2012年11月28日水曜日

「ゲシュタルト崩壊」について


「ゲシュタルト崩壊」という心理学用語がある。これは実に面白い現象で、誰もが経験したことがあると思う。僕もあった。たとえば、ある漢字一字をずっと眺めていると、その文字が何でその文字なのか、何と読むのか分からなくなってしまう、っちゅーあの経験。

その一例はこんな感じ。哲学の「哲」の字をずっと見る。ずっと見ていると、「折」と「口」に分解されてくる。「折」は「折」で、「扌」と「斤」に分解されてくる。構造がバラバラになってくる。次第にこれまで認知できていたものが認知できなくなってくる。

次第に僕はバカになってしまったのかな、とも思えてくる。そんな自分の脳ミソに疑いを抱いてしまうこの「ゲシュタルト崩壊」が「ゲシュタルト崩壊」ということを、僕は今年になって初めて知った。「えー今まで知らなかったの?」、「うん。。。。」。

ゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字で有名なのが「借」だ。ほかにも「傷」や「今」、「を」「ル」も、ゲシュタルト崩壊を起こしやすいと言われている。一つのまとまった構造から全体性が失われ、個々の構成部分に切り離して認識し直されてしまいがちな文字たち。

全体性への認識が失われてしまうのは、文字だけではない。「幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られるが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる」と、ウィキペディア先生は教えてくれる。聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊?

正直、聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊については、ぱっとその経験を思い浮かばせられないけれど、あるみたい。そんなわけで、これから僕は、五感を研ぎ澄ませ、日常生活におけるゲシュタルト崩壊日誌をつけてみようかな、なんて思ったりもする。

世界の心理学者たちにより、「ゲシュタルト崩壊」についての研究が進んでいる、と思いきや、「発生要因については未解明な部分が多く、…中略…比較的高次な認知情報処理過程によって発生することがわかる程度」と実はあまり解明されていない。

ただ、「静止網膜像のように消失が起きない」ことなどから、感覚器の疲労や順応によってその現象が起きているのではないようだ。人間の心理、人間の認知、人間の脳ミソ……実に興味深い。自分自身の知覚システムすら理解しないで、生活しちゃっている凄み。

ちなみに「ゲシュタルト」はドイツ語で「形態・姿」という、まとまりのある構造を意味するそうだ。心理学の一学派に「ゲシュタルト心理学」もあり、人間の精神は部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置く。20世紀初頭にドイツにて提起された。

ってことで、最後に、“人格崩壊”に至らしめられるとの怖い話しもある「ゲシュタルト崩壊」をもっかい経験してみたい。ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル。

哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学……、ちょっち怖いね。

◇おしまい

2012年11月16日金曜日

思想と表現の狭間について


ずっと長い間「週刊哲学タイムズ」の更新を怠った。「おいおい、全然『週刊』じゃないじゃん!」といった突っ込みもある。まあそもそも当初から「週刊」ではなかったのだけれども。で、久しぶりにやや“何かを書き留める”といった時間ができたので、更新してみんとするなり。

で、何についてかというと、思想と表現の狭間についてです。この更新していなかった期間、僕は何も考え事をしていなかったかというと、そうではない。その考え事の対象や内容、質はともかくとして、僕なりに何かを悩んだし、何かについてやや深めに考察もした。先日は恩師の他界もあった。

ただ、この間の僕の考え事は何かに記録されているかと聞かれれば、「ノー」だ。だから僕が何かを考えていたとして、その証拠はない。仮にアインシュタインの相対性理論よりも画期的な考察や理論を組み立てていたとしてもだ。あるいは一つの教義を生み出していたとしても。

考える。けれど記録にない。考察の証拠はない。証拠がなければある考えについて誰かが何か思想的影響を受けることもない。もしかしたら「何も考えていない風がかっこいい」などとある芸能人の影響を受けるファンみたいなのはあるかもだけど。

僕がここでちょっと触れておきたいのは、記録に残されていない人々の考察についてだ。以前僕は「思想家とは何か」について“思想”した。多くの思想家、哲学者の名前を挙げてみたけれど、他にもまだまだ思想家と呼ばれる人々はいたし、今もいる。とてもたくさん。

