先輩「ひとちゃん」はその後、神学部のある大学へ進学。やがて牧師となった。で、今「ひとちゃん」は三重県にいる。鈴鹿の教会で、4人家族を築いている。そんな僕の師匠にちょうど去年の今ごろ会いに行った。ついでに泊まらせてくれもした。

昔のカトリックの修道士が頭のてっぺんを剃ったのは理由があるはず。けれど「この髪型の由来は不明」だと、ある百科事典サイトはいう。一方で「磔刑となったイエス・キリストが十字架上で頭にかぶせられていたとされるいばらの冠を模しているとも言われる」という。

カトリック的河童頭。これを「トンスラ」または「トンスーラ」という。カトリックの儀式で、人が僧になる時に剃る。この儀式も「トンスラ」という。で、今はもうやってない。トンスラの儀式は1972年に廃止された。昭和47年。皇紀2632年。コンコルドが成田空港に来た年。

で、アッシジのフランチェスコ。イタリア風には「Francesco d'Assisi」。本名は、 ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ。多分こっちを聞いても誰も分からない。そもそも日本では「アッシジのフランチェスコ」はそんなに知られていないのかも知れないけれど。

 「Giovanni di Bernardone」は、786年前の今日、10月3日に他界。44歳だった。その44年の間の言動が、彼を「イタリアの守護聖人」、「聖フランシスコ」とならしめた。「ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ」は「アッシジのフランチェスコ」と聖人化した。

フランチェスコは、富裕な毛織物商人の長男として、アッシジに誕生。イタリア半島のちょうど真ん中あたりの町だ。少年時代は聖堂の付属学校に就学し、修辞学や文法、祈祷書などを学ぶ。20歳頃までは、父とともに織物商の仕事をしていたようだ。

彼は「ハンサムで気前がよく、スマートで陽気なフランチェスコは祭りのたびに金にものをいわせて人気を博し、娘たちのあこがれの的」だったともされる。「謝肉祭のパレードでは毎年『王様』に選ばれた」ほどだった。やはり、若かりし時よりただ者ではなかったようだ。

ある日フランチェスコは「そうだ! 騎士になろう」と思い立った。それで勇んで「アッシジ vs ペルージャ」の戦争に参加。けれどもその意気虚しく1202年に捕虜となってしまう。さらには獄中で病気に罹患した。1年余りの“獄中”。いろいろ苦しんだだろう。何より重い熱病は続いた。

ところで画人ジョットが描いた『着物を返すフランチェスコ』という絵がある。そこには着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコが描かれている。1205年頃から回心が始まったとされるフランチェスコが画中にいる。

回心。彼は不思議な声を耳にするようになり、世界観が変わった。そして、洞窟で祈ることに心の安らぎを覚えるようになった。あるとき神と対話した。そして神は「私の望みを知りたいのなら、まずお前がこれまで愛してきたものすべてを憎み軽蔑せよ」と啓示した。

神は「これまで嫌ってきたものすべてを喜びの泉とせよ」とも言った。フランチェスコはローマで浮浪者に出会った際、貧しさを味わうために、着ているものを浮浪者と交換したとされ、そのとき彼はこれまでと違う解放感を覚えたという。ここから青年は貧者への奉仕に向かう。

あるとき小さな礼拝堂で、十字架上のイエス・キリストが「行けフランチェスコ、そしてわが家を修復せよ。それはもう倒れかかっているから」と呼びかける声を聞いたという。僕はこうした啓示については脳の病気なのでは説もとりたいところだけれど、とりあえず啓示としておきたい。

礼拝堂での啓示がフランチェスコにとって決定的な回心の瞬間となった。啓示を受けたフランチェスコは、父の店から織物を持ち出し、それを販売して金銭を得、礼拝堂の修復にあてようとした。で、父に訴えられた。法廷での親子闘争。彼は親子の縁を絶ち、相続権はじめ一切の財産権を放棄した。

出身階級とも絶縁して家を出たフランチェスコ。彼は、病人への奉仕やサン・ダミアノ聖堂の修復などの活動に励んだ。世俗への執着を断ち、無一物となってイエスの生き方を自身の人生のモデルとして生きた。「奉仕」と「托鉢」の生活だ。敬虔な貧者は、やがてアッシジの2つの聖堂を修復した。

