2012年12月13日木曜日

スペインの現代哲学者について


さて、突然ですがスペインを代表する哲学者は誰でしょう? と訊かれても、僕は「うーん、誰がいたっけ」と即答しかねていた。哲学と言えばドイツ哲学やフランス哲学とかの“有名人”はすぐ頭に浮かぶのだけれど。僕の無知はさておき、もちろんスペインにも、そしてけっこう「哲学者」はいる。

今回はその一人、ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴ(1864-1936)についての情報整理。それも23段落とかなり長文の整理になりますが。はい、このミゲルさんは「スペインを代表する哲学者」または「スペインを代表する文学者」とされているお方だ。詩人でもあり、劇作家でもあった。そして濃い人生を送った。

ミゲルさんは、いわゆる「98年の世代」にあたる。1898年、米西戦争が起きた年。日本では明治31年。「98年の世代」については世界大百科事典によれば、「1898年の米西戦争の敗北で祖国が最後の植民地を失ったとき、スペインの後進性を痛感し、苦悩のうちに未来を模索した作家たちを〈98年世代〉と呼ぶ」とある。

特定の思想家や芸術家ら一群に付けられた呼称「98年の世代」。その中心となったのは「《生の悲劇的感情》で理性と信仰の葛藤を論じ、それをヨーロッパとスペインとの関係にまで広げたM.deウナムノ…省略…らである」。ここではミゲルさんは「M.deウナムノ」と呼ばれているようです。

調べてみると、ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴさん、「ウナムーノ」の呼び名が一般的。彼は“スペイン思想界に大きな影響を残した一人”で、「思想面では哲学と詩の両面から生と死、あるいは自己の問題などに取り組み、実存主義的な思想家として知られる」(wikipedia)。ん、知ってました?

スペインの現代思想家「ウナムーノ」。僕はつい先日、知りました。彼の生まれは、現在も独立運動でも有名な、スペイン北部・バスク地方のビルバオ。ピカソの絵で知られるゲルニカから約20キロ西の場所にある。この都市は現在、“スペイン北部屈指の港湾都市”で、鉄鋼業が盛んなようです。

ちなみにピカソの『ゲルニカ』に触れておくと、「スペイン内戦」の1937年、フランコ将軍を支援するナチスがゲルニカを空爆。その「史上初の都市無差別空爆」を聞いたピカソが抱いた激しい感情・思いをぶつけた絵が『ゲルニカ』だ。今回の“主人公”ウナムーノは出身地近郊で起きたこの空爆の前年に他界している。

話は1880年、あるいは僕が横浜で生まれたちょうど100年前に戻ります。ウナムーノはスペインで2番目に古い歴史のマドリード大学へ入学し、文学・哲学・言語学を専攻。で、その後を端折ると、彼は博士号を取得後、個人教授となります。そして社会主義に傾倒したり、結婚したり。やがて名門サラマンカ大学で、ギリシア語の教授に就任。

1895年、日本では明治28年、ウナムーノは『生粋主義について』を発表。これは、「スペインの歴史を振り返り、真のスペイン思想やスペイン国家とは何かを説いた著作」(wikipedia)で大きな反響を呼ぶ。その翌年もウナムーノ史での重大出来事。誕生した息子が、脳水腫で他界した。このことは、彼に「死」の問題を突きつけた。

ところでウナムーノが教授に就任したサラマンカ大学は、1218年設立の現存するスペイン最古の大学だ。「知識を欲する者はサラマンカへ行け」と言わしめた名門校で、オックスフォード大学やパリ大学、ボローニャ大学などとともに欧州でも設立の古い大学の1つと知られている。ん、これは知ってました。

このサラマンカ大学は、サラマンカの旧市街とともにユネスコの世界遺産に登録。スペインの大航海時代は天文学などに基づいた航海計画などで支え、宗教改革後は欧州におけるカトリック神学の中心地としてカトリックを支えた。スペインの繁栄を支えた智の殿堂と言える。

そんなサラマンカ大学の総長に1900年、ウナムーノは選出。つまりスペインの知の最高峰の最高位に就任した。この頃に「実存主義の創始者」あるいは『死に至る病』(1849)で有名なキルケゴール(1813 - 1855)の哲学を知り、デンマーク語を修得。キルケゴールの思想は、ウナムーノの実存主義的な思想に多大な影響を及ぼした。

「ウナムーノはヨーロッパ思想界の中でもかなり早い時期からキルケゴールの思想の独自性に注目していた先駆的な存在であった」との記述もあるように、いま多くに知られたキルケゴールと、“当時のキルケゴール”は、きっと違う。そんな中で彼は彼を見出した。ウナムーノ、キルケゴールを発見。

生誕40周年の1904年、日本では日露戦争開戦の年、ウナムーノは『ドン・キホーテとサンチョの生涯』を執筆。この著書は、ウナムーノの代表的な作品と言われる。セルバンテスが描いた「ドン・キホーテ」の生き方に、真のスペイン人としての生き方・倫理観がある、とのウナムーノの考えが反映されている、という。

『ドン・キホーテとサンチョの生涯』。ウナムーノは、自らを伝説の騎士と思い込んだ主人公「ドン・キホーテ」を自分流に解釈し、人生や死の問題、あるいは自己というものにアプローチした、ようだ。で、その後『人間と民族における生の悲劇的感情』(生の悲劇的感情)を出版。これはこれで彼の哲学の代表作となった。

駆け足の“ウナムーノ史”となっている。1914年、第一次世界大戦が勃発。その年、ウナムーノは「反政府的」という理由で、大学総長を罷免される。独裁政権を強く批判していたことが響いたのだ。さらにはサラマンカからの追放も決まり、カナリア諸島への島送りされた。最も大陸に近い島でも、アフリカ大陸から100km強の距離の諸島へ。

後にカナリア諸島から脱出したものの、1930年までフランスで亡命生活を余儀なくされる……。そんな彼の人生をざっと眺めていると、「人生何が起こるか分からない」と思う。なぜなら、この一連の政治的事件で、ウナムーノに一層注目が集まることになったからだ。独裁政権が崩壊し、ようやくサラマンカに帰った彼は、市民から熱烈な歓迎を受けたという。

長いウナムーノの人生も、そろそろ佳境に入る。ここまで、まとめ過ぎた。「1864年バスク地方出身→学生→大学教授→総長→追放→亡命生活(カナリア諸島とフランス)→帰国」。「わけ分からん」というくらい駆け足した。で、1931年、 故・いかりや長介が生まれた年に、スペイン第二共和政が成立した。

「スペイン第二共和政」は、1939年にフランシスコ・フランコが独裁体制を固めるまで続いたスペインの共和政体。王族は国外へと追放された。そんな折、ウナムーノは国会議員になる。その3年後、サラマンカ大学終身総長になる。不死鳥のごとくの復活。けれども1936年に「スペイン内戦」。彼は反戦を説いた。で、再び大学を追放された。不死鳥、再び散る。

知の巨人でもあった不死鳥は、散ったまま終わった。1936年12月31日、ウナムーノは失意のまま、自宅で72歳で息を引き取った。最後に見た天井は、どんな風に見えたのだろうか。72年間、文筆しまくり、大学総長にもなり、フランスでも暮らし、政治家にもなって。その果てにあったのが、自宅軟禁だった。

彼の思想はその後、哲学者・オルテガ(1883 - 1955)など、スペイン哲学に大きな影響を与えた。というウナムーノの生涯。その大きな影響を与えた思想については、今回ほとんど何も触れてもいないのだけれども、または今後も触れそうにないけれど、「スペインの現代哲学者について」考。スペインを代表する哲学者に、ウナムーノさんがいました。その発見と、記憶定着作業。

ウナムーノさん(1864-1936)の復習。「スペインを代表する哲学者」または「スペインを代表する文学者」で、詩人であり、劇作家でもあった。「98年の世代」で、実存主義的な思想家。「サラマンカ大学総長」になったり、『ドン・キホーテとサンチョの生涯』を執筆したり。国を追われ、帰国後に国会議員になったり。そして日本で「二・二六事件」が起きた年に、72歳で逝った。

実に濃い人生。まとめるのもシンドイほど濃い生涯だ。自分が書いた以上の文章すら、僕は読み返したくないほどだ。長文にならざるを得ない複雑な人生を経て、ただでさえ賢い部類の人の世界観が、一般人、あるいは凡人と同じはずがない。もう一度、彼の死の床から見た天井がどのように見えたのか、想像してみる。

◇読了おつかれさまでした


2012年12月3日月曜日

睡魔撃退テスト体験考


午後7時過ぎ。いま、僕は猛烈な眠気の中にある。いや、今日一日中、睡魔と戦い、現在に至っている。いまのところ睡魔に負けて仕事中にうつ伏せで寝てしまう、という状態は間逃れてはいるのだけれど、寝て良いなら今すぐ僕は眠りにつきたい。

きっと先週の睡眠不足が響いているのだろう、と自己分析している。先週は調子に乗って、明け方まで起きる日々を過ごしてしまった。平均睡眠時間は3〜4時間くらいで、酷い日は1時間半くらい。これではまともに思考できなくて当然だ、社会人に悖る。

僕は以前、この「週刊哲学タイムズ」で、眠気について浅い考察をしてみた。題して『なぜ寝る、起きるのか?論』(2012年5月25日)。改めて自分の論考を読んでみると、案の定、大した中身ではない。読んでいて恥ずかしくて、やや目覚ましにもなったりする。

その駄文をまとめてみると、こんなだ。と、自分の文章をまとめるレアな作業に取り掛かる。「まず僕らはなぜ寝るか。肉体的・精神的休息や回復、記憶の再構成といった目的があるが、いずれにせよ脳と関わっている」。脳からの「成長ホルモンが、睡眠時は特に多く分泌」する。

「そのため肉体的ダメージの回復が促進」される。「それはそうだとして、実は『僕らはなぜ寝るのか』は、科学的にまだよく分かっていない部分が多い」。うんぬんかんぬん。結局、「覚醒」について触れてみてはいるけれど、“解答”はそこにはない。

ちなみに「僕らはなぜ寝るのか」の解答については、今回の駄文にも、ない。眠い、眠いけど覚醒しなければいけない。こうなったら激辛ラーメンでも食べるしかない、けれど今「蒙古タンメン中本」に行くわけにはいかない、どうしよう、何して自分を覚醒に導こう。

その自分への回答として、「そうだ、駄文を綴って脳を活性させよう」「こっそり公開中の“非公開ブログ”を使ってみよう」「タイピングも脳活性に効果ありそうだし」なんてことをうとうと思いつき、いま実行してみている次第だ。そして実際、思惑通りになってきたような。

言語使用回路を強制的に始動させる、という実験としてみれば、この睡魔撃退方法、なかなか有効なのかも知れない。うん。みるみるうちに視野がクリアになってきたような気がしてもいる。言語使用回路を強制的に始動させる、すなわちニューロンの動きの活性化。

ちょっち調べてみると、この方法は科学的にも間違っていなさそう。脳内活動が活発化するとき、血流も増加する実験結果をネットで発見したからだ。血流が増加するということは、運動して覚醒する状態と大差ないとも言える。ドーパミンも関係しているかも知れない。

この「ドーパミン」は、中枢神経系に存在する神経伝達物質のこと。心拍数や血圧を上げるアドレナリンや、集中力に関するノルアドレナリンの前駆体でもある。でもって、ドーパミンは運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わている。

まあそれはよいとして、体感的に僕は睡眠撃退法として「これはいける!」「とりあえず思っていることをタイピングしていくのは有効じゃん!」との確信に至っている、この10分程度の間で。そこに今回の記事・記録に価値を付加してみる。個人的なメモとして。

毎日僕らは寝て起きてを繰り返しているのだけれど、結局なぜ眠るのか、なぜ起きるのか、いまいちうまく説明できない。少なくとも僕は。宇宙の仕組みや太陽の動きにともなう朝と夜、生態リズム。奥深く神秘的な自然科学の話にまでなってしまいそうだしね。

◇おやすみなさい

2012年11月28日水曜日

「ゲシュタルト崩壊」について


「ゲシュタルト崩壊」という心理学用語がある。これは実に面白い現象で、誰もが経験したことがあると思う。僕もあった。たとえば、ある漢字一字をずっと眺めていると、その文字が何でその文字なのか、何と読むのか分からなくなってしまう、っちゅーあの経験。

その一例はこんな感じ。哲学の「哲」の字をずっと見る。ずっと見ていると、「折」と「口」に分解されてくる。「折」は「折」で、「扌」と「斤」に分解されてくる。構造がバラバラになってくる。次第にこれまで認知できていたものが認知できなくなってくる。

次第に僕はバカになってしまったのかな、とも思えてくる。そんな自分の脳ミソに疑いを抱いてしまうこの「ゲシュタルト崩壊」が「ゲシュタルト崩壊」ということを、僕は今年になって初めて知った。「えー今まで知らなかったの?」、「うん。。。。」。

ゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字で有名なのが「借」だ。ほかにも「傷」や「今」、「を」「ル」も、ゲシュタルト崩壊を起こしやすいと言われている。一つのまとまった構造から全体性が失われ、個々の構成部分に切り離して認識し直されてしまいがちな文字たち。

全体性への認識が失われてしまうのは、文字だけではない。「幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られるが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる」と、ウィキペディア先生は教えてくれる。聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊?

正直、聴覚や皮膚感覚においてのゲシュタルト崩壊については、ぱっとその経験を思い浮かばせられないけれど、あるみたい。そんなわけで、これから僕は、五感を研ぎ澄ませ、日常生活におけるゲシュタルト崩壊日誌をつけてみようかな、なんて思ったりもする。

世界の心理学者たちにより、「ゲシュタルト崩壊」についての研究が進んでいる、と思いきや、「発生要因については未解明な部分が多く、…中略…比較的高次な認知情報処理過程によって発生することがわかる程度」と実はあまり解明されていない。

ただ、「静止網膜像のように消失が起きない」ことなどから、感覚器の疲労や順応によってその現象が起きているのではないようだ。人間の心理、人間の認知、人間の脳ミソ……実に興味深い。自分自身の知覚システムすら理解しないで、生活しちゃっている凄み。

ちなみに「ゲシュタルト」はドイツ語で「形態・姿」という、まとまりのある構造を意味するそうだ。心理学の一学派に「ゲシュタルト心理学」もあり、人間の精神は部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置く。20世紀初頭にドイツにて提起された。

ってことで、最後に、“人格崩壊”に至らしめられるとの怖い話しもある「ゲシュタルト崩壊」をもっかい経験してみたい。ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル。

哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学哲学……、ちょっち怖いね。

◇おしまい

2012年11月16日金曜日

思想と表現の狭間について


ずっと長い間「週刊哲学タイムズ」の更新を怠った。「おいおい、全然『週刊』じゃないじゃん!」といった突っ込みもある。まあそもそも当初から「週刊」ではなかったのだけれども。で、久しぶりにやや“何かを書き留める”といった時間ができたので、更新してみんとするなり。

で、何についてかというと、思想と表現の狭間についてです。この更新していなかった期間、僕は何も考え事をしていなかったかというと、そうではない。その考え事の対象や内容、質はともかくとして、僕なりに何かを悩んだし、何かについてやや深めに考察もした。先日は恩師の他界もあった。

ただ、この間の僕の考え事は何かに記録されているかと聞かれれば、「ノー」だ。だから僕が何かを考えていたとして、その証拠はない。仮にアインシュタインの相対性理論よりも画期的な考察や理論を組み立てていたとしてもだ。あるいは一つの教義を生み出していたとしても。

考える。けれど記録にない。考察の証拠はない。証拠がなければある考えについて誰かが何か思想的影響を受けることもない。もしかしたら「何も考えていない風がかっこいい」などとある芸能人の影響を受けるファンみたいなのはあるかもだけど。

僕がここでちょっと触れておきたいのは、記録に残されていない人々の考察についてだ。以前僕は「思想家とは何か」について“思想”した。多くの思想家、哲学者の名前を挙げてみたけれど、他にもまだまだ思想家と呼ばれる人々はいたし、今もいる。とてもたくさん。

ローマ帝国の政治家でストア哲学者のセネカ(BC1- 65)、日本では絶大な尊敬を集める弘法大師または空海(774 - 835)、インドの宗教家でヨガの行者としても知られたラーマクリシュナ(1836 - 1886)……。

とにかく、多くの思想家たちが、「思想家」たらしめているのは、その言動や発表した思想に基づいての評価と言える。つまり表現者でなければ「思想家」とは見なされないかも知れない、と僕は思うのだ。と、僕は何かを思っていることをブログで表現する。

では表現しなければ、思想家足りえないのか。そうではない。そうではないけれど、近所のスーパーのレジのおばさんや、工事現場の警備員たち、あるいはぶすっと国会議事堂で座る政治家のおじさんたち。誰でもよいのだけれど、何かを表現しなければ、思想家とはみなされない。

「別に思想家とみなされなくてもいーんですけど」という人はごまんといるだろうけれど。ただ、「一般人」と「哲学者」あるいは「思想家」との間にあるものを、ちょっとまとめてみたいと思う。まずは僕の頭の中で。そしてそれが何かで表現されるかどうかは不明だけれど。

思想は表現とつながってこそのものではないのだろうか。そんなことをふと思った次第、再確認した次第なのであります。何をいまさら気付いてんだ、といった意見はごもっとも。意見あっての考えや指向の見える化なのであります。

◇おしまい

2012年11月5日月曜日

不可知論は不価値論なのか考


「ふかちろん」と読む「不可知論」。英語では「 agnosticism」。今回は、この「不可知論」について、簡単にまとめてみる。ちなみにあの著名な投資家、ウォーレン・バフェットさんも、不可知論者とのことのよう。不可知論者、世界最大の投資会社トップを含め、結構多くいるみたいです。

さて「不可知論」。この言葉は「1868年(あるいは69年)にトマス・ヘンリー・ハクスリーによって造語された」とはウィキペディア。ハクスリーは英国の生物学者で、「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名がある。チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護した。