ローマ帝国の政治家でストア哲学者のセネカ(BC1- 65)、日本では絶大な尊敬を集める弘法大師または空海(774 - 835)、インドの宗教家でヨガの行者としても知られたラーマクリシュナ(1836 - 1886)……。

とにかく、多くの思想家たちが、「思想家」たらしめているのは、その言動や発表した思想に基づいての評価と言える。つまり表現者でなければ「思想家」とは見なされないかも知れない、と僕は思うのだ。と、僕は何かを思っていることをブログで表現する。

では表現しなければ、思想家足りえないのか。そうではない。そうではないけれど、近所のスーパーのレジのおばさんや、工事現場の警備員たち、あるいはぶすっと国会議事堂で座る政治家のおじさんたち。誰でもよいのだけれど、何かを表現しなければ、思想家とはみなされない。

「別に思想家とみなされなくてもいーんですけど」という人はごまんといるだろうけれど。ただ、「一般人」と「哲学者」あるいは「思想家」との間にあるものを、ちょっとまとめてみたいと思う。まずは僕の頭の中で。そしてそれが何かで表現されるかどうかは不明だけれど。

思想は表現とつながってこそのものではないのだろうか。そんなことをふと思った次第、再確認した次第なのであります。何をいまさら気付いてんだ、といった意見はごもっとも。意見あっての考えや指向の見える化なのであります。

◇おしまい

2012年11月5日月曜日

不可知論は不価値論なのか考


「ふかちろん」と読む「不可知論」。英語では「 agnosticism」。今回は、この「不可知論」について、簡単にまとめてみる。ちなみにあの著名な投資家、ウォーレン・バフェットさんも、不可知論者とのことのよう。不可知論者、世界最大の投資会社トップを含め、結構多くいるみたいです。

さて「不可知論」。この言葉は「1868年(あるいは69年)にトマス・ヘンリー・ハクスリーによって造語された」とはウィキペディア。ハクスリーは英国の生物学者で、「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名がある。チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護した。

「Yahoo!百科事典」では「不可知論」はこう解説されている。「不可知論の起源を古代ギリシアのソフィストや懐疑論者にまでさかのぼって考えることもできる」、「しかし神の本体は人間によっては知られないとする中世の神学思想から始まるとみるのが妥当であろう」。

続けて「つまり、人間は一種の知的直観であるグノーシスgnosisによって神の本体を直接知ることができるとするグノーシス派や本体論者の主張に対し、そうしたグノーシスを否定するのがアグノスティシズム、すなわち不可知論である」。

とても分かりづらい。この説明だと「グノーシス主義」を知っている必要がある。この思想は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つ。「物質」と「霊」の二元論に特徴がある。世界や事物の根本的な原理を「物質」と「霊」とする世界観だ。

そんなわけで「グノーシス主義」は「自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する」とされる。また同主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものもあるようだ。

代表的なグノーシス主義宗教はマニ教になる。サーサーン朝ペルシャのマニ(210年 - 275年ごろ)を開祖とする宗教で、かつてスペイン・北アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸で広く信仰された。が、現在ではほぼ消滅したとされる。

話しは脇道をさらに進む。「グノーシス主義」について。この世界観では、「物質からなる肉体を悪」とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。1つは禁欲主義となり、マニ教となった。一方では、「霊は肉体とは別存在=肉体汚してOK」の公式で、不道徳をほしいままにした。

この「グノーシスgnosisによって神の本体を直接知ることができるとするグノーシス派や本体論者の主張に対し、そうしたグノーシスを否定するのがアグノスティシズム、すなわち不可知論である」。まだ分かりづらい。そして、じゃあ「本体論者」って何?となる。

本体論、これは神の存在証明における論理の一つだ。あるいは「存在論」。「goo辞書」では、「あらゆる存在者が存在しているということは何を意味するかを問い究め、存在そのものの根拠またはその様態について根源的・普遍的に考察し、規定する学問」とある。いわゆる伝統的な哲学の基礎的思考作業だ。

そんなわけで「Yahoo!百科事典」から解いていくと、結局「不可知論」が何だか分からなくなってきそう。ウィキペディアは、「神学に関する命題の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗教的、あるいは哲学的な立場」とまとめている。