「清貧」と「労働」を守って暮らすフランチェスコの周囲には、自然と仲間や弟子が集まるようになる。外部からは“乞食集団”にしか見えない集団。1210年、フランチェスコは教皇インノケンティウス3世から修道会設立の認可を受け、「フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)」を設立した。

その後、フランシスコ会の信者は増加。フランチェスコの死後には世界最大の修道会へと成長。そんな流れを創始したフランチェスコ。命日となる10月3日、僕はフランチェスコを、また彼の影響を強く受けている「ひとちゃん」に思いを馳せる。改めてキリスト教の力を感じてしまう。

ちなみにフランチェスコを調べていたら、あのB級ハリウッド映画俳優のドン、ミッキー・ロークが主演した『フランチェスコ』(1989年)という映画を発見。なんと「goo映画」での評価は☆4つ半、90点と高評価。近いうちに見てみよーっと、と思いましたとさ。アーメン。

◇おしまい

2012年9月20日木曜日

「知の巨人」研究・2


『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 』(文藝別冊)というムック本がある。アマゾンでは「民族学・文明学に新たな視野を拓いた知の巨人。著作集未収録原稿ほか、幻の『世界の歴史 人類の未来』目次を紹介」と紹介されている。「知的生産の現場・梅棹研究室をイラストで再現。梅棹忠夫論、対談も多数」ともある。

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」では、もちろん梅棹忠夫の著書が並び、『知的生産の技術』(岩波新書)、『情報の文明学』(中公文庫)、『文明の生態史観』 (中公文庫)など。僕はいずれも読んだことはないけれど、『日本文明77の鍵』 (文春新書)や『梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明』含め読んでみたいものばかり。

「知の巨人」研究・第二回目は、生態学者、民族学者の梅棹忠夫(1920- 2010)について。梅棹忠夫について、と言っても、今記した通り、僕は彼の著書は読んでいない。であるからして、そのぉ、あのぉ、すでに彼についてまとめた記事を僕がまとめていく作業。知の巨人をまとめてくれた巨人の肩に、僕は乗っかるわけなのであります。

「うめさお ただお」。その肩書きには、「国立民族学博物館名誉教授」、「総合研究大学院大学名誉教授」、「京都大学名誉教授」や「理学博士」などがありました。例の参考資料によれば、「日本における文化人類学のパイオニア」であり、「梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開」しておりました。

よって多方面に多くの影響を与えた「知の巨人」。京都帝国大学時代は、日本の霊長類研究の創始者として知られる今西錦司に学ぶ。「生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す」。代表作『文明の生態史観』。

ちなみに「生態学」とは、「生物の生活や行動、環境との相互作用などについて研究する学問。エコロジー(ecology)」と、「はてなキーワード 」では解説。古代ギリシャのアリストテレスによる動物に関する研究や、植物学の祖とも呼ばれるテオプラストスの植物、植物群落についての研究も、生態学の歴史の一端とされる。

梅棹忠夫は、「数理生態学の先駆者」でもある。オタマジャクシの群れ形成の数理を研究した。さらに、宗教のウィルス説という、とてもユニークな論を唱えた。ウィルスによる病が宗教だ、というわけでなく、思想や概念の伝播、精神形成について、ウィルスの広がりと重ねた。宗教ウイルス説。

宗教を伝染病にたとえた斬新な「宗教ウイルス説」は、「文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである」と、例の参考資料は記す。さすが「文明学者」と呼ばれるだけある。

経歴は「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分」とされる箇所をまとめます。大日本帝国が国際連盟へ正式加入した1920年、梅棹忠夫は京都市に長男として誕生。1936年、京都一中(現・京都府立洛北高等学校)から4年修了(飛び級)で第三高等学校に入学した。

「京都一中」は、1870年に創立された、日本最古の旧制中学校。戦前から戦後にかけて京都大学へ多数の進学者を送り出していた。「第三高等学校」は、京都にあった旧制高校で、略称は「三高」、現在の京都大学の前身の一つになる。名門校からしかも飛び級で、名門校へ進んだ。

頭は抜群に良い。けれど「三高時代から山岳部の活動に熱中して学業を放棄」した。それゆえ「2年連続で留年して退学処分を受け」た。僕はこういう人が好きだ。結局「後輩や同級生からの嘆願運動で復学を認められる」。で、京都帝国大学理学部動物学科に進んだ。

在学中には今西錦司を団長とする中国北部「大興安嶺探検隊」などに参加。「モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした」。