「Yahoo!百科事典」では「不可知論」はこう解説されている。「不可知論の起源を古代ギリシアのソフィストや懐疑論者にまでさかのぼって考えることもできる」、「しかし神の本体は人間によっては知られないとする中世の神学思想から始まるとみるのが妥当であろう」。

続けて「つまり、人間は一種の知的直観であるグノーシスgnosisによって神の本体を直接知ることができるとするグノーシス派や本体論者の主張に対し、そうしたグノーシスを否定するのがアグノスティシズム、すなわち不可知論である」。

とても分かりづらい。この説明だと「グノーシス主義」を知っている必要がある。この思想は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つ。「物質」と「霊」の二元論に特徴がある。世界や事物の根本的な原理を「物質」と「霊」とする世界観だ。

そんなわけで「グノーシス主義」は「自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する」とされる。また同主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものもあるようだ。

代表的なグノーシス主義宗教はマニ教になる。サーサーン朝ペルシャのマニ(210年 - 275年ごろ)を開祖とする宗教で、かつてスペイン・北アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸で広く信仰された。が、現在ではほぼ消滅したとされる。

話しは脇道をさらに進む。「グノーシス主義」について。この世界観では、「物質からなる肉体を悪」とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。1つは禁欲主義となり、マニ教となった。一方では、「霊は肉体とは別存在=肉体汚してOK」の公式で、不道徳をほしいままにした。

この「グノーシスgnosisによって神の本体を直接知ることができるとするグノーシス派や本体論者の主張に対し、そうしたグノーシスを否定するのがアグノスティシズム、すなわち不可知論である」。まだ分かりづらい。そして、じゃあ「本体論者」って何?となる。

本体論、これは神の存在証明における論理の一つだ。あるいは「存在論」。「goo辞書」では、「あらゆる存在者が存在しているということは何を意味するかを問い究め、存在そのものの根拠またはその様態について根源的・普遍的に考察し、規定する学問」とある。いわゆる伝統的な哲学の基礎的思考作業だ。

そんなわけで「Yahoo!百科事典」から解いていくと、結局「不可知論」が何だか分からなくなってきそう。ウィキペディアは、「神学に関する命題の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗教的、あるいは哲学的な立場」とまとめている。

神学に関する命題とは、形而上の存在、死後の世界、神の存在、神のお告げなどのこと。そして「神はいるともいないとも言えないのだ」とする“公平な中立的不可知論”と、“無神論者であると言明するのがはばかられる場合に用いられる消極的無神論”があるとする。

積極的な無神論者には、『利己的な遺伝子』で知られる進化生物学者のリチャード・ドーキンスがいる。僕は読んでいないのだけれど、彼は著書『神は妄想である』には、英国の知識人集団では97%が無神論か不可知論に属すると述べているという。

不可知論とは何か。「goo辞書」では、「経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説」とある。「また、後者の存在そのものも不確実とする説」とある。まだ分かりづらいかも知れない。

そこで「世界大百科事典 第2版」。これは分かりやすい。遠回りせず最初からそう言えばいいではないか、となる。「一般に,事物の究極の実在,絶対者,無限者,神は知られえぬと説く立場を指す」。僕らは神について知りえない存在と認めること、になる。

残念ながら「不可知論」を軽く研究したところで何も生まれない。けれども割りと多くの人々が、無意識に「不可知論者」なのかも知れないと僕は思っている。つまり割りと多くの人々が、勝手に「不可知論者」に分類されているのかも知れないと思っている。

ただ、なぜ「不可知論」なのか、「不可知論」の優位性はどこにあるのか。その辺について僕らは考えていく必要がある。ただ何となく「不可知論」では弱い。なぜ僕らに絶対者を知覚できいないのか、そういうシステムはどうしてあり得るのか。知覚してないからそう思うだけなのか。

真実を神、絶対的な何かとするならば、この「不可知論」の奥深くに内在する真実に届くことができるのだろうか。不可知論的には、きっと無理になる。僕たちは事物の究極の実在は知られ得ぬ存在ということであるのが正しければ。そうであれば哲学する意味はどうなるんだろう。

◇おしまい

2012年10月3日水曜日

アッシジのフランチェスコ考


アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年)。僕が尊敬する先輩「ひとちゃん」が、僕が高校生だった頃に尊敬していた。尊敬し過ぎた結果、「ひとちゃん」は髪形もアッシジのフランチェスコとなった。つまり頭のてっぺんを剃った。修道服みたいなのを着たりもしていた。

先輩「ひとちゃん」はその後、神学部のある大学へ進学。やがて牧師となった。で、今「ひとちゃん」は三重県にいる。鈴鹿の教会で、4人家族を築いている。そんな僕の師匠にちょうど去年の今ごろ会いに行った。ついでに泊まらせてくれもした。

昔のカトリックの修道士が頭のてっぺんを剃ったのは理由があるはず。けれど「この髪型の由来は不明」だと、ある百科事典サイトはいう。一方で「磔刑となったイエス・キリストが十字架上で頭にかぶせられていたとされるいばらの冠を模しているとも言われる」という。

カトリック的河童頭。これを「トンスラ」または「トンスーラ」という。カトリックの儀式で、人が僧になる時に剃る。この儀式も「トンスラ」という。で、今はもうやってない。トンスラの儀式は1972年に廃止された。昭和47年。皇紀2632年。コンコルドが成田空港に来た年。

で、アッシジのフランチェスコ。イタリア風には「Francesco d'Assisi」。本名は、 ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ。多分こっちを聞いても誰も分からない。そもそも日本では「アッシジのフランチェスコ」はそんなに知られていないのかも知れないけれど。

 「Giovanni di Bernardone」は、786年前の今日、10月3日に他界。44歳だった。その44年の間の言動が、彼を「イタリアの守護聖人」、「聖フランシスコ」とならしめた。「ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ」は「アッシジのフランチェスコ」と聖人化した。

フランチェスコは、富裕な毛織物商人の長男として、アッシジに誕生。イタリア半島のちょうど真ん中あたりの町だ。少年時代は聖堂の付属学校に就学し、修辞学や文法、祈祷書などを学ぶ。20歳頃までは、父とともに織物商の仕事をしていたようだ。

彼は「ハンサムで気前がよく、スマートで陽気なフランチェスコは祭りのたびに金にものをいわせて人気を博し、娘たちのあこがれの的」だったともされる。「謝肉祭のパレードでは毎年『王様』に選ばれた」ほどだった。やはり、若かりし時よりただ者ではなかったようだ。

ある日フランチェスコは「そうだ! 騎士になろう」と思い立った。それで勇んで「アッシジ vs ペルージャ」の戦争に参加。けれどもその意気虚しく1202年に捕虜となってしまう。さらには獄中で病気に罹患した。1年余りの“獄中”。いろいろ苦しんだだろう。何より重い熱病は続いた。

ところで画人ジョットが描いた『着物を返すフランチェスコ』という絵がある。そこには着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコが描かれている。1205年頃から回心が始まったとされるフランチェスコが画中にいる。

回心。彼は不思議な声を耳にするようになり、世界観が変わった。そして、洞窟で祈ることに心の安らぎを覚えるようになった。あるとき神と対話した。そして神は「私の望みを知りたいのなら、まずお前がこれまで愛してきたものすべてを憎み軽蔑せよ」と啓示した。

神は「これまで嫌ってきたものすべてを喜びの泉とせよ」とも言った。フランチェスコはローマで浮浪者に出会った際、貧しさを味わうために、着ているものを浮浪者と交換したとされ、そのとき彼はこれまでと違う解放感を覚えたという。ここから青年は貧者への奉仕に向かう。

あるとき小さな礼拝堂で、十字架上のイエス・キリストが「行けフランチェスコ、そしてわが家を修復せよ。それはもう倒れかかっているから」と呼びかける声を聞いたという。僕はこうした啓示については脳の病気なのでは説もとりたいところだけれど、とりあえず啓示としておきたい。

礼拝堂での啓示がフランチェスコにとって決定的な回心の瞬間となった。啓示を受けたフランチェスコは、父の店から織物を持ち出し、それを販売して金銭を得、礼拝堂の修復にあてようとした。で、父に訴えられた。法廷での親子闘争。彼は親子の縁を絶ち、相続権はじめ一切の財産権を放棄した。

出身階級とも絶縁して家を出たフランチェスコ。彼は、病人への奉仕やサン・ダミアノ聖堂の修復などの活動に励んだ。世俗への執着を断ち、無一物となってイエスの生き方を自身の人生のモデルとして生きた。「奉仕」と「托鉢」の生活だ。敬虔な貧者は、やがてアッシジの2つの聖堂を修復した。

「清貧」と「労働」を守って暮らすフランチェスコの周囲には、自然と仲間や弟子が集まるようになる。外部からは“乞食集団”にしか見えない集団。1210年、フランチェスコは教皇インノケンティウス3世から修道会設立の認可を受け、「フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)」を設立した。

その後、フランシスコ会の信者は増加。フランチェスコの死後には世界最大の修道会へと成長。そんな流れを創始したフランチェスコ。命日となる10月3日、僕はフランチェスコを、また彼の影響を強く受けている「ひとちゃん」に思いを馳せる。改めてキリスト教の力を感じてしまう。

ちなみにフランチェスコを調べていたら、あのB級ハリウッド映画俳優のドン、ミッキー・ロークが主演した『フランチェスコ』(1989年)という映画を発見。なんと「goo映画」での評価は☆4つ半、90点と高評価。近いうちに見てみよーっと、と思いましたとさ。アーメン。

◇おしまい

2012年9月20日木曜日

「知の巨人」研究・2


『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 』(文藝別冊)というムック本がある。アマゾンでは「民族学・文明学に新たな視野を拓いた知の巨人。著作集未収録原稿ほか、幻の『世界の歴史 人類の未来』目次を紹介」と紹介されている。「知的生産の現場・梅棹研究室をイラストで再現。梅棹忠夫論、対談も多数」ともある。

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」では、もちろん梅棹忠夫の著書が並び、『知的生産の技術』(岩波新書)、『情報の文明学』(中公文庫)、『文明の生態史観』 (中公文庫)など。僕はいずれも読んだことはないけれど、『日本文明77の鍵』 (文春新書)や『梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明』含め読んでみたいものばかり。

「知の巨人」研究・第二回目は、生態学者、民族学者の梅棹忠夫(1920- 2010)について。梅棹忠夫について、と言っても、今記した通り、僕は彼の著書は読んでいない。であるからして、そのぉ、あのぉ、すでに彼についてまとめた記事を僕がまとめていく作業。知の巨人をまとめてくれた巨人の肩に、僕は乗っかるわけなのであります。

「うめさお ただお」。その肩書きには、「国立民族学博物館名誉教授」、「総合研究大学院大学名誉教授」、「京都大学名誉教授」や「理学博士」などがありました。例の参考資料によれば、「日本における文化人類学のパイオニア」であり、「梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開」しておりました。

よって多方面に多くの影響を与えた「知の巨人」。京都帝国大学時代は、日本の霊長類研究の創始者として知られる今西錦司に学ぶ。「生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す」。代表作『文明の生態史観』。

ちなみに「生態学」とは、「生物の生活や行動、環境との相互作用などについて研究する学問。エコロジー(ecology)」と、「はてなキーワード 」では解説。古代ギリシャのアリストテレスによる動物に関する研究や、植物学の祖とも呼ばれるテオプラストスの植物、植物群落についての研究も、生態学の歴史の一端とされる。

梅棹忠夫は、「数理生態学の先駆者」でもある。オタマジャクシの群れ形成の数理を研究した。さらに、宗教のウィルス説という、とてもユニークな論を唱えた。ウィルスによる病が宗教だ、というわけでなく、思想や概念の伝播、精神形成について、ウィルスの広がりと重ねた。宗教ウイルス説。

宗教を伝染病にたとえた斬新な「宗教ウイルス説」は、「文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである」と、例の参考資料は記す。さすが「文明学者」と呼ばれるだけある。

経歴は「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分」とされる箇所をまとめます。大日本帝国が国際連盟へ正式加入した1920年、梅棹忠夫は京都市に長男として誕生。1936年、京都一中(現・京都府立洛北高等学校)から4年修了(飛び級)で第三高等学校に入学した。

「京都一中」は、1870年に創立された、日本最古の旧制中学校。戦前から戦後にかけて京都大学へ多数の進学者を送り出していた。「第三高等学校」は、京都にあった旧制高校で、略称は「三高」、現在の京都大学の前身の一つになる。名門校からしかも飛び級で、名門校へ進んだ。

頭は抜群に良い。けれど「三高時代から山岳部の活動に熱中して学業を放棄」した。それゆえ「2年連続で留年して退学処分を受け」た。僕はこういう人が好きだ。結局「後輩や同級生からの嘆願運動で復学を認められる」。で、京都帝国大学理学部動物学科に進んだ。

在学中には今西錦司を団長とする中国北部「大興安嶺探検隊」などに参加。「モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした」。

フィールドワークや京大人文研での経験から1969年に著した『知的生産の技術』はベストセラー。同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。というより、実は梅棹がデザインした特注が、普及したものが「京大式カード」となったようだ。

1963年という時期に『情報産業論』を発表、情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉は梅棹が名づけた。「その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』にまとめられている」。また国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。

1986年に原因不明の失明、以降の著述は口述筆記で行われた。これは闘病記『夜はまだあけぬか』(講談社文庫)に詳しいようだ。僕が尊敬する“先生”、司馬遼太郎とは、モンゴル研究のつながりで長年の友人であった。編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』もある。

「日本語のローマ字化推進論」を唱えた。「漢字廃止論」を唱えた。「エスペラント推進論」を唱えた。ベホイミを唱えた。とにかく「世界エスペラント協会」の名誉委員になった。宗教観については、自身は無宗教であるとしている。ザオリクは唱えなかった。2010年7月3日、大阪府吹田市の自宅で老衰により、90歳没。

偉大なる知の巨人・梅棹忠夫。読書の秋の10月、僕はなんかしらの著書を読もうと思う。優秀な頭脳を持つ探検家、斬新な視点を提供する哲学者でもあっただろう。途中失明しても、「知」を発信し続けた。彼が「知の巨人」と認定されているのも分かる気がしました。

◇おしまい


2012年9月19日水曜日

「暗黒エネルギー」とは何か


今回は「ダークエネルギー」あるいは「暗黒エネルギー」について。と言うのも、僕がたまに読む「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事に、こんなのがあったからだ。「暗黒エネルギーを不要とする新理論」というタイトル。ただ、この記事はちょうど2年前、2009年8月のやつだけれど。

こんな風にして記事は始まる。「宇宙の膨張を加速させる謎めいた力として10年以上前から論じられてきた暗黒エネルギーは、もはや不要な理論であるとの研究結果が発表された」。ふむふむ。「提唱された新理論は、宇宙の加速膨張原理の再考を促すことになるため物議を醸している」。ほー。

「暗黒エネルギー」について関心や知識がなければ、きっと“どーでもいい話”かも知れない。けれど「この研究に携わったカリフォルニア大学デービス校のブレイク・テンプル氏は、『われわれの解が正しければ、暗黒エネルギーを持ち出さなくても宇宙膨張の加速について説明することができる』と話している」とある。

ちなみにその1年前、2008年の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、 「暗黒エネルギーの存在を示す強力な証拠」というのもある。どっちが本当かは知らないけれど。記事には「暗黒エネルギーの存在が、色分けされた画像という目に見える形で初めて表された」とある。

さらには今日、2012年9月19日の「ナショナルジオグラフィック」のニュース記事には、なんと「初撮影、暗黒エネルギーカメラ始動」との記事がある。「世界で最も高感度な、570メガピクセル(5億7000万画素)のデジタルカメラ『ダークエネルギーカメラ』が探索を開始したという内容。あくまでも“始動”で発見はまだ先になる。

で、「暗黒エネルギー」。「ナショナルジオグラフィック」では「宇宙の膨張を加速させるとみられている謎めいた力のこと」と紹介。wikipediaでは「宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギー」とある。「真空のエネルギー」が有力な候補の一つとされている。

「暗黒エネルギー」とは何か。仮想的エネルギーである。何の仮想的エネルギーか。宇宙全体に均一に満たされているとする仮想的なエネルギーのことだ。「知恵蔵2012の解説」に頼ってみる。「暗黒エネルギーは、バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられている」。むむむ。

その前にはこんな解説文。「遠方の超新星の観測から、現在の宇宙の膨張速度は加速していることが分かっている」。「超新星」とは星の進化の最終段階で起こる大爆発に伴う増光現象のこと。「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」。

「バリオン物質?」「暗黒物質?」となる。「バリオン」とは、3つのクォークから構成される亜原子粒子で「重粒子」とも言う。「暗黒物質」とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせず、かつ色電化も持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質。むむむ。

ちなみに「暗黒物質」の存在の間接的な発見は、1970年代に米国の天文学者によって、銀河の回転速度の観測から指摘されたという。水素原子の出す21cm輝線で銀河外縁を観測したところ、ドップラー効果により星間ガスの回転速度を見積もることができた。という。超新星のスイス人研究者の仮説を説明するために仮定された。

「暗黒エネルギー」とは何か。知恵蔵に戻ると、「星などをつくっている通常の物質(バリオン物質)や暗黒物質は宇宙膨張を減速させるので、加速させるためには未知のエネルギーが必要になる」「このエネルギーの総称が暗黒エネルギー」。バリオン物質や暗黒物質と異なり、空間に一様に詰まっていると考えられているという。

NASAが打ち上げた宇宙マイクロ波背景放射探査衛星「WMAP」の観測結果などから、宇宙の構成要素の「4%がバリオン物質」、「22%が暗黒物質」、「約74%が暗黒エネルギー」とされている。WMAPによると、宇宙は平坦で年齢は約137億年。宇宙が始まって約38万年後に宇宙の膨れはじめ、約2億年後に最初の星ができた。

現在観測されている宇宙の加速膨張。けれど宇宙の大半の質量が正体不明。この観測事実を説明するために、「暗黒エネルギー」が登場する。宇宙論の標準的な理論(ロバートソン-ウォーカー計量)にダークエネルギーを加えるのが現在最もポピュラーな手法となっている、という。この新しい宇宙論の標準モデルをΛ-CDMモデルと呼ぶ、らしい。