神学に関する命題とは、形而上の存在、死後の世界、神の存在、神のお告げなどのこと。そして「神はいるともいないとも言えないのだ」とする“公平な中立的不可知論”と、“無神論者であると言明するのがはばかられる場合に用いられる消極的無神論”があるとする。

積極的な無神論者には、『利己的な遺伝子』で知られる進化生物学者のリチャード・ドーキンスがいる。僕は読んでいないのだけれど、彼は著書『神は妄想である』には、英国の知識人集団では97%が無神論か不可知論に属すると述べているという。

不可知論とは何か。「goo辞書」では、「経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説」とある。「また、後者の存在そのものも不確実とする説」とある。まだ分かりづらいかも知れない。

そこで「世界大百科事典 第2版」。これは分かりやすい。遠回りせず最初からそう言えばいいではないか、となる。「一般に,事物の究極の実在,絶対者,無限者,神は知られえぬと説く立場を指す」。僕らは神について知りえない存在と認めること、になる。

残念ながら「不可知論」を軽く研究したところで何も生まれない。けれども割りと多くの人々が、無意識に「不可知論者」なのかも知れないと僕は思っている。つまり割りと多くの人々が、勝手に「不可知論者」に分類されているのかも知れないと思っている。

ただ、なぜ「不可知論」なのか、「不可知論」の優位性はどこにあるのか。その辺について僕らは考えていく必要がある。ただ何となく「不可知論」では弱い。なぜ僕らに絶対者を知覚できいないのか、そういうシステムはどうしてあり得るのか。知覚してないからそう思うだけなのか。

真実を神、絶対的な何かとするならば、この「不可知論」の奥深くに内在する真実に届くことができるのだろうか。不可知論的には、きっと無理になる。僕たちは事物の究極の実在は知られ得ぬ存在ということであるのが正しければ。そうであれば哲学する意味はどうなるんだろう。

◇おしまい

2012年10月3日水曜日

アッシジのフランチェスコ考


アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年)。僕が尊敬する先輩「ひとちゃん」が、僕が高校生だった頃に尊敬していた。尊敬し過ぎた結果、「ひとちゃん」は髪形もアッシジのフランチェスコとなった。つまり頭のてっぺんを剃った。修道服みたいなのを着たりもしていた。

先輩「ひとちゃん」はその後、神学部のある大学へ進学。やがて牧師となった。で、今「ひとちゃん」は三重県にいる。鈴鹿の教会で、4人家族を築いている。そんな僕の師匠にちょうど去年の今ごろ会いに行った。ついでに泊まらせてくれもした。

昔のカトリックの修道士が頭のてっぺんを剃ったのは理由があるはず。けれど「この髪型の由来は不明」だと、ある百科事典サイトはいう。一方で「磔刑となったイエス・キリストが十字架上で頭にかぶせられていたとされるいばらの冠を模しているとも言われる」という。

カトリック的河童頭。これを「トンスラ」または「トンスーラ」という。カトリックの儀式で、人が僧になる時に剃る。この儀式も「トンスラ」という。で、今はもうやってない。トンスラの儀式は1972年に廃止された。昭和47年。皇紀2632年。コンコルドが成田空港に来た年。

で、アッシジのフランチェスコ。イタリア風には「Francesco d'Assisi」。本名は、 ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ。多分こっちを聞いても誰も分からない。そもそも日本では「アッシジのフランチェスコ」はそんなに知られていないのかも知れないけれど。

 「Giovanni di Bernardone」は、786年前の今日、10月3日に他界。44歳だった。その44年の間の言動が、彼を「イタリアの守護聖人」、「聖フランシスコ」とならしめた。「ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ」は「アッシジのフランチェスコ」と聖人化した。

フランチェスコは、富裕な毛織物商人の長男として、アッシジに誕生。イタリア半島のちょうど真ん中あたりの町だ。少年時代は聖堂の付属学校に就学し、修辞学や文法、祈祷書などを学ぶ。20歳頃までは、父とともに織物商の仕事をしていたようだ。