フィールドワークや京大人文研での経験から1969年に著した『知的生産の技術』はベストセラー。同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。というより、実は梅棹がデザインした特注が、普及したものが「京大式カード」となったようだ。

1963年という時期に『情報産業論』を発表、情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉は梅棹が名づけた。「その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』にまとめられている」。また国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。

1986年に原因不明の失明、以降の著述は口述筆記で行われた。これは闘病記『夜はまだあけぬか』(講談社文庫)に詳しいようだ。僕が尊敬する“先生”、司馬遼太郎とは、モンゴル研究のつながりで長年の友人であった。編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』もある。

「日本語のローマ字化推進論」を唱えた。「漢字廃止論」を唱えた。「エスペラント推進論」を唱えた。ベホイミを唱えた。とにかく「世界エスペラント協会」の名誉委員になった。宗教観については、自身は無宗教であるとしている。ザオリクは唱えなかった。2010年7月3日、大阪府吹田市の自宅で老衰により、90歳没。

偉大なる知の巨人・梅棹忠夫。読書の秋の10月、僕はなんかしらの著書を読もうと思う。優秀な頭脳を持つ探検家、斬新な視点を提供する哲学者でもあっただろう。途中失明しても、「知」を発信し続けた。彼が「知の巨人」と認定されているのも分かる気がしました。

◇おしまい


2012年9月19日水曜日

「暗黒エネルギー」とは何か


今回は「ダークエネルギー」あるいは「暗黒エネルギー」について。と言うのも、僕がたまに読む「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事に、こんなのがあったからだ。「暗黒エネルギーを不要とする新理論」というタイトル。ただ、この記事はちょうど2年前、2009年8月のやつだけれど。

こんな風にして記事は始まる。「宇宙の膨張を加速させる謎めいた力として10年以上前から論じられてきた暗黒エネルギーは、もはや不要な理論であるとの研究結果が発表された」。ふむふむ。「提唱された新理論は、宇宙の加速膨張原理の再考を促すことになるため物議を醸している」。ほー。

「暗黒エネルギー」について関心や知識がなければ、きっと“どーでもいい話”かも知れない。けれど「この研究に携わったカリフォルニア大学デービス校のブレイク・テンプル氏は、『われわれの解が正しければ、暗黒エネルギーを持ち出さなくても宇宙膨張の加速について説明することができる』と話している」とある。

ちなみにその1年前、2008年の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、 「暗黒エネルギーの存在を示す強力な証拠」というのもある。どっちが本当かは知らないけれど。記事には「暗黒エネルギーの存在が、色分けされた画像という目に見える形で初めて表された」とある。

さらには今日、2012年9月19日の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、なんと「初撮影、暗黒エネルギーカメラ始動」との記事がある。「世界で最も高感度な、570メガピクセル(5億7000万画素)のデジタルカメラ『ダークエネルギーカメラ』が探索を開始したという内容。あくまでも“始動”で発見はまだ先になる。

で、「暗黒エネルギー」。「ナショナルジオグラフィック」では「宇宙の膨張を加速させるとみられている謎めいた力のこと」と紹介。wikipediaでは「宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギー」とある。「真空のエネルギー」が有力な候補の一つとされている。

「暗黒エネルギー」とは何か。仮想的エネルギーである。何の仮想的エネルギーか。宇宙全体に均一に満たされているとする仮想的なエネルギーのことだ。「知恵蔵2012の解説」に頼ってみる。「暗黒エネルギーは、バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられている」。むむむ。

その前にはこんな解説文。「遠方の超新星の観測から、現在の宇宙の膨張速度は加速していることが分かっている」。「超新星」とは星の進化の最終段階で起こる大爆発に伴う増光現象のこと。「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」。

「バリオン物質?」「暗黒物質?」となる。「バリオン」とは、3つのクォークから構成される亜原子粒子で「重粒子」とも言う。「暗黒物質」とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせず、かつ色電化も持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質。むむむ。

ちなみに「暗黒物質」の存在の間接的な発見は、1970年代に米国の天文学者によって、銀河の回転速度の観測から指摘されたという。水素原子の出す21cm輝線で銀河外縁を観測したところ、ドップラー効果により星間ガスの回転速度を見積もることができた。という。超新星のスイス人研究者の仮説を説明するために仮定された。

「暗黒エネルギー」とは何か。知恵蔵に戻ると、「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」「このエネルギーの総称が暗黒エネルギー」。バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられているという。