現在提案されている2つのダークエネルギーの形態としては、静的な「宇宙定数」と動的な「クインテセンス」がある。この二つを区別するためには、宇宙膨張を高い精度で測定し、膨張速度が時間とともにどのように変化しているかを調べる必要がある。「このような高精度の観測を行うことは観測的宇宙論の主要な研究課題の一つ」by wikipedia。

「宇宙定数」は、あのアインシュタインが1917年に提案したもの。静的な宇宙を表すような重力場の方程式の定常解を得るための方法だった。このときアインシュタインは、実質的に「暗黒エネルギー」にあたるエネルギーを重力と釣り合わせるために使用。しかし後に、アインシュタインの「静的宇宙」観は、「ちょっと厳しい」となった。

天文学者・ハッブルの観測によって、「宇宙は膨張しています」「静的ではありえません」となった。これにより「宇宙定数」の存在はほぼ無視されることに……。アインシュタインは「静的宇宙とは対照的な動的宇宙のアイデアを予測できなかったことは人生最大の失敗だった」と言ったとか。

けれど後に「宇宙定数」は再評価されることになる。標準ビッグバン宇宙モデルの初期条件を説明する宇宙のインフレーションモデル。これは「宇宙の初期に時空が指数関数的な膨張を遂げた」とするモデル。その原理は、アインシュタインの重力場方程式の中に現れる「宇宙項」の存在に相当する。

「宇宙項」。繰り返すけれど、宇宙は加速的に膨張している。宇宙、膨張なう。その加速膨張を説明するメカニズムとして、「宇宙項」の存在が支持されている。「宇宙定数」の源の有力な候補としては「真空のエネルギー」などが挙げられている。これを仮定した計算と、観測したものとではギャップがある。

このギャップを埋めるメカニズムが、現代宇宙論の未解決問題の一つ。「最近では、宇宙の加速膨張を担うものとして、宇宙項の可能性を含め、ダークエネルギーと総称することが普通になっている」と、wikipedia先生は教えてくれる。とにかく「暗黒エネルギー」が存在すると仮定すると、いろんなことが説明できるようになる。

あったらいいな、として登場、存在が期待されている「暗黒エネルギー」。「これまでの観測結果は、宇宙の全物質の約74%を暗黒エネルギーが占めることを示している」との記事もある。「暗黒エネルギー」とは何か。調べれば調べるほど、頭の中がダークなマター(暗黒物質)に占められていく。がほっ

◇おしまい

2012年9月11日火曜日

哲学と自我について


あるフリー百科事典の「哲学」に関するページによれば、学問として「哲学」で扱う主題には、「真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為……などがある」という。

省略した部分には、「経験、世界、空間、時間、歴史」に加えて「現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性」などが入る。さらには、「世界の起源のような『根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩』」も追加される。実に幅広い。

同辞典の解説にもあるけれど、一般に「哲学」の主題は「抽象度が高い概念であることが多い」。その分、哲学するときには思考能力が必要になってくるけれど、きっと子どもたちも子どもなりの哲学はしている。「どうして○○ちゃんは意地悪するんだろう」とか、「なんでパセリはマズイんだろう」とか。

一方、惰性に生きてしまっていれば、大人になってもそんなに大それた哲学はしていない。誰だって毎日「真理とは何だろう」とか「正義とは何だろう」とか「美はなぜ感じるのだろう」とかは思わない。「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」ってのはあるかも知れないけれど。

ただ「どうして今日もパチンコしちゃったんだろう」も突き詰めれば、やはり大それた哲学に発展していきそうだ。弱い意思についての考察からは「意思とは何か」となるし、ギャンブルの中毒性についての考察からは「脳と自分を制御する仕組みはどうなってるのか」となる。

日本人を病みつきにさせるパチンコ業界について考察すれば、それはそれでいろいろな埃や闇、たとえば警察との癒着や、北朝鮮へとつながる国際経済問題などにも辿り着く。パチンコ機からは、高度な電子制御システム、遊ぶ機種からは、そのストーリー構成やデザインなどソフト部分について思い巡らせもできる。

ときに具体的に物事の仕組み、自分とその物事との関連性、その物事に向き合っている自分自身の状況・変化について考える。そしていずれ具体的なものから、抽象的なものにと語る言葉は移っていく。移ってはいくのだけれど、語る言葉そのものは具体的である必要がある。

「つまり愛とはアレだな」や「人間は結局あんな感じ」では駄目なのだ。抽象的なものをいかに具体的な言葉の枠にはめ込んでいくのかが、「哲学」の要なんだと僕は思っている。別にこの言葉や名付け、記号の力や意味の大きさは、「哲学」に留まらないのだけれど。

で、せっかくなので今日は短く哲学的テーマの一つ、「自我」についての情報を整理しておきたい。ちなみにいつも僕が行ってきている“情報の整理”は、哲学ではない。少しは思考しているかもだけれども、思索とは別次元で、僕は毎回“整理”をし、“知識を食している”。「自我とは何か」。

毎度お馴染みのフリー百科事典によれば、「自我」はドイツ語で「das Ich」 または「 Ich」。哲学および精神分析学における概念だ。ドイツ語代名詞の「 ich」と「 Ich」は、頭文字を大文字で表記することで区別される。「超自我」を唱えたフロイトは、それを「Ueber-Ich」と呼んだ。

「自我」あるいは「das Ich」あるいは「ego」。あるいは「自己意識」ともいう。イマヌエル・カントの「批判哲学」およびカントを中心としてフィヒテやシェリングなどにも見られる「超越論哲学」において、自己を対象とする認識作用を指す。なんだか話がいきなり難しくなってきた。

ドイツの哲学者、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762 - 1814)は、カントの実践理性批判を元に宗教概念を論じた処女作『あらゆる啓示批判の試み』を出版し、著名人になった人。イェーナ大学教授時代に「人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」との言った。

初期フィヒテの「知識学」においては、「自我は知的直観の自己定立作用 」とした。「哲学の原理」だし、「哲学の唯一の対象」だとした。「自然」は「自我」に反定立される「非我」であり、本来的な哲学の対象ではないとした。ちゅーことで、フィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定された。

そもそも“初期フィヒテの「知識学」”とは、広義には知識一般に対する形而上学のこと。知識学=フィヒテ哲学、です。で、“後期フィヒテ”においては、「自我」は「我々および絶対者の概念」へと展開される。 すなわち、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中核概念ではなくなる。

もう一人。ドイツ観念論の代表的な思想家に、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・(フォン・)シェリング(1775 - 1854)がいる。シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し、『自我について』(“Vom Ich”) で自我の自己定立性を、無制約性と結びつけた。

シェリングは『我が哲学体系の叙述』で、「自我」すなわち「主観的精神」と「客観的自然」はその原理において同一とした。「無限な精神」と「有限な自然」。これ自体は無差別な絶対者であるとした。後にヘーゲルは『精神の現象学』で、このような同一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判した。

で、フロイトは……っていう風に、つらつら「自我」についての情報は溢れている。けれど辞典を引けば一発だ。Yahoo!辞典では、「自分、自己」。あるいは「哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我」とある。

加えて「心理学で、行動や意識の主体。自我意識」。「精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。エゴ」。「自我」の発見。これは「自分」をうまく説明できなかった時代、言葉が確立されていなかった時代には、やはり大きな論争テーマになりえたのだろう。

「自我とは何か」。「自分のことです」。こんな短い返答で済みそうなことも、「哲学」フィルターを通すと、半端ない長文・駄文へと変身してしまうのは不思議だ。オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイト(1856 - 1939)の定義では、「自我」は1923年以前までは、いわゆる「私」だった。

これはこの1923年以前においては、フロイトが「意識」と「無意識」の区別によって精神を把握していたためだ。1923年以後、「心的構造論」と呼ばれる新たな理論を語るようになってから、「自我(エゴ)」という概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された。

「自我(エゴ)」は「エス(イド)」からの要求と「超自我(スーパーエゴ)」からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。とフロイトは言う。「エゴ」は“無意識的防衛”を行い、「エス」からの欲動を防衛・昇華したり、「超自我」の禁止や理想と葛藤したり従ったりする、調整的な存在とする。

「エス(イド)」? 「超自我(スーパーエゴ)」? となる。繰り返すように、哲学たった一つのテーマの情報をまとめるだけでもすごい苦労する。特に仕事の最中、職場でこっそりそれをやろうとすると、めちゃ大変な作業になる。そして隠れてブログをアップする。と、「自我」は望んでいる。

◇おしまい











2012年9月6日木曜日

「知の巨人」研究・1


「知の巨人」と呼ばれる人たちについて思い巡らせてみる。「知の巨人」、誰が最初にこの言葉を見つけ、使用したのかは知らないけれど、いいネーミングだと思う。英語にすると、The giant of knowledgeでThe giant of wisdomではないと思っている。あくまでも「知恵者」でなく「知識人」の分類だ、僕の定義では。

じゃあ誰のことを「知の巨人」って人々、あるいはメディアは呼んでいるのか。ネット検索でどんな人が「知の巨人」でヒットするのかを見てみると、「吉本隆明」「ドラッカー」「南方熊楠」「立花隆」「ジャック・アタリ」「梅棹忠夫」「山口昌男」といった面々が検索にかかってくる。

他には「渡部昇一」「加藤周一」「松岡正剛」「鶴見俊輔」といった人たち、「レム・コールハース」「小室直樹」「大江健三郎」「江藤淳」「小林秀雄」「佐藤優」といった人たちが、ネット検索界では「知の巨人」と“タグ付け”されている。それはどうかなな評価もあるけれど、ネット検索界の事実でもある。

僕が「知の巨人」で最初に頭に浮かぶのは、やはり立花隆。彼の頭脳は、百科事典図書館みたいだ。その性格には難がありそうだけれども、僕は彼の著書を相当読んできたのは、その“百科事典図書館”の知的レベルに追いつきたいと思ったから。その高い教養レベル、知的探求心は、何も知らない僕の眼を開かせてくれている。

もちろん批判する人も数多い。 『立花隆の無知蒙昧を衝く―遺伝子問題から宇宙論まで』という本も出版されている。アマゾンの同書紹介では「立花が知の最前線の現状をひとりよがりに解釈し、御都合主義的な論戦を展開し、読者にとんでもない誤解のタネを植え付けていると断言する」とある。

まあ「知の巨人」にはありがちなことだろうと思う。恐らく「知の巨人」たちは「無知の知」を知っているからこそ、知識に貪欲になれるし、知識を膨大に蓄え、醸造させていく。知識を持つがゆえにそれら膨大な知を吐き出したくなる。だから物を書くし、講演をする。で、「庶民」から「すげー知識!」と称賛される。

「無知」の知者だけれども、ある程度自分の「有知」も知っている「知の巨人」たち。だから「現状をひとりよがりに解釈する」と無知蒙昧を衝かれることもある。あえて“啓蒙”=「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」という言葉を使えば、多くの啓蒙家たちは自らが光と自認しているはずで、その輝き次第では、ほころびが出る。

かつてヨーロッパでは「啓蒙時代」と歴史家に名付けられた時代があった。啓蒙思想が主流となった、17世紀後半から18世紀にあたる。では「啓蒙思想とは」となるけれど、これは「聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動」(byフリー百科事典)のこと。

この時代に活躍した思想家は、スコットランドの「ジョン・ロック」、「デイヴィッド・ヒューム」、フランスの「ヴォルテール」、「ドニ・ディドロ」、「モンテスキュー」、「ジャン=ジャック・ルソー」、ドイツの「ヴィンケルマン」など。この潮流はスイスやドイツにも及び、「レッシング」や「モーゼス・メンデルスゾーン」らもこの流れになる。

この啓蒙思想家たちも立派な「知の巨人」たちと言えるかも知れないが、「思想家」と「知の巨人」は分けたい気がする。知がなければ思想はできないし、「思想家」を自称するなら知識豊富でなければならないとも思う。ただ少なくとも僕は「立花隆」を「思想家」とは見ていない。めっちゃ考えている人だろうけれど。

誰が言ったか「知の巨人」。その博覧強記ぶりは、著書などから知ることができるし、僕のように「知の小人」にとってはありがたい存在です。けれど決まってその文章は、やや読みにくい。これも「知の小人」ゆえに感じることなのかもなぁ。というわけで、「知の巨人」たちの「知」について、ちょこちょこ調べてまとめていきます。

ちなみに立花隆(1940ー)ネタ。茨城・水戸一高、東京・上野高校を経て東京大学文科二類。1964年に仏文科を卒業後、文藝春秋に入社。67年に東大哲学科に学士入学、これは中退した。74年、 『文藝春秋』で発表した「田中角栄研究~その金脈と人脈」が、田中退陣のきっかけとなったのは有名だ。

政治と金問題から脳死問題、生命科学について、などなど。『立花隆・100億年の旅』『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』……。その著書は実に幅広い。ちなみに宇宙飛行士の野口聡一さんは、高3のときに『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士になる決心をしたらしいです。

◇おしまい


2012年9月4日火曜日

【気象考(7)】「法令」編



気象予報士になるための試験では、「予報業務に関連する法令」の学科試験も盛り込まれている。そう、僕が嫌いな「法令」。一つ一つ覚えるのが大変というのもあるけれど、どうも“決まりごと”が苦手な僕には「法律や法令、法規を学ぶ」という行為ができない性格のようだ。

僕が「法令」や「ルール」が嫌いなのは、恐らく99%の確率で「僕の知らないオッチャンたちが、勝手に決めたルール」の一つだからかも知れない。とはいえ僕は、その時その時、必要なルールは勉強はした。たとえば自動車免許取得のための「道路交通法」や、教職採用試験のための「教育法規」になるけれど。

で、「予報業務に関連する法令」も、気象予報士試験のためのもの。この法令を分解すると、「気象業務法」や「災害対策基本法」「水防法」「災害対策に関連消防法」がある。試験では学科試験(5者択一のマーク試験、一般知識・専門知識各15問)の「予報に関する一般知識」の中で4~5問、出題されているようだ。

まずは基本のキ、の「気象業務法」。この法律は、“気象業務の健全な発達”を図り、「災害の予防」、「交通の安全の確保」、「産業の興隆等公共の福祉の増進」に寄与するためにある。とオッチャンの誰かが決めた。また「気象業務に関する国際的協力を行うことを目的とする」。

予報は全て「自然科学的方法による観測の成果」に基づくことが定められている。つまり「自然科学的知見を駆使して気象、地象及び水象を予想し発表すること」。ここには迷信や宗教、祈りが入り込余地はない。「天の神」は「天」の予報・予定から離れる。法的に。

気象予報を行うのは、基本「気象庁」。その役所以外の者が予報業務を行う場合には、「予報業務の目的期及び範囲を定めた気象庁長官の許可が必要」となっている。つまりデータをばっちり収集できても、勝手に予報はしてはいけない。天気予報は、それだけ重要かつ生活・生命に関わるものなのだ。

では「気象予報士」は法的にどんな位置づけか。と言うと、「予報業務許可事業者」なくてはならない一方で、「予報業務許可事業者」の業務のうち現象の予想以外、例えば「天気予報の解説」、「事業者の経営」などについては気象予報士である必要はない。医師の診断・病院経営と似たところはある。

「気象予報士」になるためには、「気象予報士試験」に合格し、気象庁長官の行う登録を受けなければならない。そして予報士試験に合格した者は、予報士となる資格を有しているだけ、な扱い。実際に予報士として活動するためには、面倒なことにも気象庁長官の登録を受けなければならない。予報業務許可も必要だ。

「警報及び注意報」に関しては、こんな。「気象庁以外の者は、気象、津波、高潮、波浪及び洪水の警報を行ってはならない」。しかし緊急時は別で、「津波に関する警報を適時に受けることができない地の市町村長は、例外として津波警報を行なうことができる」。加えて「水防法の規定による水防活動の利用に適合する警報」も例外。

「災害が発生するおそれがある異常な現象を発見したものは、遅滞なく、その旨を市町村長又は警察官若しくは海上保安官に通報しなければならない」とする「災害対策基本法」や、「水防法」や「消防法」などなど。これらがこの業界のルールであり、基本マニュアルになる。

もちろん“決まりごと”には、面倒な文章とは異なるものもある。誘導単位の「N」(力)を「ニュートン」と読むとか。その「ニュートン」については「質量1kgの物体に対して1ms-2の加速度を与えるために必要な力」とすること。よって、「N=kgms-2」とすること、とか。

さらには「重力によって生じる加速度はg=9.8ms-2であるため、1kgの物体に働く重力は9.8N」、よって「1kg重=9.8N」となるとするとか。科学めくと、急速にチンプンカンプンですね。うん。他にも、1m2あたりに働くN単位での力は「Pa(パスカル;圧力)」とする、とかもあります。天気予報業界、恐るべし。

◇おしまい

2012年8月29日水曜日

「アイザック」について


今日のニュースのトピックスには、こんなのがある。「米国立ハリケーンセンター(NHC)によれば、メキシコ湾を北上していた熱帯低気圧『アイザック』が28日、ハリケーンとなり、米南部ルイジアナ州に上陸した」(産経新聞)。

オバマ大統領はルイジアナ州に続きミシシッピ州に非常事態を宣言。時事通信によれば、「一帯では2005年、ハリケーン『カトリーナ』の直撃により約1800人の死者が出ており、最大の被災地となったニューオーリンズ市内は厳戒態勢に入った」という。

カテゴリーは5段階で一番弱い「1」。しかしながら、計4州が非常事態宣言を出して警戒を強めている。そんな「アイザック」について哲学者が語る時、ほとんどは物理学者の「アイザック・ニュートン」だろう。あるいはトリビア好きなら作家の「アイザック・アシモフ」だ。

どんな経緯でメキシコ湾を北上した熱帯低気圧が「アイザック」と名付けられたかは、僕は知らないけれど、そんな「アイザック」について、あえて「気象考シリーズ」ではなく、「アイザック考」で、つらつら書き留めておきたい。特に「アイザック」に思い入れはないのだけれど。