彼は「ハンサムで気前がよく、スマートで陽気なフランチェスコは祭りのたびに金にものをいわせて人気を博し、娘たちのあこがれの的」だったともされる。「謝肉祭のパレードでは毎年『王様』に選ばれた」ほどだった。やはり、若かりし時よりただ者ではなかったようだ。

ある日フランチェスコは「そうだ! 騎士になろう」と思い立った。それで勇んで「アッシジ vs ペルージャ」の戦争に参加。けれどもその意気虚しく1202年に捕虜となってしまう。さらには獄中で病気に罹患した。1年余りの“獄中”。いろいろ苦しんだだろう。何より重い熱病は続いた。

ところで画人ジョットが描いた『着物を返すフランチェスコ』という絵がある。そこには着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコが描かれている。1205年頃から回心が始まったとされるフランチェスコが画中にいる。

回心。彼は不思議な声を耳にするようになり、世界観が変わった。そして、洞窟で祈ることに心の安らぎを覚えるようになった。あるとき神と対話した。そして神は「私の望みを知りたいのなら、まずお前がこれまで愛してきたものすべてを憎み軽蔑せよ」と啓示した。

神は「これまで嫌ってきたものすべてを喜びの泉とせよ」とも言った。フランチェスコはローマで浮浪者に出会った際、貧しさを味わうために、着ているものを浮浪者と交換したとされ、そのとき彼はこれまでと違う解放感を覚えたという。ここから青年は貧者への奉仕に向かう。

あるとき小さな礼拝堂で、十字架上のイエス・キリストが「行けフランチェスコ、そしてわが家を修復せよ。それはもう倒れかかっているから」と呼びかける声を聞いたという。僕はこうした啓示については脳の病気なのでは説もとりたいところだけれど、とりあえず啓示としておきたい。

礼拝堂での啓示がフランチェスコにとって決定的な回心の瞬間となった。啓示を受けたフランチェスコは、父の店から織物を持ち出し、それを販売して金銭を得、礼拝堂の修復にあてようとした。で、父に訴えられた。法廷での親子闘争。彼は親子の縁を絶ち、相続権はじめ一切の財産権を放棄した。

出身階級とも絶縁して家を出たフランチェスコ。彼は、病人への奉仕やサン・ダミアノ聖堂の修復などの活動に励んだ。世俗への執着を断ち、無一物となってイエスの生き方を自身の人生のモデルとして生きた。「奉仕」と「托鉢」の生活だ。敬虔な貧者は、やがてアッシジの2つの聖堂を修復した。

「清貧」と「労働」を守って暮らすフランチェスコの周囲には、自然と仲間や弟子が集まるようになる。外部からは“乞食集団”にしか見えない集団。1210年、フランチェスコは教皇インノケンティウス3世から修道会設立の認可を受け、「フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)」を設立した。

その後、フランシスコ会の信者は増加。フランチェスコの死後には世界最大の修道会へと成長。そんな流れを創始したフランチェスコ。命日となる10月3日、僕はフランチェスコを、また彼の影響を強く受けている「ひとちゃん」に思いを馳せる。改めてキリスト教の力を感じてしまう。

ちなみにフランチェスコを調べていたら、あのB級ハリウッド映画俳優のドン、ミッキー・ロークが主演した『フランチェスコ』(1989年)という映画を発見。なんと「goo映画」での評価は☆4つ半、90点と高評価。近いうちに見てみよーっと、と思いましたとさ。アーメン。

◇おしまい

2012年9月20日木曜日

「知の巨人」研究・2


『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 』(文藝別冊)というムック本がある。アマゾンでは「民族学・文明学に新たな視野を拓いた知の巨人。著作集未収録原稿ほか、幻の『世界の歴史 人類の未来』目次を紹介」と紹介されている。「知的生産の現場・梅棹研究室をイラストで再現。梅棹忠夫論、対談も多数」ともある。

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」では、もちろん梅棹忠夫の著書が並び、『知的生産の技術』(岩波新書)、『情報の文明学』(中公文庫)、『文明の生態史観』 (中公文庫)など。僕はいずれも読んだことはないけれど、『日本文明77の鍵』 (文春新書)や『梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明』含め読んでみたいものばかり。