NASAが打ち上げた宇宙マイクロ波背景放射探査衛星「WMAP」の観測結果などから、宇宙の構成要素の「4%がバリオン物質」、「22%が暗黒物質」、「約74%が暗黒エネルギー」とされている。WMAPによると、宇宙は平坦で年齢は約137億年。宇宙が始まって約38万年後に宇宙の膨れはじめ、約2億年後に最初の星ができた。

現在観測されている宇宙の加速膨張。けれど宇宙の大半の質量が正体不明。この観測事実を説明するために、「暗黒エネルギー」が登場する。宇宙論の標準的な理論(ロバートソン-ウォーカー計量)にダークエネルギーを加えるのが現在最もポピュラーな手法となっている、という。この新しい宇宙論の標準モデルをΛ-CDMモデルと呼ぶ、らしい。

現在提案されている2つのダークエネルギーの形態としては、静的な「宇宙定数」と動的な「クインテセンス」がある。この二つを区別するためには、宇宙膨張を高い精度で測定し、膨張速度が時間とともにどのように変化しているかを調べる必要がある。「このような高精度の観測を行うことは観測的宇宙論の主要な研究課題の一つ」by wikipedia。

「宇宙定数」は、あのアインシュタインが1917年に提案したもの。静的な宇宙を表すような重力場の方程式の定常解を得るための方法だった。このときアインシュタインは、実質的に「暗黒エネルギー」にあたるエネルギーを重力と釣り合わせるために使用。しかし後に、アインシュタインの「静的宇宙」観は、「ちょっと厳しい」となった。

天文学者・ハッブルの観測によって、「宇宙は膨張しています」「静的ではありえません」となった。これにより「宇宙定数」の存在はほぼ無視されることに……。アインシュタインは「静的宇宙とは対照的な動的宇宙のアイデアを予測できなかったことは人生最大の失敗だった」と言ったとか。

けれど後に「宇宙定数」は再評価されることになる。標準ビッグバン宇宙モデルの初期条件を説明する宇宙のインフレーションモデル。これは「宇宙の初期に時空が指数関数的な膨張を遂げた」とするモデル。その原理は、アインシュタインの重力場方程式の中に現れる「宇宙項」の存在に相当する。

「宇宙項」。繰り返すけれど、宇宙は加速的に膨張している。宇宙、膨張なう。その加速膨張を説明するメカニズムとして、「宇宙項」の存在が支持されている。「宇宙定数」の源の有力な候補としては「真空のエネルギー」などが挙げられている。これを仮定した計算と、観測したものとではギャップがある。

このギャップを埋めるメカニズムが、現代宇宙論の未解決問題の一つ。「最近では、宇宙の加速膨張を担うものとして、宇宙項の可能性を含め、ダークエネルギーと総称することが普通になっている」と、wikipedia先生は教えてくれる。とにかく「暗黒エネルギー」が存在すると仮定すると、いろんなことが説明できるようになる。

あったらいいな、として登場、存在が期待されている「暗黒エネルギー」。「これまでの観測結果は、宇宙の全物質の約74%を暗黒エネルギーが占めることを示している」との記事もある。「暗黒エネルギー」とは何か。調べれば調べるほど、頭の中がダークなマター(暗黒物質)に占められていく。がほっ

◇おしまい

2012年9月11日火曜日

哲学と自我について


あるフリー百科事典の「哲学」に関するページによれば、学問として「哲学」で扱う主題には、「真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為……などがある」という。

省略した部分には、「経験、世界、空間、時間、歴史」に加えて「現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性」などが入る。さらには、「世界の起源のような『根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩』」も追加される。実に幅広い。

同辞典の解説にもあるけれど、一般に「哲学」の主題は「抽象度が高い概念であることが多い」。その分、哲学するときには思考能力が必要になってくるけれど、きっと子どもたちも子どもなりの哲学はしている。「どうして○○ちゃんは意地悪するんだろう」とか、「なんでパセリはマズイんだろう」とか。

一方、惰性に生きてしまっていれば、大人になってもそんなに大それた哲学はしていない。誰だって毎日「真理とは何だろう」とか「正義とは何だろう」とか「美はなぜ感じるのだろう」とかは思わない。「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」ってのはあるかも知れないけれど。

ただ「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」も突き詰めれば、やはり大それた哲学に発展していきそうだ。弱い意思についての考察からは「意思とは何か」となるし、ギャンブルの中毒性についての考察からは「脳と自分を制御する仕組みはどうなってるのか」となる。