Wikipedia教授によれば、「アイザック(英語: Isaac)は、英語(特にユダヤ人)でポピュラーな名前(ファーストネーム)の1つ」とある。ギリシア語読みは「イサキオス」。旧約聖書の『創世記』に登場する「イサク」の英語読みという。

なるほど、「アイザック」はあの「イサク」だったのか、と一人納得してみる。イサクの父の方が有名で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖、「信仰の父」とも言われるアブラハム。母はサラ。サラは「サライ」とも呼ばれている。

イサクの父「アブラハム」。ユダヤ教の教義では、全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされている。彼の妻サラは不妊の女だった。と旧約聖書である。

アブラハム夫妻は子どもを持つことなく年老いた。サラは90歳になった。けれど神はサ二人に子どもを授ける。神は「イサク(彼は笑う)と名付けよ」と言った。でも非情な神は、幸せを与え、その幸せを奪う神でもある。

アブラハムの信仰を試そうとして、神はアブラハムに「イサクを生け贄に捧げよ」と求めた。焼き殺せ、と言った。神に従順なアブラハムは、泣く泣くこれに従った。当のイサクも、焼かれる直前になって、自分の運命を悟った。

このイサク生け贄物語(『創世記』22章1節〜19節)は、最終的にはこうなった。アブラハムが息子を屠ろうとしたその瞬間、神はアブラハムの信仰の確かさを知ってこれを止めた(イサクの燔祭)。神はアブラハムを祝福し、「あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」と言った。

アブラハムの名前は、第16代アメリカ合衆国大統領「アブラハム・リンカーン」などに引き継がれている。アブラハム・リンカーンは、しばしばエイブ (Abe) の愛称で呼ばれた。日本的な表記をすれば、「Abe」は「阿部」になる。で、「イサク」は「伊作」になる。

ある種最強の名前、「阿部伊作」。ネットで検索してみたら、「阿部伊作」さん、おりました。恐らくその意味を知っての名付けと思われるが、仮に狙ってなかったとしたら、それはそれで面白い。気付かないうちに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖とその息子をまとっている次第。

ちなみに先に登場したアイザック・ニュートン(1642年 - 1727年)。Wikipediaには、「アイザック・ニュートンのオカルト研究」というページまである。「ニュートンは現在ではオカルト研究に分類される分野の著作も多く著しており、年代学・錬金術・聖書解釈(特に黙示録)についても熱心に研究していた」とある。

なんだか僕の関心対象と似ているな、と思う。なんだか僕の思考回路と似ているかもな、とも飛躍する。ニュートンは、現代で言うところの"科学的"研究の成果よりも、むしろ古代の神秘的な英知の再発見のほうが重要だと考えていたという。

僕が「アイザック」の名前に魅かれたのも、ニュートン好きだったからかも知れない。経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言したようだけれども。

◇おしまい

2012年8月21日火曜日

なぜ「鉄道オタク」になりたいか

Coming すーん。

「進化論」考。


恐らく「進化論」をテーマにした論考を、たった5~10分程度のタイピングでまとめてしまおうとするのは無謀というより論外かも知れない。いろいろ思うトコ、知識としてまとめておくべきことは多すぎるからだ。でも今の僕には、長文をタイプする時間・余裕がない。

たとえば「ダーウィン」について。「進化論を否定する米国の保守的キリスト教」について。あるいは「ラマルクの進化論」や「遺伝」について、または「ミッシングリンク」「有神論的進化論」「ウイルス進化説」「遺伝子の水平伝播」について。言葉としての「進化と進歩」について。

たとえばカトリック教会では1996年、前ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世が「進化論は仮説以上のもの」としている。さらには「肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたもの」だと述べている。一方、米国・ケンタッキー州には、進化論を否定する創造博物館がある。

僕らはそんな世界に生きている。人類は進化あるいは退化し、「進化論賛成者」と「進化論否定者」を生み出している。進化あるいは退化して、そんな両極端を生み出した。「進化」や「退化」で、人間の、人類の歴史を読み解こうという試み。思考。模索。

実験・研究・思索。人類はさまざまな活動を通じて、「進化論」をもんできた。サルにはできない。サカナにもできない。コオロギにも、「進化論」探究は無理だ。でも人類はそれをしてきたし、今後もしていくだろう。この差は何か。ってことで「進化論」。

「インテリジェント・デザイン(ID)」という考え方がある。「知性ある何かによって、生命や宇宙のシステムが設計された」とする説だ。キリスト教徒には分かりやすい概念。要するに一神教的解決論。1990年代にアメリカの反進化論団体、一部の科学者などが提唱した。

この考え方はカルトや秘密結社にも通じるものがある。宇宙人が人間を創造した、という説もある。設計者が僕らを創造した。そこに「進化」というシステムの設計もなされた、と考えてもよいのだけれど、反進化論者は「ID」をそうは捉えない。捉えたくない。

最後に、Wikipedia先生が「進化理論の発展」を語るところをコピペ。時短あるいは省エネ。「ダーウィンが提案した進化理論の中で、共通祖先からの進化、…省略…、種分化と分岐による生物多様性、適応進化における自然選択の役割は、現在の進化学においても揺るぎのない枠組み」となった。

一方で、「20世紀中盤に進化学に加わった中立説は、分岐系統学に新たな証拠を提供し」た。この中立進化説は「自然選択の働かないランダムな進化過程のメカニズムを明らかにしようとしている」という。これは突然変異と遺伝的浮動が進化の主因であるとする説のこと。

現在、「集団遺伝学、生態学、生物地理学、古生物学などの総合的な分野として発展してきた進化学は、さらに、分子生物学、進化ゲノム学、進化医学など、様々な分野の進展を取り込みながら、確立された科学の一分野として発展」。幅広く、奥深くなっている。

近年は、「発表される様々な報告や機構の提唱などは、基本的にダーウィンの考えた大まかな進化の枠組みを基盤として、さらに発展させる方向に進んでいる」。 しかし、「一部の学者はダーウィニズムやネオダーウィニズムを原理主義であると考えており、科学ではないと言う見解がある」。

以上の抜粋部分が、「現在の“進化論”」。この中で登場した「中立説」は、国立遺伝学研究所の木村資生によって、1960年代後半および1970年代前半に発表されたもの。日本人も「進化論」の進化に、大きく影響を与えている、という一面を見ることができる。

ダーウィンが書いた『種の起源』(1859年)から160年以上経つ。「進化論」はどこまで進化するのか。人類はどこまで進化していっちゃうのか。進化とは退化なのか。思うところは尽きません。

◇おしまい

「Google」不親切論。

Coming すーん。

2012年8月17日金曜日

【気象考(6)】「うろこ雲」編

まだ夏休みを取らず“夏全開を大満喫”しないまま、気付けば「秋の空」になりつつある。空を見上げると、うろこ雲がダーンと見えているのだ。速攻で駆け抜けていく夏に向けて「もうちょっと待ってくれよ〜」と手を向けても仕方ない。こうしている間にも、地球は確実に公転し、次の季節を連れて来る。

で、「うろこ雲」。「巻積雲(けんせきうん)」という。ウロコみたいに雲片が群れて浮いている雲。呼び方はいろいろある。「鰯雲(いわし雲)」だったり、「さば雲」だったり。その見え方次第だ。なんだったら「豹柄雲」と呼んでもいい。

その浮いている高さに特長がある。上空高く、高度 5 〜 15 kmのあたりに浮いている 。だから基本雲形(十種雲形)の一つ「高積雲(こうせきうん)」とも区別される。「高積雲型うろこ雲」の場合、「まだら雲」「ひつじ雲」「叢雲(むら雲)」とも言う。

ただ、僕の説明順序などで紛らわしいのだけれど、「巻積雲」と「高積雲」は厳密には別物でもある。「高積雲(まだら雲)」は「巻積雲(うろこ雲)」よりも塊、雲片が大きく、はっきりとした白色をしている。判別が難しい。

「巻積雲」と「高積雲」の見分け方としてよく紹介されているのは、
・雲のできる高さ(巻積雲の方が高い)
・一つ一つの雲の大きさ(巻積雲の方が小さい)※天空上での見かけの大きさ(視角度)が1度より小さいものが巻積雲
・雲の薄さ、光の透過具合(巻積雲の方が薄い)※太陽の光が透けるため、影ができない
といったものがある。「まあ、どっちでもいいっしょ!」という人もいる。

wikipedia教授によると、巻積雲はその形状で、「層状雲」「レンズ雲」「塔状雲」「房状雲」に分類されることもある。「温暖前線や熱帯低気圧の接近時には、巻雲の次に現れるため、順番にこの2つの雲がみられると天気の悪化が近づいている」らしい。

「国際式天気図に使用される雲形記号においては、十種雲形の中で唯一、巻積雲を表す記号だけが1種類しかない」。ちなみに“十種雲形”とは、巻雲、巻積雲、巻層雲、高積雲、高層雲、層積雲、層雲、乱層雲、積雲、積乱雲の10種類のことを指す。

“十種雲形”は1894年、スウェーデンのウプサラで開かれた国際気象会議で決まった。それぞれの雲は、浮かんでいる高さから上層雲、中層雲、下層雲に分けられる。「絹積雲」と書くこともある「巻積雲(うろこ雲)」は、空の高いところにできる上層雲。記号は「cirrocumulus」の英名から「Cc」。

……なんてゆー雲が、8月中旬に浮かんでいるのでございます。

◇おしまい

2012年8月13日月曜日

思想家とは何か考2


「思想家とは何か」について思想するなら、まず「思想」について思想しなくてはならない。そう思想する。つまり「考える」とは何か、という問題だ。誰もが知っての通り、「考える」とは脳内現象、器官での神経細胞などの運動と言える。それゆえ僕らが「考える」ことを考える際、やはり脳器官についても考える必要がある。

では「脳」とは何か。僕らの頭蓋骨に収まったこの器官には、千数百億個もの「神経細胞(ニューロン)」がある。「ニューロン」は、神経系を構成する細胞で、情報処理と情報伝達が主な機能、あるいはこの2つの機能に特化した細胞だ。入力刺激(情報)が入ると「活動電位」を発生させ、他の細胞に情報を伝達してくれる。

脳内で意識しなくても勝手に行われている「活動電位」とは、なんらかの刺激に応じて細胞膜に生じる一過性の膜電位の変化のこと。化学用語になるけれど、主に「ナトリウムイオン」と「カリウムイオン」が関係している。これは脳内だけでなく、さらに動物だけでなく、植物でも行われている“変化”という。

もうちょっと「活動電位」について調べてみる。と、結構生命体の奥深さ、面白さを知る。細胞の内と外の間では、「電位差」が常に存在している。電圧の差のこと。僕らそのものを成り立たせる細胞一つ一つに、電位があり、この電位差がなんらかの刺激によって一時的に逆転する。この現象を「活動電位」という。

三省堂の「大辞林」は「活動電位」についてこう解説している。「生体の活動時に神経・筋肉など興奮性組織に発生する膜電位の変化」のこと。「興奮部は静止部に対して負の電位を示し、電流(活動電流)が流れる。動作電位」。……。余計混乱してしまう。でもこの「活動電位」については、僕らは高校生物で習っているはずだ、覚えてないけれど。

まあとにかく、僕らのニューロンたちは、僕らの魂以上に賢くやっているのかも知れない。ニューロンたちは気付かないうちに、今も、この瞬間も、やや理解不能な「活動電位」を繰り広げてくれている。そのお陰で、僕ら自身に情報が蓄積されていく。無意識であろうが、意識していようが。

このニューロンは、ヒトでは小児期に増殖する。神経幹細胞が盛んに分裂して分化することで増えていくのだけれど、やがてそんなに増殖しなくなってしまうようだ、残念なことにも。そして増殖したニューロンは分化が進ませながら、「軸索誘導」によって特定の位置の特定の細胞に「軸索」を伸ばし、シナプスを形成。神経回路を形成していく。

そもそもこのニューロンたち。主に3つの部分に区分けできる。細胞核のある「細胞体」、他の細胞からの入力を受ける「樹状突起」、他の細胞に出力する「軸索」。いまさっき出てきた「軸索」は、他の細胞に出力するものになる。「樹状突起」と「軸索」は両者をまとめて「神経突起」とも言う(by wikipedia先生)。

ではニューロンたちの楽園、「脳」とは何か。解剖学的にまとめると、こんな。「頭蓋内腔の大部分を占める器官」「成人で体重の2%ほど」「つまり1.2~1.6キログラムの質量」がある。「約300億個の神経細胞を含むがそれは脳をなす細胞の1割程度」。「残りの9割はグリア細胞と呼ばれるもの」(by wikipedia先生)。

また脳は、大きく「大脳」「小脳」「脳幹」に分けることができ、「大脳」はさらに「終脳」と「間脳」分けられ……。なんだか話が大きくなり過ぎました。ま、いっか。いや、良くないよね、いやいやいいよ、なんていうせめぎ合いも、僕の脳内で起きている現象です。

そして「思想家」たちは、この脳内現象をフル回転、フル出力していったのですね。逆にこの脳内現象をフル回転、フル出力していった人物たちを、僕らは「思想家」と呼んでいるのかも知れないし、そうでないかも知れないし、なんてゆー“せめぎ合い”@僕の脳ミソ。

◇つづく

2012年8月8日水曜日

思想家とは何か考1


「思想家とは何か」。あるいは「思想家の定義は何か」。これについて3回くらいに分けて整理していこうと思う。初回の今回は短く考えてみる。そして僕は今「思想家とは何か」について考える思想家なのではないか、と思想する。となると、人間は誰もが思想家なわけで、「じゃあ何で『思想家』をその他と区別するのだろう?」といった疑問が生まれてくるのであります。

「思想家」は英語で「Thinker」、「考える人」。きっとその対義語は「考えない人」なんだと思想する。僕はあえて「思想する」を連呼してみている。で、ウィッキー先生はこう教えてます。「様々な思想・考えに関する問題を研究し、学び、考察し、熟考し、あるいは問うて答えるために、自分の知性を使おうと試みる人」のこと。

ちなみに2012年8月8日時点での「思想家」の記事ページで「関連項目」とされているワードは5つ。「知識人」「考える人 (ロダン)」「啓蒙思想家」「神秘思想家」「無政府主義者」。ここで注目されるのが、「知識人」のワード。やはり人は考えるにあたり、知識がなければ思想する材料も貧弱だということなんだろう。

ウィッキー先生の「思想家一覧」で登場する皆さんは、ほとんどが「哲学者」とも分類されている人々。古代ギリシアの哲学者「タレス」を筆頭に、「アナクシマンドロス」「アナクシメネス」「ヘラクレイトス」「エンペドクレス」「アナクサゴラス」「ピュタゴラス」と続く。

タレス(紀元前624年 - 紀元前546年頃)に関しては、「ソクラテス以前の哲学者の一人で、西洋哲学において、古代ギリシアに現れた記録に残る最古の(自然)哲学者であり、イオニアに発したミレトス学派の始祖」と紹介されている人物。「ギリシャ七賢人の一人」でもある。

アナクシマンドロス(紀元前610年頃 - 紀元前546年)は、ギリシア人の植民市・ミレトスに住んでいたらしい人物。タレスやアナクシメネスとともに「ミレトス学派(イオニア学派)」の代表格。自然哲学について考察し、タレスとともに最初の哲学者とされている人物だ。

ちなみにアナクシメネス(紀元前585年 - 紀元前525年)は、アナクシマンドロスの弟子。「ミレトス三哲人」の一人とされている。有名なのが、万物の根源(アルケー)は空気であるとしたこと。その思索の背景には、古代ギリシアでは「死人は呼吸をしないことから、息は生命そのもの」と考えられていたことがある。

“最初の哲学者”。じゃあ彼らの前には思想した人はいなかったのだろうか。そうではない。そうではなくて、恐らく記録がないだけなんだと思想する。あるいは「思想家」と認められなかった。思想するに値しない人と考えられた、とは過言かも知れないけれど。

とにかく「思想家一覧」に挙がる人々、大量です。例のサルトルさんもいます。本当ならば人類のほとんどの名前が書かれても良いかも、と思う前提に立てば、掲載者は極々一部。むしろ挙がってない人が「なんでオラの名前挙げてくれてねーんだっぺ!」と怒っても良いかも知れない。と思想する。

ってわけで、今日も“強制終了”のお時間が参りましたので、こうやって、また中途半端に僕の記述は終わります。けれど僕の思想は続くのでございます。プチ。ブブブブブブブ‥…ガガガガガガガ…

◇つづく



2012年8月7日火曜日

石田梅岩先生考。


石田梅岩(1685年 - 1744年)という、江戸時代の思想家がいる。生涯独身。彼は「石門心学」という学問というか、倫理学というかの一派を創設した。この「石門心学」は江戸時代後期に大流行。ますます石田先生、あるいは梅岩(ばいがん)先生の評価が高まった。

「へー、で、今なぜ石田梅岩?」と聞かれても、いつものように「ふと気になったから、ちょいとまとめてみる」的な。今回もそんな理由で、ふと思い立ち、僕は「石田梅岩」あるいは「石門心学」について復習してみます。石田梅岩は、“百姓の出の商人市井学者”とも呼ばれているお方。

石田先生は、丹波の国、現在の京都府亀岡市にお生まれになりました。百姓の次男坊だった。小さい頃より“まじめ君”。人生について、人間について、思想を巡らせるようになりました。次男だったため丁稚奉公とかしたりしているうちに、若者はやがておじさんになりました。32歳。僕と同い年。

その32歳の頃に、石田先生は仏教者に出合い、彼に師事。やがて石田先生が思想家として名を残すことになる、そのスタートラインに立ちます。でもまだまだ先の話。石田先生が後に『石門心学』と呼ばれる思想を説いたのは45歳の頃。当時、先生は京都の自宅で、無料講座を開講し始めたのでございます。