「知の巨人」研究・第二回目は、生態学者、民族学者の梅棹忠夫(1920- 2010)について。梅棹忠夫について、と言っても、今記した通り、僕は彼の著書は読んでいない。であるからして、そのぉ、あのぉ、すでに彼についてまとめた記事を僕がまとめていく作業。知の巨人をまとめてくれた巨人の肩に、僕は乗っかるわけなのであります。

「うめさお ただお」。その肩書きには、「国立民族学博物館名誉教授」、「総合研究大学院大学名誉教授」、「京都大学名誉教授」や「理学博士」などがありました。例の参考資料によれば、「日本における文化人類学のパイオニア」であり、「梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開」しておりました。

よって多方面に多くの影響を与えた「知の巨人」。京都帝国大学時代は、日本の霊長類研究の創始者として知られる今西錦司に学ぶ。「生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す」。代表作『文明の生態史観』。

ちなみに「生態学」とは、「生物の生活や行動、環境との相互作用などについて研究する学問。エコロジー(ecology)」と、「はてなキーワード 」では解説。古代ギリシャのアリストテレスによる動物に関する研究や、植物学の祖とも呼ばれるテオプラストスの植物、植物群落についての研究も、生態学の歴史の一端とされる。

梅棹忠夫は、「数理生態学の先駆者」でもある。オタマジャクシの群れ形成の数理を研究した。さらに、宗教のウィルス説という、とてもユニークな論を唱えた。ウィルスによる病が宗教だ、というわけでなく、思想や概念の伝播、精神形成について、ウィルスの広がりと重ねた。宗教ウイルス説。

宗教を伝染病にたとえた斬新な「宗教ウイルス説」は、「文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである」と、例の参考資料は記す。さすが「文明学者」と呼ばれるだけある。

経歴は「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分」とされる箇所をまとめます。大日本帝国が国際連盟へ正式加入した1920年、梅棹忠夫は京都市に長男として誕生。1936年、京都一中(現・京都府立洛北高等学校)から4年修了(飛び級)で第三高等学校に入学した。

「京都一中」は、1870年に創立された、日本最古の旧制中学校。戦前から戦後にかけて京都大学へ多数の進学者を送り出していた。「第三高等学校」は、京都にあった旧制高校で、略称は「三高」、現在の京都大学の前身の一つになる。名門校からしかも飛び級で、名門校へ進んだ。

頭は抜群に良い。けれど「三高時代から山岳部の活動に熱中して学業を放棄」した。それゆえ「2年連続で留年して退学処分を受け」た。僕はこういう人が好きだ。結局「後輩や同級生からの嘆願運動で復学を認められる」。で、京都帝国大学理学部動物学科に進んだ。

在学中には今西錦司を団長とする中国北部「大興安嶺探検隊」などに参加。「モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした」。

フィールドワークや京大人文研での経験から1969年に著した『知的生産の技術』はベストセラー。同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。というより、実は梅棹がデザインした特注が、普及したものが「京大式カード」となったようだ。

1963年という時期に『情報産業論』を発表、情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉は梅棹が名づけた。「その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』にまとめられている」。また国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。

1986年に原因不明の失明、以降の著述は口述筆記で行われた。これは闘病記『夜はまだあけぬか』(講談社文庫)に詳しいようだ。僕が尊敬する“先生”、司馬遼太郎とは、モンゴル研究のつながりで長年の友人であった。編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』もある。

「日本語のローマ字化推進論」を唱えた。「漢字廃止論」を唱えた。「エスペラント推進論」を唱えた。ベホイミを唱えた。とにかく「世界エスペラント協会」の名誉委員になった。宗教観については、自身は無宗教であるとしている。ザオリクは唱えなかった。2010年7月3日、大阪府吹田市の自宅で老衰により、90歳没。

偉大なる知の巨人・梅棹忠夫。読書の秋の10月、僕はなんかしらの著書を読もうと思う。優秀な頭脳を持つ探検家、斬新な視点を提供する哲学者でもあっただろう。途中失明しても、「知」を発信し続けた。彼が「知の巨人」と認定されているのも分かる気がしました。