日本人を病みつきにさせるパチンコ業界について考察すれば、それはそれでいろいろな埃や闇、たとえば警察との癒着や、北朝鮮へとつながる国際経済問題などにも辿り着く。パチンコ機からは、高度な電子制御システム、遊ぶ機種からは、そのストーリー構成やデザインなどソフト部分について思い巡らせもできる。

ときに具体的に物事の仕組み、自分とその物事との関連性、その物事に向き合っている自分自身の状況・変化について考える。そしていずれ具体的なものから、抽象的なものにと語る言葉は移っていく。移ってはいくのだけれど、語る言葉そのものは具体的である必要がある。

「つまり愛とはアレだな」や「人間は結局あんな感じ」では駄目なのだ。抽象的なものをいかに具体的な言葉の枠にはめ込んでいくのかが、「哲学」の要なんだと僕は思っている。別にこの言葉や名付け、記号の力や意味の大きさは、「哲学」に留まらないのだけれど。

で、せっかくなので今日は短く哲学的テーマの一つ、「自我」についての情報を整理しておきたい。ちなみにいつも僕が行ってきている“情報の整理”は、哲学ではない。少しは思考しているかもだけれども、思索とは別次元で、僕は毎回“整理”をし、“知識を食している”。「自我とは何か」。

毎度お馴染みのフリー百科事典によれば、「自我」はドイツ語で「das Ich」 または「 Ich」。哲学および精神分析学における概念だ。ドイツ語代名詞の「 ich」と「 Ich」は、頭文字を大文字で表記することで区別される。「超自我」を唱えたフロイトは、それを「Ueber-Ich」と呼んだ。

「自我」あるいは「das Ich」あるいは「ego」。あるいは「自己意識」ともいう。イマヌエル・カントの「批判哲学」およびカントを中心としてフィヒテやシェリングなどにも見られる「超越論哲学」において、自己を対象とする認識作用を指す。なんだか話がいきなり難しくなってきた。

ドイツの哲学者、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762 - 1814)は、カントの実践理性批判を元に宗教概念を論じた処女作『あらゆる啓示批判の試み』を出版し、著名人になった人。イェーナ大学教授時代に「人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」との言った。

初期フィヒテの「知識学」においては、「自我は知的直観の自己定立作用 」とした。「哲学の原理」だし、「哲学の唯一の対象」だとした。「自然」は「自我」に反定立される「非我」であり、本来的な哲学の対象ではないとした。ちゅーことで、フィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定された。

そもそも“初期フィヒテの「知識学」”とは、広義には知識一般に対する形而上学のこと。知識学=フィヒテ哲学、です。で、“後期フィヒテ”においては、「自我」は「我々および絶対者の概念」へと展開される。 すなわち、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中核概念ではなくなる。

もう一人。ドイツ観念論の代表的な思想家に、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・(フォン・)シェリング(1775 - 1854)がいる。シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し、『自我について』(“Vom Ich”) で自我の自己定立性を、無制約性と結びつけた。

シェリングは『我が哲学体系の叙述』で、「自我」すなわち「主観的精神」と「客観的自然」はその原理において同一とした。「無限な精神」と「有限な自然」。これ自体は無差別な絶対者であるとした。後にヘーゲルは『精神の現象学』で、このような同一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判した。

で、フロイトは……っていう風に、つらつら「自我」についての情報は溢れている。けれど辞典を引けば一発だ。Yahoo!辞典では、「自分、自己」。あるいは「哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我」とある。

加えて「心理学で、行動や意識の主体。自我意識」。「精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。エゴ」。「自我」の発見。これは「自分」をうまく説明できなかった時代、言葉が確立されていなかった時代には、やはり大きな論争テーマになりえたのだろう。

「自我とは何か」。「自分のことです」。こんな短い返答で済みそうなことも、「哲学」フィルターを通すと、半端ない長文・駄文へと変身してしまうのは不思議だ。オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイト(1856 - 1939)の定義では、「自我」は1923年以前までは、いわゆる「私」だった。

これはこの1923年以前においては、フロイトが「意識」と「無意識」の区別によって精神を把握していたためだ。1923年以後、「心的構造論」と呼ばれる新たな理論を語るようになってから、「自我(エゴ)」という概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された。