石田先生の塾がカッコいいなぁと思うのは、塾の前には「聴講料無料、出入り自由、女性もどうぞ…」と掲げてあったこと。これはすごい、と思う。てゆーか、じゃあどうやって稼いでたんだ?とも思う。けれど石田先生はもともと商人だから、もしかしたら松下幸之助の、塾生にはお金が支給される松下政経塾のようなものだったのかも知れないなぁともいい加減に思う。

石田先生が60歳で亡くなる5年前、1739年に刊行したのが、『都鄙問答(とひもんどう』という書物。「江戸時代中期に成立した心学運動の経典というべき書」とも紹介されています、ネットで。「町人道を説いた。問答体による構成は四巻16段からなっている」ともあります。

人間の知識をデジタル化して公開されている“ネット界”から言葉を拝借、現代風に言えばコピペしてみると、『都鄙問答』はこんな内容だった。「江戸時代の心学の祖石田梅岩の主著。4巻16段。1739年(元文4)刊。明治以後も版を重ねた」。これは概要。

「月次の例会での問答を中心としたもので,梅岩の思想が集約されている」。つまり石田梅岩を知る際には、最重要書物と言える。僕は読んだことはないのだけれど。そして「社会に貢献する点では商人も武士に劣らないとの主張が高く評価されている」と、昔の経営学者で石門心学研究者は解説しています。

続けて「そのためにも商人は商人道を自覚しなければならぬと反省を求めるところに梅岩の主意があった」。「石門心学の中心的教典となった」。そんな本が、江戸時代に出た。この解説にある「商人道の自覚」。換言すれば「ビジネスマンの矜持」あるいは「サラリーマンの覚悟」。

別の方の解説では、「人間は基本的に平等と説きながら、士農工商それぞれの本分をまっとうすると諭す。とりわけ商いの道に対しては、積極的に肯定的な見解」を示していた。あるいは「この著作では商売の正しい道、いわば商人道についてわかりやすく解説してくれています」。

ちなみに「都鄙問答」とは、都会人(京都のインテリ層)と田舎者(無学な大衆)との対話という意味という。そんな形式の著書をもって石田先生は、「封建社会の儒教倫理に沿って職能として士農工商それぞれの社会的意義を考え、経済と道徳の一致を説き商人にも流通の役割の価値を見出し、利益を追求することの正当性を強調」(by wikipedia先生)した。

wikipedia先生の解説は、逆に分かりづらいけれど。とにかく石田先生は、儒教や仏教、神道の思想を取り入れ、武士身分が「何様」的に町を闊歩していた時代に、軽蔑の対象ともなっていた商人の営利活動を積極的に肯定した。

さらには勤勉と倹約を奨励した。石田先生のこうしたポジティブシンキングが、当時の京都の人々に受け入れられていった。ヘコヘコしているのがアレだった人々が「僕らは商人だ!」「卑屈になんてならないぞ!」と立ち上がるきっかけを、石田先生は与えた。

石田先生の「石門心学」。その実践道徳の根本は、「天地の心に帰することによって、その心を獲得し、私心をなくして無心となり、仁義を行うというもの」という。「その最も尊重するところは、正直の徳であるとされる」(by wikipedia先生)。

ウィッキー先生は続けてこう解説する。「一般民衆への道話(どうわ)の講釈と心学者たちの修業(会輔)の場となったのが、心学講舎と呼ばれる施設である」。「明和2年(1765年)に手島堵庵が五楽舎を開いたのが最初」。

この「心学講舎」、最盛期には全国に180カ所以上あったという。京都には「五楽舎」「修正舎」「時習舎」などがあり、大坂には「明誠舎」、江戸には「参前舎」といった名前の学舎があった。いずれの学舎で教えていた根本思想は「天地の心に帰すること」。

「私心をなくして無心となること」、そして「仁義を行うこと」。その最も尊重するところは、「正直の徳」。うむ。現代のビジネスマン必携の心構え。これを江戸時代に説いた商人哲学者がいた。経営学者のドラッガーもびっくり!? いやびっくりはしないか。

石田先生、お疲れさまでした。先生のお墓は、大阪市中央区下寺1丁目の「大蓮寺」(最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」)にあります。思想家の思想は地上を徘徊し、思想家の骨は地下に眠ります。

◇おしまい

2012年8月3日金曜日

【気象考(5)】「気象学」編

「気象学(meteorology)」には、さまざまな分野、細分化されるガクモンがあるようだ。「研究対象は大気中の諸現象」と、ざっくり「気象学」と一括りにできる一方、これをマニアックに分化した学問が発展している。ちょいと調べると、初めて知る学問ばかりで面白い。

たとえば、こんなのがある。「総観気象学」、これは気象観測結果を基に、大気現象の構造を解析または予想する学問。「メソ気象学」、これは雷雨や降水セルなどの中規模現象を解析または予想する学問。

研究対象ごとに分化したものでは、「大気力学(気象力学)」や「大気電気学(気象電気学)」、「大気物理学(気象物理学)」、「気象化学」、「超高層大気物理学」、「衛星気象学」、「水文気象学 」などがある。

このほか、地上から約 1 km までの大気境界層で起こる様々な現象を科学する「境界層気象学」。あるいは、気象が人間や生物に与える影響を研究する「生気象学」といったものもある。さらには実務的ガクモンとして「航空気象学」や「農業気象学」もある。

不可思議で奥深いこの世界、この宇宙。研究対象は様々あるけれど、特殊なガクモンに生涯を費やす方々、研究者たちには恐れ入る。僕はたまたま気象に関心を持っているから、どれも面白そうに思うけど。

ちなみに先に挙げた「大気電気学」、英語では「atmospheric electricity」。電磁気学で「地球磁場」や「雷」、「大気放電」、「大気イオン」など気象学的な現象を対象とした学問のこと。と、wikipedia先生は教えてくれる。

じゃあ「電磁気学(electromagnetism)」って何? と調べると、「物理学の分野の1つであり、電気と磁気に関する現象を扱う学問」という。工学分野では、電気磁気学と呼ばれることもある、とも。

さらには、じゃあ「考察対象となる電磁的現象」って何なのよ? となる。これは「磁石が鉄を引き寄せること」、「摩擦した琥珀が軽い物体を引き寄せること」、「雷や稲妻」などに加え、現在では「全ての現象が電磁的現象として理解できる」らしいから、電磁的現象は無限大にありそうだ。

さらにさらに、と問いは続くことになり、結局「気象学」ってめちゃめちゃ奥深いってことに気付かされる。地球という惑星内の大気現象を研究する自然科学。あるいは大気科学。もしくは地球物理学。

僕はこれらトータルに知り尽くしている、理解し尽くしている人に憧れる。そうした憧憬が、僕をよりいっそう、“なんちゃってガクモン”へと引き寄せるし、僕の書籍購入代を増やしていくんですね。はいそーですか。

◇おしまい

2012年7月30日月曜日

フリーメイソン考【4】

さっそく「フリーメイソン憲章」から。この憲章が「アンダーソン憲章」とされるのは、アンダーソンが憲章を編纂したからだ。1712年、アンダーソンはロンドンの“グランド・ロッジ”のグランドマスター(組織内でとても偉い人)から、「憲章作ってちょ」と依頼された。

そこでアンダーソンは「任せてちょんまげ!」と秘密結社の基盤づくりに燃えました。で、そのアンダーソンさんて誰?てゆーと、スコットランドの牧師さんでした。“牧師”、つまりプロテスタント系。

アンダーソン牧師は、古代フリーメイソンの規約「ゴシック憲章」を基に、草稿づくりを開始。例のデザギュリエおじさんも、これに参加。おじさんは序文執筆を担いました。この“草稿”はほぼそのまま“イキ”で、「フリーメイソン憲章」として出版されたのでございます。

さて、この憲章がどんな影響を与えたのか。ちなみに憲章には、フリーメイソンの歴史や責務、ルールを規定。歴史のはじまりは、つまり地球や宇宙ができたのは、紀元前4004年てことになりました。あらあら。

そんなわけで今年2012年は、フリーメイソン的に示すと「A.L.6016」となります。加えると「A.L.」は「光の年」のラテン語の略。彼らの歴史把握の起点、基点を考慮すると、その世界観は、やはりちょっとアレなのかな?と思ってしまいます。

フリーメイソン憲章が提唱するのは「宗教の多様性」。信仰心があれば「宗教はキリスト教でなくても、おっけー!」とした。だからカトリック総本山のバチカンはフリーメイソンに対し「ざけんなよ!」と激怒したし、「破門カード」を切りまくった。

けどプロテスタントのデザギュリエにとっては、カトリックからの破門は全く怖くなかったんだろーなと思う。このデザキュリエおじさん、1719年に、第三代グランドマスターに就任しました。つまりフリーメイソン最高位になった。

デザキュリエは、1683年フランス生まれ。お父さんは牧師をしていて、だから迫害を受けて英国に一家で船で逃げた。デザキュリエはその後勉強を頑張り、オックスフォード大学に入学、自然科学を研究した。

大学卒業後は、親しくしてたニュートンのコネもあり、ロンドン王立協会の会員となりました。で、気付けば科学大好き青年は、36歳の科学者デザキュリエおじさん。になってました。

考えてみれば、36歳で秘密結社最高位に就いたのはスゴい話しだ。よっぽど才能があったのだろう。1719年、デザキュリエは“会長”として貴族や王立協会会員らを入会させるなどした。そーして「フリーメイソン」のブランド化に成功。やはり組織はそーして創られていく。

カルト宗教はだいたい高学歴信者を創りたがる。教祖の学歴をウリにしてるところもある。もはや日本では貴族とか皆無だから、そんなところに現代的ヒエラルキーの基準を求め、活用したりする。

「近代的フリーメイソン」。フリーメイソンの非キリスト教化。さらにルーツの石工を、切り離した。これにはバチカンだけでなく「古代派」も反発。で分裂。和解をもった1813年まで大分裂時代となる。

そして近代的フリーメイソン、こっちは英国王室から続々と入会者を集め、次第に「王室ならフリーメイソンに入ること」てな具合となるまでになった。こうしてフリーメイソンは知恵者を取り込み、貴種を取り込み、神秘性を高めていったわけですのん。

◇つづく

【気象考(4)】「アメダス」編


「雨です」が訛ると「雨だす」になる?かは別として、「アメダス」のネーミング、センスがない日本官僚が考えたとしたら割と傑作な部類に入ると思う。勝手に官僚のネーミングということにしちゃっているけれど。

天気予報でよく聞く「アメダス」、これは略称「AMeDAS」のこと。正式には「Automated Meteorological Data Acquisition System」と書く。日本語では「地域気象観測システム」。このシステムは日本国内約1300カ所の無人気象観測所で構成されている。

僕の大好きなWikipedia先生のページを見てみたら、なんだぁ! 「アメダス」の由来についての記述がありました。僕はそんな先生がより大好きになっちゃいます。

で、いつものごとく“そのまんまやん”的記述をすると、『「地域気象観測システム」の英語訳が"Automatic Meteorological Data Acquisition System"であった時代にその略称を考えた際、単にAMDASとするのではなく、AMeDAS(雨出す)としたほうがおもしろいとの提案が採用され』たもよう。

そいでもって、『略称を"AMeDAS"、その読みを「アメダス」とすることとなった』という。『後に英語訳が"Automated Meteorological Data Acquisition System"に変更されたが、特に変更の必要は無かったためそのまま使用されている』。へー。

と読んでいたら、こんな文が続く。『このエピソードはあまり知られておらず、「雨です」が訛った「雨だす」にかけたものだ、と言った俗説も一部にある』。……。逆に言うと「ひっかけてないんか!」ってなるけれど。

まあとにかく、僕ら日本人が大変お世話になっている「地域気象観測システム」。天気予報を見聞きするたびに僕は、暴風雨の中でも健気に観測している全国各地の観測所に思いを馳せているのです。

ちなみに、健気な観測システムでは、「降水量」「気温」「日照時間」「風向・風速」で、豪雪地帯では「積雪の深さ」も観測。観測で得られたデータは通信回線で気象庁内の地域気象観測センター(通称アメダスセンター)へ10分ごとに集信。“天気のプロ”によるチェックを経て全国に配信されております。

◇おしまい

フリーメイソン考【3】


「フリーメイソン」か「フリーメーソン」か。これは僕もあいまいに使用してきたのだけれど、この「フリーメイソン考」では“なんとなく”で、「フリーメイソン」の表記で統一している。けれど編集者御用達の「用字用語ブック」「記者ハンドブック」のルールでは、恐らく「メーソン」表記が正しい。

けれど僕は“誰も読んじゃいねーよ”なブログを更新するにあたり、そもそもいい加減な表記しかしていない。ましてや校正なんかもしていないから、後々恥ずかしい目に遭うかも知れない。いや、“誰も読んじゃいねーよ”な限りにおいては、そんなことはなさそうですね。

そこで思うのは、「誰にも知られず」けれど「堂々と活動している」のは、秘密結社に限らない、ということだ。この哲学ブログや僕が勝手に更新し続けているその他ブログもまた、「誰にも知られず」けれど「堂々と活動している」。そして「誰にも知られてはいけない…」。

でも「秘密結社フリーメイソン」と「僕の密かなブログ」の違いは、奥深さとか、関心持たれる度合いとか、結構ある。表向きでは社会貢献もしている「秘密結社フリーメイソン」と、なんら社会的貢献を果たさない「僕の密かなブログ」の差は歴然だし、あらゆる点で比べるのはおこがましくもある。

で、全然脈略ない話からスタートしたのだけれど、今回は「デザギュリエ」について。1717年から始まる近代フリーメイソンの創始者と言われている人物です。オカルト系ほかその手の本では、超重要人物の一人として紹介されています。

とゆーのも、デザギュリエさんが近代フリーメイソンの核であり基盤となっている「フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)」作成に、主導的役割を果たしたから。1723年に完成した同憲章の普及も頑張った。ついでに彼は憲章序文を執筆しております。

ジョン・ デザギュリエ(1683-1744)。「近代フリーメイソン創始者」あるいは「近代思弁的フリーメイソンの父」。フランスでプロテスタントの指導者だった彼は、ユグノー教徒の迫害を逃れて渡英。後にニュートンの弟子になりました。科学者になり、博士になった。

デザギュリエが英国でしたことは、英国でスコットランド由来の「フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)」、これを普及させたことだ、あくまでものフリーメイソン界での活躍話だけれど。この憲法こそが、会員たちに「秘密厳守」を迫らせている。

「ふむふむ、フリーメイソン憲章(アンダーソン憲法)ねぇ」「で、そもそもフリーメイソン憲章って何だ?」となりますね、当然。そして「なぜアンダーソン憲法って呼ばれてるの?」とゆー疑問も出てきます。それらについて、もう今回の主題「デザギュリエ」もまとめて、次回の“情報まとめ”に委ねます。

そうなると「おいおい、本題始まったばかりなのにまじかよー」てなるね。けど、なんだか疲労感によりグダグダな文章になりそうなので、自分自身にごめんちゃい。「今できることは今やる」。「今できないことは今やらない」。こうして僕はまた先延ばし事項を増やしていきます。宿命的に。エントロピーの拡大的に。

◇つづく

2012年7月25日水曜日

◇テーマ整理の記

僕の注意欠陥・多動性障害と低い記憶容量ゆえ、僕はこのブログで何のシリーズを好き勝手に始めてしまっているのかを整理してみたい。ここで整理しないと、本当にほとんど全ての「シリーズ」が中途半端に終わってしまいかねないと危惧してのことだけど。

2012年7月25日現在、テーマ・タイトルだけをpublishしているのだって幾つかある。いつか書き上げたいと思いながら、別のテーマ・タイトルについて書いちゃっているためだ。『「Google」不親切論。』、『「進化論」考。』、『なぜ「鉄道オタク」になりたいか』。そうそう、『海と太陽、我が逗子論。』もある。いずれも“どーでもいいネタ”だけど、僕にとっては重要なのだ。

開始しちゃっているシリーズは『超「実存主義」講座』、『気象考』、『知的「美学」研究』、『「世界陰謀論」考』、『黙示録について』、『フリーメイソン考』。そっかぁ、こんだけあったかぁ。広げ過ぎちゃいましたね。けれど繰り返すが、いずれも“どーでもいいネタ”だけど、僕にとっては重要なのだ。

きっとまだまだテーマ・シリーズは増えていくと思う。そしていつか宣言したように、突然ぱたん。と終わりの日がやってくるとも思う。それはつまり、それが世界の真実であるかのように。けれど僕自身が終わらない限りは、その重要性ゆえ、考察あるいは情報整理をしていきたい。それが僕の趣味でもあるし、僕の病気でもある。

◇むふふ


【気象考(4)】「風」編


「台風」とか「強風」とか「無風」とか。僕らは当たり前のように「風」について話す。ウィンドサーファーや凧揚げのプロ、あるいはナウシカでなくても、「風」は日常生活で気になる存在だ。特に節電が叫ばれる昨今の夏場は、風があるかないかは、死活問題になると思う。

その「風」について、ちょこっと整理してみちゃおっかなぁと思う。「風って何だろう?」。一言で言うと「空気の流れ」「大気の流れ」あるいは「気流」になる。ではなぜ空気が流れるのか。それは地球上にかかっている気圧が均等ではないからだ。気圧が高いところは「高気圧」、低いところは「低気圧」。「低気圧」は雲をともない、雨や風をもたらす方の気圧だ。

熱・エネルギーと同様、または精神的に弱い僕の目標レベルと同様、気圧も高い場所から低い場所へと流れる仕組みになっている。この空気の移動は、高気圧と低気圧の差が大きければ大きいほど激しくなる。高低が大きければ大きいほど、落ちる滝の勢い、水流の落下速度が激しくなることにも似ている。

例えば「台風」。これは「太平洋や南シナ海(赤道以北、東経180度以西100度以東)に存在する熱帯低気圧のうち、最大風速(10分間平均)が34ノット(17.2m/s)以上のもの」を指す風の総称だ。この台風は、中心の気圧が非常に低くなるため、特に強い風が吹く。