◇おしまい


2012年9月19日水曜日

「暗黒エネルギー」とは何か


今回は「ダークエネルギー」あるいは「暗黒エネルギー」について。と言うのも、僕がたまに読む「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事に、こんなのがあったからだ。「暗黒エネルギーを不要とする新理論」というタイトル。ただ、この記事はちょうど2年前、2009年8月のやつだけれど。

こんな風にして記事は始まる。「宇宙の膨張を加速させる謎めいた力として10年以上前から論じられてきた暗黒エネルギーは、もはや不要な理論であるとの研究結果が発表された」。ふむふむ。「提唱された新理論は、宇宙の加速膨張原理の再考を促すことになるため物議を醸している」。ほー。

「暗黒エネルギー」について関心や知識がなければ、きっと“どーでもいい話”かも知れない。けれど「この研究に携わったカリフォルニア大学デービス校のブレイク・テンプル氏は、『われわれの解が正しければ、暗黒エネルギーを持ち出さなくても宇宙膨張の加速について説明することができる』と話している」とある。

ちなみにその1年前、2008年の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、 「暗黒エネルギーの存在を示す強力な証拠」というのもある。どっちが本当かは知らないけれど。記事には「暗黒エネルギーの存在が、色分けされた画像という目に見える形で初めて表された」とある。

さらには今日、2012年9月19日の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、なんと「初撮影、暗黒エネルギーカメラ始動」との記事がある。「世界で最も高感度な、570メガピクセル(5億7000万画素)のデジタルカメラ『ダークエネルギーカメラ』が探索を開始したという内容。あくまでも“始動”で発見はまだ先になる。

で、「暗黒エネルギー」。「ナショナルジオグラフィック」では「宇宙の膨張を加速させるとみられている謎めいた力のこと」と紹介。wikipediaでは「宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギー」とある。「真空のエネルギー」が有力な候補の一つとされている。

「暗黒エネルギー」とは何か。仮想的エネルギーである。何の仮想的エネルギーか。宇宙全体に均一に満たされているとする仮想的なエネルギーのことだ。「知恵蔵2012の解説」に頼ってみる。「暗黒エネルギーは、バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられている」。むむむ。

その前にはこんな解説文。「遠方の超新星の観測から、現在の宇宙の膨張速度は加速していることが分かっている」。「超新星」とは星の進化の最終段階で起こる大爆発に伴う増光現象のこと。「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」。

「バリオン物質?」「暗黒物質?」となる。「バリオン」とは、3つのクォークから構成される亜原子粒子で「重粒子」とも言う。「暗黒物質」とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせず、かつ色電化も持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質。むむむ。

ちなみに「暗黒物質」の存在の間接的な発見は、1970年代に米国の天文学者によって、銀河の回転速度の観測から指摘されたという。水素原子の出す21cm輝線で銀河外縁を観測したところ、ドップラー効果により星間ガスの回転速度を見積もることができた。という。超新星のスイス人研究者の仮説を説明するために仮定された。

「暗黒エネルギー」とは何か。知恵蔵に戻ると、「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」「このエネルギーの総称が暗黒エネルギー」。バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられているという。

NASAが打ち上げた宇宙マイクロ波背景放射探査衛星「WMAP」の観測結果などから、宇宙の構成要素の「4%がバリオン物質」、「22%が暗黒物質」、「約74%が暗黒エネルギー」とされている。WMAPによると、宇宙は平坦で年齢は約137億年。宇宙が始まって約38万年後に宇宙の膨れはじめ、約2億年後に最初の星ができた。

現在観測されている宇宙の加速膨張。けれど宇宙の大半の質量が正体不明。この観測事実を説明するために、「暗黒エネルギー」が登場する。宇宙論の標準的な理論(ロバートソン-ウォーカー計量)にダークエネルギーを加えるのが現在最もポピュラーな手法となっている、という。この新しい宇宙論の標準モデルをΛ-CDMモデルと呼ぶ、らしい。

現在提案されている2つのダークエネルギーの形態としては、静的な「宇宙定数」と動的な「クインテセンス」がある。この二つを区別するためには、宇宙膨張を高い精度で測定し、膨張速度が時間とともにどのように変化しているかを調べる必要がある。「このような高精度の観測を行うことは観測的宇宙論の主要な研究課題の一つ」by wikipedia。