「自我(エゴ)」は「エス(イド)」からの要求と「超自我(スーパーエゴ)」からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。とフロイトは言う。「エゴ」は“無意識的防衛”を行い、「エス」からの欲動を防衛・昇華したり、「超自我」の禁止や理想と葛藤したり従ったりする、調整的な存在とする。

「エス(イド)」? 「超自我(スーパーエゴ)」? となる。繰り返すように、哲学たった一つのテーマの情報をまとめるだけでもすごい苦労する。特に仕事の最中、職場でこっそりそれをやろうとすると、めちゃ大変な作業になる。そして隠れてブログをアップする。と、「自我」は望んでいる。

◇おしまい











2012年9月6日木曜日

「知の巨人」研究・1


「知の巨人」と呼ばれる人たちについて思い巡らせてみる。「知の巨人」、誰が最初にこの言葉を見つけ、使用したのかは知らないけれど、いいネーミングだと思う。英語にすると、The giant of knowledgeでThe giant of wisdomではないと思っている。あくまでも「知恵者」でなく「知識人」の分類だ、僕の定義では。

じゃあ誰のことを「知の巨人」って人々、あるいはメディアは呼んでいるのか。ネット検索でどんな人が「知の巨人」でヒットするのかを見てみると、「吉本隆明」「ドラッカー」「南方熊楠」「立花隆」「ジャック・アタリ」「梅棹忠夫」「山口昌男」といった面々が検索にかかってくる。

他には「渡部昇一」「加藤周一」「松岡正剛」「鶴見俊輔」といった人たち、「レム・コールハース」「小室直樹」「大江健三郎」「江藤淳」「小林秀雄」「佐藤優」といった人たちが、ネット検索界では「知の巨人」と“タグ付け”されている。それはどうかなな評価もあるけれど、ネット検索界の事実でもある。

僕が「知の巨人」で最初に頭に浮かぶのは、やはり立花隆。彼の頭脳は、百科事典図書館みたいだ。その性格には難がありそうだけれども、僕は彼の著書を相当読んできたのは、その“百科事典図書館”の知的レベルに追いつきたいと思ったから。その高い教養レベル、知的探求心は、何も知らない僕の眼を開かせてくれている。

もちろん批判する人も数多い。 『立花隆の無知蒙昧を衝く―遺伝子問題から宇宙論まで』という本も出版されている。アマゾンの同書紹介では「立花が知の最前線の現状をひとりよがりに解釈し、御都合主義的な論戦を展開し、読者にとんでもない誤解のタネを植え付けていると断言する」とある。

まあ「知の巨人」にはありがちなことだろうと思う。恐らく「知の巨人」たちは「無知の知」を知っているからこそ、知識に貪欲になれるし、知識を膨大に蓄え、醸造させていく。知識を持つがゆえにそれら膨大な知を吐き出したくなる。だから物を書くし、講演をする。で、「庶民」から「すげー知識!」と称賛される。

「無知」の知者だけれども、ある程度自分の「有知」も知っている「知の巨人」たち。だから「現状をひとりよがりに解釈する」と無知蒙昧を衝かれることもある。あえて“啓蒙”=「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」という言葉を使えば、多くの啓蒙家たちは自らが光と自認しているはずで、その輝き次第では、ほころびが出る。

かつてヨーロッパでは「啓蒙時代」と歴史家に名付けられた時代があった。啓蒙思想が主流となった、17世紀後半から18世紀にあたる。では「啓蒙思想とは」となるけれど、これは「聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動」(byフリー百科事典)のこと。

この時代に活躍した思想家は、スコットランドの「ジョン・ロック」、「デイヴィッド・ヒューム」、フランスの「ヴォルテール」、「ドニ・ディドロ」、「モンテスキュー」、「ジャン=ジャック・ルソー」、ドイツの「ヴィンケルマン」など。この潮流はスイスやドイツにも及び、「レッシング」や「モーゼス・メンデルスゾーン」らもこの流れになる。

この啓蒙思想家たちも立派な「知の巨人」たちと言えるかも知れないが、「思想家」と「知の巨人」は分けたい気がする。知がなければ思想はできないし、「思想家」を自称するなら知識豊富でなければならないとも思う。ただ少なくとも僕は「立花隆」を「思想家」とは見ていない。めっちゃ考えている人だろうけれど。

誰が言ったか「知の巨人」。その博覧強記ぶりは、著書などから知ることができるし、僕のように「知の小人」にとってはありがたい存在です。けれど決まってその文章は、やや読みにくい。これも「知の小人」ゆえに感じることなのかもなぁ。というわけで、「知の巨人」たちの「知」について、ちょこちょこ調べてまとめていきます。