ちなみに台風は、熱帯低気圧が発達し、強風域が生成されてはじめて、「台風」と命名される。同等の低気圧でも温帯で発生するものは「台風」とは呼ばれない。強風にはこの他「ハリケーン」や「サイクロン」などもあるけれど、その位置する海域別によって異なっている。まるで「神様」や「悪魔」の地域別名称のようですね。

ついでに「熱帯低気圧」。積乱雲が中心に向かって巻き込む、“渦巻き状”の構造になる。これが大きくなると、中心に「目」と呼ばれる雲がない空間ができる。「天空の城・ラピュタ」は「蜂の巣」と呼ばれる積乱雲の中心にあるとされているが、積乱雲の直径は300km程度から2000km程度までとさまざまある。

そう言えば、風には「貿易風」というのもある。英語で「trade wind」。これは亜熱帯高圧帯から赤道低圧帯へ、恒常的に吹く東寄りの風のことを指す。なぜ起こるのか、というと、赤道付近で強い日射で生じた上昇気流に関係している。この上昇気流は、北極・南極に向かっていくが、ここで地球の自転による「コリオリの力」が登場。

上昇気流は「コリオリの力」により、東寄りに向きを変える。そして緯度30度付近で滞留。そして今度は下降気流となって海面(地表面)に吹き下りてくる。こうして気流はぐるっと大気圏を巡る。これが「亜熱帯高気圧」。緯度20–30度付近の地域に形成され、年間を通じて存在する。

この「亜熱帯高気圧」は、赤道付近で上昇気流によってできた低圧部に向けて南北から吹き込む気流となる。これが貿易風です、ちゃんちゃん。つまり、北半球では北風、南半球では南風になるはずの気流は、「コリオリの力」により、北半球では「北東貿易風」、南半球では「南東貿易風」となる。

復習すると、周囲よりも気圧が低い場所が「低気圧」。貿易風の起こりでもあったように、気圧・密度が低いと、周囲の空気や風を引き寄せる。これを気象学では、「低気圧は気流を収束させる」と表現するようだ。

で、「大気の流れ」について。全てが均一化されるグローバル化のごとく、気圧の不均一を解消しようとして発生するのが風と言える。気象学では、「風は気圧傾度力によって発生する」と表現する、らしい。ではなぜ気圧が均等ではないのでしょうか。

そんな問いにはwikipedia先生が、こうお答えしております。「気圧の不均一や気圧傾度力が生まれる根本的な原因は、地球上において、場所によって太陽エネルギーの分布(≒温度)が異なるためである」。なるほど。

「日光の当たり具合や地表の温まりやすさの違いが、島や大陸といった巨大なスケールで存在すると、気圧が不均一になり、数千km規模の高気圧・低気圧が生まれる」。ほー、そういうことね。そいでもって「高気圧から低気圧へと流れる空気が、『風』の主因となる」とまとめてくれている。

これにて一件落着!と、ここでwikipedia先生に頼りすぎゆえの、妙な風を感じたり。感じなかったり。まあこうして知識も「知る者(wikipedia先生)から知らざる者(僕)へ」と流れ、知的均一化が図られていくのかも知れません。

◇おしまい


フリーメイソン考【2】


フリーメイソン好きなら、当然読んでいるはずの小説が、ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズだ。最新作は『ロスト・シンボル』で、『ダ・ヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』は映画にもなった。その物語にちりばめられた数々の“秘密の暴露”の信憑性は別として、いずれも最高に面白いストーリー構成。筆者の持つネタの量には感動すら覚える。

ラングドン教授シリーズの主人公は、ハーバード大学の「宗教象徴学」の教授という設定。毎回秘密結社に関する事件に巻き込まれつつ、謎に迫り、その専門知識で謎を解いていく。この過程で、読者は「秘密結社」についての知識を学べるし、その蔓延り具合も知ることができるため、まさに「秘密結社入門書」とも言っていい。

前回最後にちょろろと触れた「古の神秘」のキーワードは、米国・首都ワシントンD.C.を舞台にラングドン教授がまたもや活躍する『ロスト・シンボル』に出てくる単語。物語では、「古の神秘」が米国の建国に大きな影響を与えたとする。それは古来より人類が求め続けてきた究極の智恵…。あるいは「失われたことば」…。で、ネタバレしちゃうと、それは聖書のことでしたー。

なるほど、実に面白い“真実”だ。聖書は神からの贈り物。まさに「神秘の言葉」。けれど神でなく人により記述されたものでもある。そして長い長い歴史に埋もれず、むしろ現代であればこそ輝きを増している、不思議な記録とも言える。それゆえ「人類の究極的知恵」や「極上の神秘」の答えを「聖書」という書物に見つけるのもアリだろうと思う。「古の神秘=聖書(笑)」とする人の気持ちも分かるけれども。

知っている人にとっては当たり前のことだけれど、聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」がある。キリスト教では、この両方をくっつけたものを聖書として使用する。ざっくり整理すると、「新約聖書」を信じる人がキリスト教徒で、「旧約聖書」だけを信じる人がユダヤ教。「旧約聖書」はイスラム教においても、「モーセ五書」や「詩篇」といった一部が啓典とされている。

ちなみにイスラム教における「啓典」とは、その唯一神・アッラーから預言者に下された啓示の書物。これは4つある。ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)と、ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)、イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)、ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)で、「コーラン」が特に非イスラム教徒に知られた啓典だ。

ということで、『ロスト・シンボル』のネタバレ「古の神秘=聖書(笑)」をしてしまい、聖書について、啓典について触れたところで、いつものよーに“今日のタイピング終了のお時間”となりました。ふぅ。なので「全能の眼」、「デザギュリエ」、「薔薇十字軍」については次回以降でまとめていきまーす!、誰のためでもなく僕自身のために。

◇つづく


















2012年7月24日火曜日

フリーメイソン考【1】

なんだか気になって仕方ない対象。僕の場合は「キリスト教」と「秘密結社」、「諜報機関」になる。なぜかを答えるには「長い話し」になりそうだから、ここではちょっち省略。まあ簡単に言えば、“何か秘匿されている感”に惹かれている。

今回は「キリスト教」と「諜報機関」ではない方をテーマにしていくシリーズの序文みたいなもの。僕の考えとゆーよりも、おおよその情報整理から始めてみたい。すごくアバウトに。特に「キングof秘密結社」な「フリーメイソン」について。

さっそくその組織についての外枠をなぞってみると、「フリーメイソン」、なんと世界に600万人のメンバーがいるという。あまりにも多い。多すぎて、全然秘密じゃないと思えるほどだ。まあ、当のフリーメイソンは、「うちらは秘密でもなんでもないですよー」「単なる慈善団体なりよー」と言ってるけれど。

一応ここでは、「フリーメイソン=世界最大の秘密結社」との前提で進めてく。会員600万人、そのほとんどは米国人。米国は本家・英国の5倍以上の会員400万人を有している。つまりは米国こそが、フリーメイソンの本場になっている。で、何を秘密にしてるのか。

例えば会員は自ら「わて、フリーメイソンでっせ」と暴露してはいけないことになっている。「おれ、実はバットマンなんだぜ!」「僕がウルトラマンだ!」と言えない主人公みたく。あるいは「わたし、実は指名手配犯なんですわ。。。」と言えない逃亡者みたく。そこに、会員たちは仮面ヒーロー、あるいは二重人格者のような楽しみ方があると思われる。

入会の儀式も秘密だ。集会での内容も秘密。秘密はほかにもあるようだけれど、これだけで十分“秘密結社”の定義は満たされている。非公開の儀式があり、そのメンバーのみしか知り得ない活動をし、自らメンバーであることを秘匿する。

けれどときどき「王様の耳はロバの耳だー!」と叫ぶ人がいる。そんな声を集める人もいる。だから秘密も少し洩れてくる。そうして「フリーメイソンの真実」みたいな本が出て、ブックオフに並び、僕が105円で片っ端から買う流れになる。

フリーメイソンには、大雑把に「親方」「職人」「徒弟」の三階層がある。これが基本位階。もともと石工職人の集まりを起源にしているからで、「親方」になるまで最低7年4ケ月かかるとも言われている。ちなみに琉球チックに言うと「うやーかた」。

「親方」になり、はじめてさらに上の「秘密結社of秘密結社」へと招待される。位階上位者が組織する「フリーメイソン・ソサエティ」。この組織は「スコティッシュ・ライト」とか、いろいろあるという。それぞれが何をしているかは、僕の読んだ本では詳細不明らしい。

で、その起源説は種々ある。「石工職人ギルド説」や「テンプル騎士団説」、「ソロモン神殿建築家説」。このほか「ピラミッド建設石工集団説」や「ピタゴラス教団説」や「フランシス・ベーコン創始説」などもある。要するに確定していない。それぞれが好き勝手に起源を決めているもようだ。

そんなフリーメイソンは、日本にも支部、ロッジがある。場所は東京タワーの下らへん。日本人とフリーメイソンの結びつきは意外と深そうだが、日本人とキリスト教みたく、ちょっち馴染まないように思える。金髪の日本人みたく。

さてさて。全然序説にもなってないけれど、「古の神秘」や「全能の眼」、「イルミナティ」、「デザギュリエ」、「薔薇十字軍」。次回はこの5つのキーワードについて整理していくので、今回はこれでおしまい! そう至高の存在、宇宙の偉大な建築者が終わりを誘ってます(幻覚で)。
◇つづく

2012年7月18日水曜日

黙示録について(1)


FOXチャンネルのドラマ番組『ウォーキング・デッド』を、昨晩何気なく観た。最初どんな物語か全く分からなかったが、それもそのはず、“ゾンビによる世界の終末の後の物語”という、そっち系の米国ドラマ。意外にヒットした“終末もの”らしく、第2シーズンまで放送されているそうだ。

“終末もの”は、「アポカリプス作品」とも呼ばれている。僕はそう呼んだことはないのだけれど、「ゾンビ系」や「核戦争系」、「宇宙人襲来系」、「隕石衝突系」、「大地震・津波系」などさまざまある。「あちゃーこりゃアカンわぁ、世界の終わりやわぁ」な世界観が、作品で展開される。

観ているこっちはこっちで、ヒヤヒヤしながらも、現実の「安全圏」内にいることへの安堵感もあったりする。「なんだかんだ、おいらは死にません。映画館はエアコン効いてるし、ポップコーンだってコーラだってあるしね!」みたいな。

ホラーアクション映画『バイオハザードII アポカリプス』(主演:ミラ・ジョヴォヴィッチ)にも、「アポカリプス」の言葉があるけれど、この「アポカリプス」。キリスト教用語で「黙示」という意味がある。フランシス・フォード・コッポラ監督による戦争映画『地獄の黙示録』の原題は『Apocalypse Now』。現代風直訳は「黙示なう」。

wikipedia先生によると、「黙示」とは「初期のユダヤ教およびキリスト教において、神が選ばれた預言者に与えたとする『秘密の暴露』、またそれを記録したもの」だ。そして「黙示を記録した書を黙示文学(もくしぶんがく)という。黙示文学はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の伝統において極めて重要」とされている。

「黙示」でキリスト教徒が真っ先に思い浮かべるのが、新約聖書最後に配置された『ヨハネの黙示録』だ。意味不明過ぎて極めて宗教的な内容。ルカの福音書などより、キリスト教を宗教たらしめる書物と僕は思っている。例えば「サタンは底知れぬ所に封印されるが、その後しばらく自由の身となる 」(20:1-3)といった具合。

『ヨハネの黙示録』、実はこの著者が誰だかははっきりしていない。ヨハネさんが書いたかどうかも怪しい。あくまで文中で著者が「ヨハネ」を名乗っているに過ぎないからだが、聖書研究家の中では、「筆者は使徒ヨハネではないか」ってことになっている。イエス12弟子の一人で、ヤコブお兄ちゃんと一緒に漁師から弟子になった人物だ。

この使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』の中で、終末において何が起こるかを記した。あるいは世界の終わりについて見た幻を語る。7人の天使がラッパを吹く話も記述する。第一のラッパにより、地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼けるという。はっきり言うと、ぶっ飛んでいる。

僕はそんな『ヨハネの黙示録』にこそ、キリスト教の核心を見つけている。というわけで、僕の新たな思索テーマに、『ヨハネの黙示録』が加わりましたー、パチパチパチパチ。こんな風にして僕の哲学テーマ、情報整理シリーズが増えていき、結局何も「終末」を迎えられない気がしております。

「終末についての考察に終末はあるのか」あるいは「終末に辿り着けるのか」。こうしてこの“なんちゃって哲学”なブログは、ある種『リトモの黙示録』と化すのであーる。パチパチパチパチ。

◇つづく


2012年7月13日金曜日

「世界陰謀論」考・序


映画やドラマには脚本がある。出演者の涙や笑いは演技だし、“野外”と思える舞台は実はスタジオだったりする。CG合成もある。それら演出や裏側を知っていてなお、僕らは映画やドラマを観て一喜一憂する。

「どーせフィクションだし(笑)」とはならない。なる場合もあるけれど、僕らはあえて、その「フィクション」を楽しむ。楽しめる能力がある、と言った方が良いかも知れない。そこには「フィクション」か「ノンフィクション」かは、あまり関係ない。

僕が大好きな「陰謀論」も、そんなレベルで好み、受け入れ、理解する。「その陰謀が本当だったら、この世界まじスゲー」とか、「やっぱロスチャイルド家が絡んでるのね!さすがー」とか。「なるほど、フリーメイソンが歴史を動かしてた、とするともろもろ納得できるぜ」とか。

「陰謀論」を支持したい気持ちになるのは、なんかゾクゾクしてくるのからでもある。「この世界は、実は○○が支配している」とか。そしてもしそれが真実だとしても、下層階級の庶民には知られることはない。この“知られない仕組み”も、支配者は用意していて、反乱が起きないようになっている。

“知られない仕組み”、つまり“秘密にされていること”。ベールに覆われ、特権階層にしか、特定集団にしか知られない真実。あるいは「極秘」「非公開」。ちょっとスパイの世界にも通じ、だからこそより暴きたくなるし、知りたくなる。情報として。

「この世界は、実は○○が支配している」という説。中にはバカバカしい陰謀論もたくさんある。宇宙人支配者論だとか。けれども「この世界は、実は○○が支配している」の○○が、何かの宗教、神様だったら、また別の話になるのだろうか。

たとえば実はこの世界は、宇宙を含め、ヤハウェが支配している。人間は大仏様の手の内からは逃れられない。とか。これをバカバカしいと捉えるか、信仰の問題に発展させるのかは人それぞれだと思う。だけど、そう、僕にとっては宗教も、ある種の「陰謀論」の枠として認識しているのかも知れない。そう思う。

まあとにかく僕は、これからじっくり回を重ね、数々の「陰謀論」を考察していきたいと思っている。「お前はホント暇人やね」と言われそうだが、「うん、そうなんよ」ということなのだ。少なくとも「陰謀論」を考察するくらいの時間はある。それを出力する能力は不足してはいるけれど。

ちなみに、有名な陰謀論のごく一部を挙げていくと、「ユダヤ陰謀論」「 新世界秩序陰謀論」「財閥陰謀論」がある。ある「陰謀一覧表」には、「創価学会および在日朝鮮韓国人にまつわる陰謀説」や「世界統一政府陰謀説」、「アポロ計画陰謀論」とか。

「地震兵器」や「気象兵器」といった眉唾ものもある。いや、眉唾ものこそ、この陰謀論界において価値が高い。「遺伝子組み合わせ陰謀説」や「世界大恐慌陰謀説」、「天皇すり替え説」「ナチス陰謀論」などなど。

もし僕が何かをこのどーしよーもないブログで暴いたとする。すると僕はある組織に命を狙われることになるかも知れない。だからこれは非常に危険な考察になる。なんてことを考えていくわけで、もはや「陰謀論」がまずいのか、「考察する脳ミソ」がまずいのか分からなくなる。

これもドラマや映画と同じ楽しみ方。妄想力。なんてことを書いているこのブログも、何かの組織の宣伝活動、捏造活動かも知れない。うん。そうすると僕は、何らかの組織のエージェントなり会員なり信者ということになる。真実は全て隠されている。

◇おしまい


2012年7月12日木曜日

「コルビュジエ」考


近代建築を語る上で外せないのが、「近代建築の五原則」というもの。僕が好きな建築家、ル・コルビュジエ(1887- 1965)が提唱したもので、「新しい建築の5つの要点」が正確な訳語らしい。

で、何が近代建築の要点かというと、(1)ピロティ、(2)屋上庭園、(3)自由な平面、(4)水平連続窓、(5)自由な立面。1931年にパリ郊外で建てられた、「Villa Savoye」あるいは「サヴォア邸」が、その原則を存分に取り入れた、最高傑作とされている。

緑の芝生の中に設けられた、四角い空間。そこに建つ白い建造物。2階部が浮いて見え、屋上庭園はプライバシー保護の観点から外からは隠された設計。構造は鉄筋コンクリート造。「サヴォア邸」は今となっては、“よくある近代建築”に見えるが、その当時の斬新・衝撃度は半端なかった。

もちろん、今でもその“新しさ”は際立っている。実際、「サヴォア邸」のような建築物をしょっちゅう見るかと言うと、そんなでもない。つまり主流でない。僕は思うのだけれど、やはり“建築の美”、その一部は、主流でないところに根源がある気がしている。

その観点で言えば、日本の街や農村に建つ西洋建築、洋館が観光スポットになりがちなように、ヨーロッパの街に日本式建築があれば、現地の人々からは観光に値する、「何だか美的建築かも!」と思うことになる…ならないかもだが。まあ個人的に「美には希少性も関わっている」と思っているのです。

話は飛んでしまったけれど、「サヴォア邸」は、「新しい建築の5つの要点」を“発見”した張本人、ル・コルビュジエの設計。彼は1887年生まれだから、彼が40代半ばにデザインしたもの。そしてフランス語で「杭」を意味する「ピロティ構造」をしっかり取り入れている。