「宇宙定数」は、あのアインシュタインが1917年に提案したもの。静的な宇宙を表すような重力場の方程式の定常解を得るための方法だった。このときアインシュタインは、実質的に「暗黒エネルギー」にあたるエネルギーを重力と釣り合わせるために使用。しかし後に、アインシュタインの「静的宇宙」観は、「ちょっと厳しい」となった。

天文学者・ハッブルの観測によって、「宇宙は膨張しています」「静的ではありえません」となった。これにより「宇宙定数」の存在はほぼ無視されることに……。アインシュタインは「静的宇宙とは対照的な動的宇宙のアイデアを予測できなかったことは人生最大の失敗だった」と言ったとか。

けれど後に「宇宙定数」は再評価されることになる。標準ビッグバン宇宙モデルの初期条件を説明する宇宙のインフレーションモデル。これは「宇宙の初期に時空が指数関数的な膨張を遂げた」とするモデル。その原理は、アインシュタインの重力場方程式の中に現れる「宇宙項」の存在に相当する。

「宇宙項」。繰り返すけれど、宇宙は加速的に膨張している。宇宙、膨張なう。その加速膨張を説明するメカニズムとして、「宇宙項」の存在が支持されている。「宇宙定数」の源の有力な候補としては「真空のエネルギー」などが挙げられている。これを仮定した計算と、観測したものとではギャップがある。

このギャップを埋めるメカニズムが、現代宇宙論の未解決問題の一つ。「最近では、宇宙の加速膨張を担うものとして、宇宙項の可能性を含め、ダークエネルギーと総称することが普通になっている」と、wikipedia先生は教えてくれる。とにかく「暗黒エネルギー」が存在すると仮定すると、いろんなことが説明できるようになる。

あったらいいな、として登場、存在が期待されている「暗黒エネルギー」。「これまでの観測結果は、宇宙の全物質の約74%を暗黒エネルギーが占めることを示している」との記事もある。「暗黒エネルギー」とは何か。調べれば調べるほど、頭の中がダークなマター(暗黒物質)に占められていく。がほっ

◇おしまい

2012年9月11日火曜日

哲学と自我について


あるフリー百科事典の「哲学」に関するページによれば、学問として「哲学」で扱う主題には、「真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為……などがある」という。

省略した部分には、「経験、世界、空間、時間、歴史」に加えて「現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性」などが入る。さらには、「世界の起源のような『根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩』」も追加される。実に幅広い。

同辞典の解説にもあるけれど、一般に「哲学」の主題は「抽象度が高い概念であることが多い」。その分、哲学するときには思考能力が必要になってくるけれど、きっと子どもたちも子どもなりの哲学はしている。「どうして○○ちゃんは意地悪するんだろう」とか、「なんでパセリはマズイんだろう」とか。

一方、惰性に生きてしまっていれば、大人になってもそんなに大それた哲学はしていない。誰だって毎日「真理とは何だろう」とか「正義とは何だろう」とか「美はなぜ感じるのだろう」とかは思わない。「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」ってのはあるかも知れないけれど。

ただ「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」も突き詰めれば、やはり大それた哲学に発展していきそうだ。弱い意思についての考察からは「意思とは何か」となるし、ギャンブルの中毒性についての考察からは「脳と自分を制御する仕組みはどうなってるのか」となる。

日本人を病みつきにさせるパチンコ業界について考察すれば、それはそれでいろいろな埃や闇、たとえば警察との癒着や、北朝鮮へとつながる国際経済問題などにも辿り着く。パチンコ機からは、高度な電子制御システム、遊ぶ機種からは、そのストーリー構成やデザインなどソフト部分について思い巡らせもできる。

ときに具体的に物事の仕組み、自分とその物事との関連性、その物事に向き合っている自分自身の状況・変化について考える。そしていずれ具体的なものから、抽象的なものにと語る言葉は移っていく。移ってはいくのだけれど、語る言葉そのものは具体的である必要がある。