ちなみに立花隆(1940ー)ネタ。茨城・水戸一高、東京・上野高校を経て東京大学文科二類。1964年に仏文科を卒業後、文藝春秋に入社。67年に東大哲学科に学士入学、これは中退した。74年、 『文藝春秋』で発表した「田中角栄研究~その金脈と人脈」が、田中退陣のきっかけとなったのは有名だ。

政治と金問題から脳死問題、生命科学について、などなど。『立花隆・100億年の旅』『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』……。その著書は実に幅広い。ちなみに宇宙飛行士の野口聡一さんは、高3のときに『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士になる決心をしたらしいです。

◇おしまい


2012年9月4日火曜日

【気象考(7)】「法令」編



気象予報士になるための試験では、「予報業務に関連する法令」の学科試験も盛り込まれている。そう、僕が嫌いな「法令」。一つ一つ覚えるのが大変というのもあるけれど、どうも“決まりごと”が苦手な僕には「法律や法令、法規を学ぶ」という行為ができない性格のようだ。

僕が「法令」や「ルール」が嫌いなのは、恐らく99%の確率で「僕の知らないオッチャンたちが、勝手に決めたルール」の一つだからかも知れない。とはいえ僕は、その時その時、必要なルールは勉強はした。たとえば自動車免許取得のための「道路交通法」や、教職採用試験のための「教育法規」になるけれど。

で、「予報業務に関連する法令」も、気象予報士試験のためのもの。この法令を分解すると、「気象業務法」や「災害対策基本法」「水防法」「災害対策に関連消防法」がある。試験では学科試験(5者択一のマーク試験、一般知識・専門知識各15問)の「予報に関する一般知識」の中で4~5問、出題されているようだ。

まずは基本のキ、の「気象業務法」。この法律は、“気象業務の健全な発達”を図り、「災害の予防」、「交通の安全の確保」、「産業の興隆等公共の福祉の増進」に寄与するためにある。とオッチャンの誰かが決めた。また「気象業務に関する国際的協力を行うことを目的とする」。

予報は全て「自然科学的方法による観測の成果」に基づくことが定められている。つまり「自然科学的知見を駆使して気象、地象及び水象を予想し発表すること」。ここには迷信や宗教、祈りが入り込余地はない。「天の神」は「天」の予報・予定から離れる。法的に。

気象予報を行うのは、基本「気象庁」。その役所以外の者が予報業務を行う場合には、「予報業務の目的期及び範囲を定めた気象庁長官の許可が必要」となっている。つまりデータをばっちり収集できても、勝手に予報はしてはいけない。天気予報は、それだけ重要かつ生活・生命に関わるものなのだ。

では「気象予報士」は法的にどんな位置づけか。と言うと、「予報業務許可事業者」なくてはならない一方で、「予報業務許可事業者」の業務のうち現象の予想以外、例えば「天気予報の解説」、「事業者の経営」などについては気象予報士である必要はない。医師の診断・病院経営と似たところはある。

「気象予報士」になるためには、「気象予報士試験」に合格し、気象庁長官の行う登録を受けなければならない。そして予報士試験に合格した者は、予報士となる資格を有しているだけ、な扱い。実際に予報士として活動するためには、面倒なことにも気象庁長官の登録を受けなければならない。予報業務許可も必要だ。

「警報及び注意報」に関しては、こんな。「気象庁以外の者は、気象、津波、高潮、波浪及び洪水の警報を行ってはならない」。しかし緊急時は別で、「津波に関する警報を適時に受けることができない地の市町村長は、例外として津波警報を行なうことができる」。加えて「水防法の規定による水防活動の利用に適合する警報」も例外。

「災害が発生するおそれがある異常な現象を発見したものは、遅滞なく、その旨を市町村長又は警察官若しくは海上保安官に通報しなければならない」とする「災害対策基本法」や、「水防法」や「消防法」などなど。これらがこの業界のルールであり、基本マニュアルになる。

もちろん“決まりごと”には、面倒な文章とは異なるものもある。誘導単位の「N」(力)を「ニュートン」と読むとか。その「ニュートン」については「質量1kgの物体に対して1ms-2の加速度を与えるために必要な力」とすること。よって、「N=kgms-2」とすること、とか。