話はまた飛んでしまうが、僕はかつて法政大学の市ケ谷キャンパスに通っていた時代がある。この大学のメイン校舎中央には、どーんと「ピロティ」があった。そのピロティ下で、酒好きな学生たちで、宴会して遊んでいた記憶がある。けっこうやっていた。今思えば、そうした“ピロティ下の思い出”は、ル・コルビュジエがいたからあるようなものだ。過言でなしに。

そこで僕とル・コルビュジエはつながってくる。僕らは生きる時代も住む国も異なるが、交差してくる。絡んでくる。ピロティ下の思い出、その一点においてのみかも知れないけれど。うん、ル・コルビュジエは僕の人生、記憶、行動に、間違いなく影響を与えた。全くもって大した影響とは言えないのだけれど、過言でなしに。

そんなル・コルビュジエ。すごく簡単にこの偉大な建築家の情報を整理すると、「近代建築の三大巨匠」とされ、フランスで主に活躍、“モダニズム建築”を設計。鉄筋コンクリート造や鉄骨造という新技術を背景に、「近代建築の五原則」を唱え、機能的・合理的で、地域性や民族性を超えた普遍的なデザインを追求した。

いろいろ作品を残したが、今回は「サヴォア邸」のみに触れておこう。なぜなら、もうパソコンの電源を切る時間になってしまったから。「現代残業の五原則」を、いつか僕は提唱することになりそうだが、その一つには、「強制終了があり得る」を入れておきたい。例えば、こんな風に。全て中途半端に。

ぷちっ。


◇おしまい

「西周」考。

「にしあまね」と読む西周(1829ー1897)。「哲学」という日本語を作ったことで知られている。「philosophy」を「愛知」とか「愛智」とかでなく、「哲学」と訳したセンス、僕はけっこう好きだ。「哲」には、「道理に明るい」とか「知恵」とかの意味がある。

西が翻訳・造語した言葉は他にもある。「科学」や「理性」、「芸術」や「技術」も、西が生み出した。これらの言葉は、その後日本人に定着したわけだけど、逆に言えば彼がこれらの言葉を考案する以前は、「科学」とか「芸術」といった概念は、日本人は持っていなかったことになる。

現代の日本人からしてみれば、例えば奈良時代や江戸時代に、「これって科学的な発想だったよね」とか、「この人はホント、芸術に燃えてたんだね」とか、言うことができる。けれど当時の日本人はそういう言葉、世界観では捉えていなかった。言葉が違う、ちょっと違う世界を持つニッポン。

「言葉・ことば」については、僕は割と研究してきた方で、記号論的に、言語学的に、脳科学的に、いろいろ考察・整理していきたいと思う。思うのだけれど、今回は西周について。幕末の家臣であり、明治期には貴族院議員となった啓蒙思想家について。

西は現在の島根県生まれ。当時は石見国。医師の家系で、親戚に“明治期の医師&文豪”最高峰の森鴎外がいる。知的環境にあったせいか、勉強好きだったようだ。漢学や蘭学を学び、西洋知識を貪欲に吸収し、33歳くらいのときに3年ほどオランダ留学もした。

オランダでは、法学や哲学、経済学をガクモンした。で、1865年に帰国。明治維新の3年前。帰国した西は、徳川慶喜の側近となった。江戸幕府が終わり、明治政府ができてからは文部省などで官僚となる。特に軍関連の整備を頑張った。

明治期の活躍として知られているのが「明六社」の結成だ。日本最初の近代的啓蒙学術団体。初代会長は、初代文部大臣で“明治の六大教育家”、森有礼。「もりありのり」と読みます。西はこの「明六社」を、福澤諭吉や加藤弘之、中村正直、箕作麟祥といったメンバーたちと創設した。

明六社の会員は実に錚々たる面子が揃う。ご存知、福澤諭吉は慶応義塾の創設者。加藤弘之は事実上、東京大学の初代学長。中村正直は“六大教育家”のひとりで、かつて「三大義塾」と称された私塾・同人社創設者。箕作麟祥は「みつくりりんしょう」と読み、法政大学初代校長。などなど。

1873年に設立した「明六社」で何をしたかというと、その翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。西は本格的に「啓蒙家」として、西洋哲学の翻訳や紹介をした。つまり明治期の日本人における哲学の基礎づくりに尽力した。

西はその後、明六社に代わるアカデミー団体、東京学士会院(現在の日本学士院)で、第2代、第4代の会長となる。獨逸学協会学校(現在の独協大学)の初代校長もやった。貴族院議員もやった。けっこういろいろなことをやり尽くした感がある1897年、西は68歳でこの世を去り、現在は青山霊園に眠る。

僕が西について関心を持ってしまうのは、以上の経歴・功績だけでなく、彼が「確認が取れる日本人最初のフリーメーソン」とされていること。西周、フリーメーソン説。国際的秘密結社の日本支部メンバーが、日本の哲学の基礎を築いた。その隠された秘密結社のDNAが…という、ちょっとアレな話に急展開。道理で僕がフリーメーソンに関心があるわけだ。

◇おしまい

2012年7月9日月曜日

「ヒッグス粒子 発見」考(後編)

韓国のアイドルグループでない方の「ビッグバン」。あくまでも仮説なのだけれど、137億年前に「ビッグバン (Big Bang)」が起き、宇宙が始まった。宇宙が始まり、銀河系ができ、太陽系が構成され、地球が生まれた。その延長上に、人類誕生や戦争の歴史、AKB48の流行がある。

「ビッグバン理論」の歴史はそんなに長くない。1927年、ベルギーの天文学者でジョルジュ・ルメートルが提唱。その裏付けとなったのが、1929年に米国人天文学者のエドウィン・ハッブルがその観測で発見した「ハッブルの法則」だった。

現在「ハッブル宇宙望遠鏡」にも名を残すハッブルは、「銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっていること」、「その速度は地球から各銀河までの距離に比例していること」を発見した。ちなみに彼はマルチ人間だった。スポーツ万能、シカゴで物理学、オックスフォードで法学を学び、米国で法律家や高校教員、バスケットボールのコーチもした。軍隊入隊歴もあり、少佐にもなった。

ビッグバンの直後、大量の「素粒子」が発生。「素粒子」は、物質を構成する最小の単位のこと。つまり「物質を細分化していくと、最後にたどりつく究極の粒子」になる。最小単位は「原子」では、ない。僕たちに一番身近な素粒子は「電子」や「光子」になる。

身近でない素粒子には、「ニュートリノ」や「ラムダ粒子」、「シグマ粒子」などがある。約200種類以上が確認されている。最近よく聞く「ニュートリノ」は核反応を起こしたときによく発生する素粒子。質量が非常に小さいため、透過性が非常に高い。つまり人体でも金庫でも通過しちゃう。

素粒子が発生した当初は質量はなく、自由に飛び回っていたようだ。当初と言っても、ほぼ瞬間だけど。これが時間とともに冷却され、質量がある素粒子が登場。この「素粒子に質量を与えた」のが「ヒッグス粒子」。この粒子は、自由に動き回っていた素粒子、質量のない粒子を、動きにくいものにする。この動きにくさが質量になった。

この「動きにくさ」が、「質量」が、宇宙をつくった。宇宙をつくった物質、「ヒッグス粒子」。またの名を「神の粒子」。ノーベル物理学者のレオン・レーダーマンの著書のタイトルに由来する。レーダーマンは最初、この粒子を「いまいましい粒子」「くそったれな粒子」として紹介しようとしてたみたいだけれど。

で、「ヒッグス粒子発見」については、その可能性は99・99993%。これがパチンコの確率変動突入確率だったら、えらいこっちゃな数字だ。1回大当たりで5000円になるとして、すんごく運悪い場合で低く見積もって、10万回連続大当たりとすると、1回当たれば5億円以上がほぼ確定。

「ヒッグス粒子」かどうかは、早ければ年内に結論が出る。そのために現在スイスの「欧州合同原子核研究所」(CERN)で実験を続けていく。この「ヨーロッパ素粒子物理学研究所」とか、いろいろ呼ばれるCERN自慢の実験装置は、なんと全周27kmのもの。ほぼJR山手線くらい。地下にあり、国境を横断して設置されている。総建設費は約5000億円とも。

で、まとめにかかります。素粒子に質量を与える理由を説明する「ヒッグス場理論」。この最終結論を求めて、世界の叡知が今、スイスに集結中。ただ、この理論もあくまでも仮説だ。「素粒子にヒッグス粒子が質量を与える」という仮説。エディンバラ大学名誉教授のピーター・ウェア・ヒッグスが、1964年に唱えた。

では「質量の起源」を知ると、どうなるのか。それはいまいち分からない、僕には。けれど少なくとも、分かっていた方がいい、質量について。きっと僕の「思考」も質量がある。生化学的に。つまり「哲学する」とは「質量変動」かも知れないのだ。意味不明的に言えば。

この「質量変動」をより活発にさせるために、僕は「ヒッグス粒子」に、今後注目していきたい。その意識が「質量保持」されている限りにおいては。

◇おしまい

「ヒッグス粒子 発見」考(前編)



「ヒッグス粒子 発見」と、新聞などで大々的に報道された「ヒッグス粒子」。文系人間が集う新聞社やテレビ局は、その凄さを何となく伝えられてはいたものの、きっと記者やキャスター自身が“何となく”しかその凄さを感じられていないと思われる。

だから、とりあえず「これは歴史的快挙」「世界が変わる第一歩」みたいなことを言っている科学者や有識者らの声を流し、適当に、それなりにインパクトが大きい風にする。たとえば、『ホーキング博士は発見について「重要な結果だ」と話し、提唱者のピーター・ヒッグス英エディンバラ大名誉教授(83)を「ノーベル賞に値する」と称賛した』とか。

ニュースメーカーの宿命としてあるのが、その事実が理解不能だとしても「とりあえず」、重要っぽいもの重要っぽく速報しておく、ということ。原発問題もそうだ。軽々しく「原発は……」と話すことは難しいくらい、込み入った原子物理学、核構造物理学などの数式や仕組みがある。科学の世界だから、何にせよ「100%とは言い切れない」と反対・賛成意見を表明したりすることは、誰もが可能だけれど。

なんて、そんなことを言っていては、科学世界における「世紀の発見」はいつまで経っても報道できなくなってしまう。というわけで、米国CNNでは、『欧州合同原子核研究機関(CERN)は4日、質量の源の解明につながるといわれている「ヒッグス粒子」と性質が一致する新しい粒子を発見したと発表した』と報道。

続けて、『「自然を理解する上で画期的な節目にたどり着いた」と、CERNのロルフ・ホイヤー所長は述べた。CERNは世界最大級の粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使い、ヒッグス粒子の探索にあたってきた』。うんぬん。とにかく一般人は「ヒッグス」を知らないから、前置きが長い。僕のこの文章も同様だけど。

ちなみに、今回の発表は暫定的なもの。さらなる検証が必要で、CERNは声明で「今回の観測結果の全体像は今年後半に明らかになるだろう」としている。つまり、現段階では確定してないけれど、“ほぼ確定だから、今回の発見を喜んでいいみたいだから、喜びましょう”、ということ。そんなニュースだ。

SankeiBizでは、こんな風にまとめられている。『ヒッグス粒子とみられる新粒子の発見は、素粒子物理学の新たな時代の幕開けを告げる画期的な成果だ。「最後の粒子」の存在が確定すれば近代物理学の金字塔である「標準理論」が完成し、物質に対する理解の正しさが証明されることになる。物理学の偉大な勝利が目前に迫った』。

『物質の究極の姿と基本法則を探る素粒子物理学は20世紀初頭以降、アインシュタインの相対性理論とハイゼンベルクらの量子力学を土台に発展してきた。日本も湯川秀樹、朝永振一郎、小林誠、益川敏英の各氏らが大きく貢献し、世界で20人以上がノーベル賞を受賞。1970年代に確立された現在の標準理論は、多くの実験で正しさが厳密に証明されており、人類の英知の結晶といえる』。

この記事の前置きはもうちょい続きそう。『素粒子は物質をつくる12種類と、物質に力を伝える5種類の計17種類がすでに確認済みだ。しかし、標準理論の重要な骨格となるヒッグス粒子だけが見つからず、半世紀近くにわたり大きな課題になっていた』。ふむふむ。そもそも素粒子って何だろう、ということは先にも触れない。

『標準理論が完成しても、それは素粒子物理学の「第一章」の完結にすぎない。宇宙を構成する物質のうち、標準理論で説明できるのは全体の4%だけで、残りの96%は正体不明の暗黒物質や暗黒エネルギーが占めているからだ。ヒッグス粒子の性質を詳しく調べれば、暗黒物質の有力候補とされる未知の素粒子の手掛かりが得られる可能性があり、素粒子研究は標準理論の枠組みを超える世界へ一歩を踏み出すことになる』。

『また、宇宙初期の急膨張がビッグバンの引き金になったとするインフレーション理論でも、ヒッグス粒子は重要なカギを握る。粒子の「発見」は物質や時空の本質に迫る新たな物理学を切り開いていくだろう』。SankeiBiz引用おしまい。なるほど。やはり「もしかしたらこの記者も結局、ヒッグス粒子についえあまり深く分かってないんじゃないか」という感じだ。

これでは「さっぱりヒッグス粒子発見の重要性が分からない!」という僕の悶々は消えない。「素粒子」とは何だろう。「標準理論」て何だろう。ヒッグス粒子を知ることで、なぜ「暗黒物質の有力候補とされる未知の素粒子の手掛かりが得られる」のだろう。てか「暗黒物質」とは何だろう。などなど。

というわけで、最後に日経新聞の記事を、まとめて無断で転載してみる。そして今後、ゆっくり、じっくり「素粒子」や「ヒッグス粒子」について、料理していこうと思う。教養程度に。ちなみに「CERN」は、『ダ・ヴィンチコード』の前作、『天使と悪魔』に出てきますね、テロに使える物質をここで生み出す設定で。

『欧州合同原子核研究機関(CERN)は4日、物の質量(重さ)の起源とされる「ヒッグス粒子」とみられる新しい粒子を発見したと発表した。2つの国際チームによる大型加速器を使った探索実験で、新粒子が99.9999%以上の確率で存在するとの結果を得た。年内にもヒッグス粒子と最終的に確認される公算が大きく、成功すればノーベル賞級の発見となる』。

 『CERNのホイヤー所長は同日、「ヒッグス粒子と(特徴が)合致する新粒子の発見に成功した」と述べた。新粒子がヒッグス粒子と確認されれば、宇宙の成り立ちの解明が大きく前進する。実験したのは、東京大学など日本の16の大学・研究機関も参加する「アトラス」と、欧米の「CMS」の2チーム』。

『CERNによると、今年6月までの実験で、両チームともヒッグス粒子とみられる新粒子が存在する確率が99.9999%以上になった。昨年末の段階ではアトラスは約98.9%、CMSは約97%の確率で、「発見の可能性が高まった」としていた。99.9999%という確率は物理学の世界での「発見」に相当するが、新粒子が予言されているヒッグス粒子とどこまで一致しているかを確認するため、今年いっぱいの実験で詰める』。

『新粒子の重さは陽子の120倍と、これまで発見された素粒子(物質の最小単位)の中では比較的重かった。宇宙の始まりである137億年前の「ビッグバン(大爆発)」で生まれた素粒子は、最初は質量を持たず光速で自由に飛び回っていた。ビッグバンの100億分の1秒後にヒッグス粒子が生まれて宇宙を満たしたため、素粒子は動きにくくなり、質量が備わったとされる』。

『実験では一周27キロメートルの円形加速器で陽子同士を光速近くで衝突させ、ビッグバンを再現。ヒッグス粒子は瞬く間にほかの粒子に変化してしまうため、飛び散った粒子の中からヒッグス粒子の痕跡を集め、存在する確率を割り出していた』。うん。脳ミソ弱めの僕には、日経記事でもさっぱりです。

◇つづく


2012年6月15日金曜日

【気象考(3)】「太陽定数」編

「太陽定数」。気象学を勉強しようとしなければ、僕はきっと知らずに生きていたキーワードだ。にわか理解しがたい数式にも言い換えられる、そんな「太陽定数」について、今日はメモってみたい。

まずはその定数を知る前に「太陽」本体について、軽い復習から。太陽の直径は約140万kmで、地球の約110倍。この時点でピンと来なくなり始めるが、質量は地球の約33万倍。この超重い質量ゆえ、太陽系の全質量の99.86%を占めている。

やはり太陽系の質量ほとんど全ては、太陽が占めている。その全質量の一部に僕を含めても、ほぼ太陽。これは「太陽系」においては、僕を含めた全質量は、ほぼ太陽なので、僕はほぼ太陽となる。ついこう飛躍する。

地球から太陽までの平均距離は、約1億5000万km。光速で8.3分の距離。この超長距離を、熱や光ははるばる飛んで、日本やアフリカに降り注いでいる。お疲れさまです。天文学では「1天文単位(AU)」とゆーのがあるようで、この約1億5000万kmが「1AU」。

もうちょい補足すると、太陽のエネルギー源は核融合反応。誕生以来ずーっと爆発し続けているのは、思ってみれば凄過ぎる。その中心部は約1500万度、表面は約6000度。それだけ熱いお陰さまで、僕らは夏を楽しめる。

そんな太陽の定数、「太陽定数」とは何だろう。「太陽定数」を簡単に言うと、「地球大気表面の単位面積に、垂直に入射する太陽のエネルギー量のこと」。すなわち「約1366W/m2」に上る。あるいは「1.37×103[Wm-2]」。よく分からない。

「デジタル大辞泉」では、「地球が太陽からの平均距離にあるときに受ける放射エネルギーの量」。ふむふむ。「値は毎分1平方センチメートルあたり約1.96カロリーで、地上では大気に吸収されて約半分となる」と解説している。

「建築・土木用語辞典」の解説はもっと分かりやすい。「大気圏外における太陽の日射の強さを表す定数」。なるほど、建築・土木の学問には、「太陽定数」も含まれているのか、とその深さに畏敬の念。

まあ要するに、地上へ照射する太陽エネルギーでなくて、地球の大気圏外での話。太陽の真正面を向いた1平方メートルの面積が、1秒間に太陽から受け取るエネルギー。かつては地表で「太陽定数」が測定されていたが、今は人工衛星で測定されている、みたい。