「つまり愛とはアレだな」や「人間は結局あんな感じ」では駄目なのだ。抽象的なものをいかに具体的な言葉の枠にはめ込んでいくのかが、「哲学」の要なんだと僕は思っている。別にこの言葉や名付け、記号の力や意味の大きさは、「哲学」に留まらないのだけれど。

で、せっかくなので今日は短く哲学的テーマの一つ、「自我」についての情報を整理しておきたい。ちなみにいつも僕が行ってきている“情報の整理”は、哲学ではない。少しは思考しているかもだけれども、思索とは別次元で、僕は毎回“整理”をし、“知識を食している”。「自我とは何か」。

毎度お馴染みのフリー百科事典によれば、「自我」はドイツ語で「das Ich」 または「 Ich」。哲学および精神分析学における概念だ。ドイツ語代名詞の「 ich」と「 Ich」は、頭文字を大文字で表記することで区別される。「超自我」を唱えたフロイトは、それを「Ueber-Ich」と呼んだ。

「自我」あるいは「das Ich」あるいは「ego」。あるいは「自己意識」ともいう。イマヌエル・カントの「批判哲学」およびカントを中心としてフィヒテやシェリングなどにも見られる「超越論哲学」において、自己を対象とする認識作用を指す。なんだか話がいきなり難しくなってきた。

ドイツの哲学者、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762 - 1814)は、カントの実践理性批判を元に宗教概念を論じた処女作『あらゆる啓示批判の試み』を出版し、著名人になった人。イェーナ大学教授時代に「人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」との言った。

初期フィヒテの「知識学」においては、「自我は知的直観の自己定立作用 」とした。「哲学の原理」だし、「哲学の唯一の対象」だとした。「自然」は「自我」に反定立される「非我」であり、本来的な哲学の対象ではないとした。ちゅーことで、フィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定された。

そもそも“初期フィヒテの「知識学」”とは、広義には知識一般に対する形而上学のこと。知識学=フィヒテ哲学、です。で、“後期フィヒテ”においては、「自我」は「我々および絶対者の概念」へと展開される。 すなわち、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中核概念ではなくなる。

もう一人。ドイツ観念論の代表的な思想家に、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・(フォン・)シェリング(1775 - 1854)がいる。シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し、『自我について』(“Vom Ich”) で自我の自己定立性を、無制約性と結びつけた。

シェリングは『我が哲学体系の叙述』で、「自我」すなわち「主観的精神」と「客観的自然」はその原理において同一とした。「無限な精神」と「有限な自然」。これ自体は無差別な絶対者であるとした。後にヘーゲルは『精神の現象学』で、このような同一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判した。

で、フロイトは……っていう風に、つらつら「自我」についての情報は溢れている。けれど辞典を引けば一発だ。Yahoo!辞典では、「自分、自己」。あるいは「哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我」とある。

加えて「心理学で、行動や意識の主体。自我意識」。「精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。エゴ」。「自我」の発見。これは「自分」をうまく説明できなかった時代、言葉が確立されていなかった時代には、やはり大きな論争テーマになりえたのだろう。

「自我とは何か」。「自分のことです」。こんな短い返答で済みそうなことも、「哲学」フィルターを通すと、半端ない長文・駄文へと変身してしまうのは不思議だ。オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイト(1856 - 1939)の定義では、「自我」は1923年以前までは、いわゆる「私」だった。

これはこの1923年以前においては、フロイトが「意識」と「無意識」の区別によって精神を把握していたためだ。1923年以後、「心的構造論」と呼ばれる新たな理論を語るようになってから、「自我(エゴ)」という概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された。

「自我(エゴ)」は「エス(イド)」からの要求と「超自我(スーパーエゴ)」からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。とフロイトは言う。「エゴ」は“無意識的防衛”を行い、「エス」からの欲動を防衛・昇華したり、「超自我」の禁止や理想と葛藤したり従ったりする、調整的な存在とする。

「エス(イド)」? 「超自我(スーパーエゴ)」? となる。繰り返すように、哲学たった一つのテーマの情報をまとめるだけでもすごい苦労する。特に仕事の最中、職場でこっそりそれをやろうとすると、めちゃ大変な作業になる。そして隠れてブログをアップする。と、「自我」は望んでいる。

◇おしまい