さらには「重力によって生じる加速度はg=9.8ms-2であるため、1kgの物体に働く重力は9.8N」、よって「1kg重=9.8N」となるとするとか。科学めくと、急速にチンプンカンプンですね。うん。他にも、1m2あたりに働くN単位での力は「Pa(パスカル;圧力)」とする、とかもあります。天気予報業界、恐るべし。

◇おしまい

2012年8月29日水曜日

「アイザック」について


今日のニュースのトピックスには、こんなのがある。「米国立ハリケーンセンター(NHC)によれば、メキシコ湾を北上していた熱帯低気圧『アイザック』が28日、ハリケーンとなり、米南部ルイジアナ州に上陸した」(産経新聞)。

オバマ大統領はルイジアナ州に続きミシシッピ州に非常事態を宣言。時事通信によれば、「一帯では2005年、ハリケーン『カトリーナ』の直撃により約1800人の死者が出ており、最大の被災地となったニューオーリンズ市内は厳戒態勢に入った」という。

カテゴリーは5段階で一番弱い「1」。しかしながら、計4州が非常事態宣言を出して警戒を強めている。そんな「アイザック」について哲学者が語る時、ほとんどは物理学者の「アイザック・ニュートン」だろう。あるいはトリビア好きなら作家の「アイザック・アシモフ」だ。

どんな経緯でメキシコ湾を北上した熱帯低気圧が「アイザック」と名付けられたかは、僕は知らないけれど、そんな「アイザック」について、あえて「気象考シリーズ」ではなく、「アイザック考」で、つらつら書き留めておきたい。特に「アイザック」に思い入れはないのだけれど。

Wikipedia教授によれば、「アイザック(英語: Isaac)は、英語(特にユダヤ人)でポピュラーな名前(ファーストネーム)の1つ」とある。ギリシア語読みは「イサキオス」。旧約聖書の『創世記』に登場する「イサク」の英語読みという。

なるほど、「アイザック」はあの「イサク」だったのか、と一人納得してみる。イサクの父の方が有名で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖、「信仰の父」とも言われるアブラハム。母はサラ。サラは「サライ」とも呼ばれている。

イサクの父「アブラハム」。ユダヤ教の教義では、全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされている。彼の妻サラは不妊の女だった。と旧約聖書である。

アブラハム夫妻は子どもを持つことなく年老いた。サラは90歳になった。けれど神はサ二人に子どもを授ける。神は「イサク(彼は笑う)と名付けよ」と言った。でも非情な神は、幸せを与え、その幸せを奪う神でもある。

アブラハムの信仰を試そうとして、神はアブラハムに「イサクを生け贄に捧げよ」と求めた。焼き殺せ、と言った。神に従順なアブラハムは、泣く泣くこれに従った。当のイサクも、焼かれる直前になって、自分の運命を悟った。

このイサク生け贄物語(『創世記』22章1節〜19節)は、最終的にはこうなった。アブラハムが息子を屠ろうとしたその瞬間、神はアブラハムの信仰の確かさを知ってこれを止めた(イサクの燔祭)。神はアブラハムを祝福し、「あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」と言った。

アブラハムの名前は、第16代アメリカ合衆国大統領「アブラハム・リンカーン」などに引き継がれている。アブラハム・リンカーンは、しばしばエイブ (Abe) の愛称で呼ばれた。日本的な表記をすれば、「Abe」は「阿部」になる。で、「イサク」は「伊作」になる。

ある種最強の名前、「阿部伊作」。ネットで検索してみたら、「阿部伊作」さん、おりました。恐らくその意味を知っての名付けと思われるが、仮に狙ってなかったとしたら、それはそれで面白い。気付かないうちに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖とその息子をまとっている次第。

ちなみに先に登場したアイザック・ニュートン(1642年 - 1727年)。Wikipediaには、「アイザック・ニュートンのオカルト研究」というページまである。「ニュートンは現在ではオカルト研究に分類される分野の著作も多く著しており、年代学・錬金術・聖書解釈(特に黙示録)についても熱心に研究していた」とある。

なんだか僕の関心対象と似ているな、と思う。なんだか僕の思考回路と似ているかもな、とも飛躍する。ニュートンは、現代で言うところの"科学的"研究の成果よりも、むしろ古代の神秘的な英知の再発見のほうが重要だと考えていたという。

僕が「アイザック」の名前に魅かれたのも、ニュートン好きだったからかも知れない。経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言したようだけれども。

◇おしまい