最近では、太陽定数が太陽活動の周期と一緒に変動することが判明している。まあそれは当然だと思うけれど、変動したところでも、一応“定数”で問題ないようだ。少なくとも僕の生活にはそれで全く支障はない。そりゃそうだ。

気象現象はつまるところ、大気中の様々な物理現象の相互作用だ。その“様々”の一つに、太陽の変動がある。太陽活動の変化によって、太陽光、太陽放射の量が変わる。太陽放射量(現在約1366W/m2=太陽定数)が変わると気象も変わる。

そういう文脈に、「太陽定数」がある。そしてこの定数は、過去数十年間で0.1%の範囲内で周期的に変化している。いずれ大変動もあるかも知れない。そうなると「世界が終わる」。「全てが消える」し、「存在と永遠の意味が揺らぐ」。

なんだか途端に哲学的になってくる。それが「太陽定数」。人工的な測定値。世界の終わりのスカウター。

◇おしまい

2012年6月8日金曜日

東京「マサイ族」考。

なぜ今、ここで「マサイ族」に関心を持つのかは、さて置く。ただ、ふと僕らは、あの「マサイ族」から学ぶべきことがあるのではないか、と思ったのだ。あくまでも“ふと”だけれど。

たとえ「マサイ族」が、現地ではしたたかに、観光客向けに衣装を着て、嫌々ジャンプし続けていたとしても。あるいは割りとスマホを駆使していたとしてもだ。僕らは時々、ケニアのマサイ族について思い起こす瞬間が、年に一回はあっていい。

僕にとってのその第一回目が、今日になる。晴れた東京の午後3時過ぎ、優しい風を受けながら僕は、遥か遠くの地、ケニアの戦士について思いを馳せる。そして温くなったアイスコーヒーを喉に通す。

東アフリカのケニア。人口約4000万人で、「キユク族」など部族は多数あり、「マサイ族」は“少数民族”になる。ただ、以前は民族間の境界はなかった。つまり同族だったのが、ケニアを植民地としていた英国人に便宜的に区分され、「マサイ族」が造られた。

ちなみにケニアが英国の保護領となったのは1902年。その前からはドイツからも侵入を受けていた。その前にはアラブ人が侵入。その前の15世紀末は、ヴァスコ・ダ・ガマの来航をきっかけに、ポルトガル人にも侵入されてきた。

15世紀初頭には、中国・明の鄭和の艦隊の一部が、ケニアに到達している。などを考え、さらに「スワヒリ文明」などを考えると、ケニアは実に昔から、グローバル化の波にさらされていたと言える。そして“グローバル化”促進を象徴するアメリカの、現大統領のオバマさんは、このケニアの血を引いている。つまり今度はケニアが出発地点となった。

以上のような分かったようで分かりにくい背景を持つケニアに、「マサイ族」はいる。ケニア南部から、タンザニア北部一帯の先住民族で、「マサイ」とは「マー語を話す人」の意味があるという。推定人口20ー30万人。

遊牧民だったマサイ族は、「非常に勇敢でプライドが高く、草原の貴族と呼ばれる」と、wikipedia先生は教えてくれる。そんな彼らが信仰するのは、アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ山頂上に座する「エン=カイ」という神という。

伝統的住居は、牛糞と泥をこねて作った掘っ立て小屋。集落「ボマ」は、この住居を円状に配置し、外側を木の柵で囲うのスタイルが伝統的。日暮れ時には、放牧する牛などの家畜を、猛獣などから守るために集落内に連れ戻す。

「牛」は通貨ともなり、牛を持たない男は、一生結婚はできない。逆に牛持ちはモテる。一夫多妻も可能だ。また男には「戦いのみが男の仕事」という伝統的価値観がある。だから武器以外の道具を持ち運ぶことすら恥とする。

だからマサイの男は、本来は猛獣退治や牛の放牧以外の労働はしない。他の仕事は女の仕事だ。けれど男は、守るべきときに守るべきものを命を懸けて戦った。時に実際、命を落とした。

伝統的な主食は牛乳と牛の生血。政治的には村ごとにいる長老が物事を決定する原始的な長老制。マサイ族の男は、生涯に一度は戦士階級「モラン」になる。伝統的な色は赤。男には、大人になる通過儀式として割礼がある。女も、性器に切り痕を入れる。「マサイ族」はそういう部族だった。

しかし列強による植民政策のあおりを受け、マサイ族の土地は、強制的に奪われてきた歴史がある。そして現在は、遊牧エリアとしていた多くは「動物保護区」や「国立公園」などに指定。以前のように遊牧生活は“違法行為”となってしまった。

さらには現在、ケニア・タンザニアの両政府により「定住化政策」が進行中。それゆえかつての伝統的生活スタイルは、着実に時とともに破壊されてきた。そんなわけで、「戦士」たちは農耕や観光ガイドなどをしなければ、生きて行けなくなっているのが現状だ。

「マサイ族」の観光ビジネス傘下化は、こうした事情がある。だから「観光客が来たら急いで服を着替え、槍を持つマサイ族」は、決して笑えない悲劇、哀しい物語なのだ。よく日本のテレビでは茶化しているけれど。

僕らはいろんな意味を受け取ることができる、マサイ族から、いろんな意味を読み取ったりする。歴史から、文化から。受け取り方はそれぞれあっていい。植民地政策や経済的な問題とかも含めて。けれど遠く離れたマサイ族も、僕と同じ現在を生きるホモ・サピエンス。知恵と勇気を武器にする。

果たして僕は、男として世界に通用するのだろうか。そんなことも考える。果たして僕は、人類規模の視点で世の中を考察できているのだろうか。そんなことも考える。僕は「戦士」として生きているだろうか、「戦士」として生きていきたい、そんなことも考える。

なぜ今、ここで「マサイ族」に関心を持つのかは、さて置く。ただ、ふと僕らは、あの「マサイ族」から学ぶべきことがあるのではないか、と思ったのだ。あくまでも“ふと”だけれど。


◇おしまい




「分析哲学」考。



「つまり、これはこういう理論だ!」と、一括りにはできないらしい「分析哲学」。どうとでも取れる思考法、世界把握とも言え、強引に「分析哲学」という言葉に押し込めた感が漂ってもいる。だからドラゴンボール的にたとえると、炊飯器に強敵を封じ込める必殺技「魔封波」的な。

そんな「分析哲学」について、ちょっくら整理してみる。なぜ整理してみているかは、うまく説明できないけれど、一度は脳ミソ内で「分析哲学」的知識をクルクル循環させておいた方が良いと思ったからだ。教養として、または新たな発見として。

まあ僕による僕のための“まとめ”である以上、大それた「分析哲学」考になるわけもなく、そこら辺にある素材をメモしてみる、という程度になる。というやや長めの前置きになりました。前置きの割にはとても短めの、僕的「分析哲学」整理。

まずは朝日新聞出版の「知恵蔵」による解説を、適当に端折ってみる。と、「分析哲学」は、「主に英米圏で広まり、現象学、実存の哲学、構造主義と並び、20世紀の大きな哲学潮流の1つ」。ふむふむ。

分析哲学は、「認識主観や個人の生、文化や社会のあり方よりも、思考の営みの根幹である人間の言語そのものに注目する」。なるほどなるほど。そしてその展開は、「ケンブリッジで20世紀初頭に現れたラッセルらの哲学から始まる」という。

英国貴族のバートランド・ラッセル(1872ー1970)は、1950年にノーベル文学賞受賞した論理学者。核技術・科学技術の平和宣言「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955)でも有名ですね。

そのラッセルは、“人生の意味は?”、“我々はどう生きるべきか?”といった「大陸の哲学、特にヘーゲル哲学をあいまいで非合理な哲学とみなした」。そして彼は、「言語からあいまいさを取り除き、数学的な記号の体系として厳密に整理すれば、哲学から非合理な思考は一掃されると考えた」。

ここまでで、だいぶ「知恵蔵」から文章を流用。けれど僕は、“分析哲学”的に、臆することなくそのまま流用し続けちゃうのです。あるいは手抜き的な。

合理的な思考を指向する「この発想は、ウィーンを中心に生まれた『論理実証主義』の運動に受け継がれ」た。この“論理実証主義者”の代表格として知られるのが、ドイツ人哲学者のルドルフ・カルナップ(1891-1970)。彼は40代半ばで渡米、後に米国に帰化をした。

そんな「カルナップらは、数学や論理学のような形式的に真偽が明確な命題と経験」が、思考時の基準・前提条件であるべきとした。数学や論理学を基礎とした方法論、つまり「その真偽が検証されるような命題との2種類の命題のみを有意味とした」。数学的、物理的、論理的に実証できない命題は、無意味とした。

知恵蔵での解説者は、「これは哲学の言語を科学の言語に切り詰める極端な見解でもあり、多くの批判を受けた」ことにも言及する。そしてその“極端な見解”はその後、「科学以外の言語表現、日常言語の重要性も指摘されるようになり、オースティンは数学や科学の言語以外の様々な言語行為が有意味であることを明らかにする『言語行為』論を打ち立てた」。という。流用終わり。

ここで登場するオースティンは、おバカ映画『オースティン・パワーズ』の主人公・オースティンではもちろんない。オックスフォード大学の教授を務めた英国人、ジョン・L・オースティン(1911ー1960)。オースティンは、「日常言語学派」の哲学者としても知られている。

また“話が飛ぶ系”だが、この「日常言語学派」という聞き慣れない学派は、「オックスフォード学派」とも呼ばれたりもするようだ。哲学とは思考すること、思考するとはコトバを組み立てること。コトバがほぼ全てとも言える。それゆえ「日常言語学派」は、哲学的諸課題の解決を、日常コトバの分析で図る“一派”とも言える。

分かったようで分からない印象を与える哲学。これが「日常言語学派」。言語、コトバが全てに先立つ。言語の理解なくして、哲学的思考はあり得ない。言語哲学とも言う。これを「分析哲学」と言う。僕のコトバの組み立て方、構造や使用法が、「分かったようで分からない印象」を強くしている。

お腹が減ったので、もうそろそろ終わりにかかろう。今回のテーマは「分析哲学」についてでした。なのに外せない『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインはついに登場できず、終わりに入っている。とにかく「分析哲学の中心は言語!」。

ラッセルらを基礎とし、ウィトゲンシュタインやカルナップを端緒とする考え方。その基礎は、観念よりも言語最優先。けれどその主張は多種多様。分析哲学とはだいたいそんな感じな感じだ。分析哲学的命題としては、存在論や倫理学、美学のほか、心理学や数学的哲学など、哲学のほぼ全てと言えるほど多岐におよぶ。

これを読んでも、きっと「へぇ、あっそ。」となる。僕の言語能力の問題、あるいは集中力の問題で。

◇おしまい

知的「美学」研究(2)


『美学への招待』(中公新書)という新書がある。 東京大学名誉教授の美学者、佐々木 健一が、2004年に出した美学入門だ。Amazonでは、「藝術が、いま突きつけられている課題を…(中略)…美と感性について思索することの快楽へといざなう」とある。やや取っつきにくい文体の「内容紹介」だけれど、まさに僕が探りたい内容だ。

ここで言う「藝術が、いま突きつけられている課題」とは何だろう。ここでは、「二〇世紀後半以降、あらゆる文化や文明が激しく急速に変化」し、芸術の世界も例外なく変化したと指摘。例えば、複製がオリジナル以上の影響力を持ったりしていることが挙げられるという。コロッケと美川憲一のようなことだろうか。

加えて「作品享受も美術館で正対して行うことから逸脱することが当たり前になってきている」という。なるほど。ただ、「美術作品は美術館で鑑賞すること」とは、誰が決めたわけでもない。とも思う。一般市民に公開された最古の美術館「カピトリーノ美術館」は1471年開館だが、それ以前にも“美術鑑賞”はあっただろう。

なんてことを思いながら、『美学への招待』のカスタマーレビューも読んでみると、「美学って何ですか、みたいなところから、デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)やウォーホルの『デルモンテ・ボックス』(段ボール箱をそっくり再現したもの)がなぜ芸術といえるのか、など、一般人の持つ疑問にも答えてくれます」。

っていうことは、僕が「美学」について考察すべきことは、全て『美学への招待』の中にありそうだ。けれども問題は、僕はまだ同書を読んでいないことにある。読んでいないなりに、「美学」のまとめについて前進できないものなのか。いや、逆に現在読んでいないゆえの、“美学”未開拓者なりの美の考察ができるのではないだろうか。

有識者の考えにまみれる前の僕の考察その1。例えばレビューにあった「デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)」が「なぜ芸術といえるのか」。推敲しないで、瞬発的に答えるとしたら、僕の場合はこうだ。「“美”を享受するには、美を享受しようという努力が必要で、その努力如何で、森羅万象を美と解釈・把握できるから」。

これは宗教とも似ている。ある人はあらゆることに聖霊を感じ、喜びに満ちる。ある人は、奇跡的なことが起きても、そこから神や聖霊は感じない。解釈の有無・差異。要はモノやコトに対してどう捉えようとしているかの姿勢、あるいはコトやモノへの知識によってくる。人生経験にもよってくる。そこに神を見るか、見ないのか。

そこに美を見るのか、見ないのか。これは宗教的感性同様、その人の認識力、把握力、あるいは勘違いや誤解などが大きく左右する、と思っている。同時に、「これに神の存在を見なさい」と言われても唖然とするだけのように、美的感覚もまた、強要できないものとも思われる。できても限定的になるだろう。つまりは本人次第。

「これは美だ」と大勢が言えば、そのモノに内在する「美」、外部に添付する「美」が一般化されていく。それには文化や歴史が関係するだろう。あるいは逆に、一般化された合意された美は、文化や歴史を紡いでいく。その時代にいなければ見えてこない美もきっとある。その国にいなければ理解できない深みはきっとある。

ヒトに抱く美も同じだ。大正時代に美人と言われた「大正三美人」。現代に生きる僕の眼でも、情熱的歌人として知られた柳原白蓮は美人と思う。しかしながら、その他の一人は、僕はどうしても美人に見えてこない。申し訳ないけれど。逆に現在の美人を大正時代に連れていっても、「ありゃ化けもんだ」と評されてしまうこともありえる。

なんてこと、をツラツラと綴る。「デュシャンの『泉』(トイレをひっくり返したもの)」が「なぜ芸術といえるのか」。ちなみにこのデュシャンは、マルセル・デュシャン(1887 - 1968年)。フランス出身で、後に米国で活躍した美術家だ。ウィキペディアでは「20世紀美術に決定的な影響を残した」と紹介されている。

「デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる」。「ダダ」とは、ダダイスム、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のこと。既成の秩序や常識に対する、否定や攻撃、破壊といった思想が大きな特徴だ。背景には第一次世界大戦に対する抵抗などがある。

デュシャンは、大量生産された既製品を用いたオブジェ作品を多く創作した。この一連のシリーズを、彼は「レディメイド」と命名。英語で既製品のことだ。彼は芸術作品に既製品をそのまま用いることで、「芸術作品は手仕事によるもの」という固定観念を打ち破った。また「真作は一点限り」という概念をも否定した。との評がある。

知的「美学」研究の第2回。『美学への招待』から始まり、いつの間にか「デュシャンの『泉』」の話になりました。「件の『泉』を含むレディ・メイド作品の多くはオリジナルは紛失している」らしいです。現在目にすることのできるのは写真か複製のみ。現存しないけれども、美学を語る上では外せない作品、美を、デュシャンは生み出しましたとさ。



◇つづく





知的「美学」研究(1)

「男の美学」、「女の美学」。あるいは「遊びの美学」、「滅びの美学」……。僕らは「美学」という単語をよく使う。使いはするが、一体僕らは「美学」についてどれほど知っているのだろうか。そもそも「美」とは何だろう。ふと疑問に思う。

「僕らは美について、美学について、実はあまりよく理解、把握していないままに、その言葉を使っているのではないか」。その認識から、「美」と「美学」についての考察をスタートさせてみる。そもそも「美」とは何なのか。そんな「そもそも論」は、僕が考察、哲学する上での美学でもある。

おそらく「美」を捉えていく営みは、とんでもない脳的重労働になるかも知れない。そんな漠然とした不安がある。無事最後までタイピングし続けられるのか。ある程度「情報」としてまとめられるのか。僕が美について語ることは美しくないのではないか。

とてつもない「パンドラの箱」を開けることになるけれど、そんなことを言っても何も始まらないので、「私が思っている『美』とはこれです」というものを、いくつか手抜きして、適当にネット情報から抽出してみたい。正しいかどうかは別として。いや、「美的感覚」こそ人それぞれ、「これがそれです」と言えないものの代表なのかも知れないけれど。

「全ての美は我にあり」。「美とは個人の記憶であり、個人の記憶により生じている現象」。「美とはエネルギー」。「美は伝統や習慣、教育などの文化的背景や流行の影響を受ける」。「自分と子孫の繁栄に繋がるものは全て美しく見える」。

いずれも僕と同様、職業的「哲学者」でない方たちの意見。他にも「美とは、すなわち感情」。「美とは人間賛美」。「幸福感に溢れる気分にしてくれるもの」。「美とは、神の愛」などの投稿もある。「教えて!goo」の「美」をテーマにしたQ&Aには。

そして僕はそれら全てが正しいとも思う。間違っているとも思う。その判断基準には、多分僕の美的感覚、美的意識が介在している。「それを『美』としていいかどうかの美的感覚」的なものが。

「美はそこにあるのではなく、そこから受け取る感受性」。とは、今、脳から吐きでた僕のことば。「美は本人の知的・感覚レベル次第」。「美を美としない美もある」。「価値のない美はない」。つらつら言葉が生まれてきては、吐き出せる。

うーん。ここまできて、より一層悟る。「美学」考は、かなりの長編になるかもなーと。ちょっとわくわくする。そして僕の長文を避けたいという美的センスから、今日はこの辺でタイピングをストップしてみる。

◇つづく


2012年6月7日木曜日

【気象考(2)】「コリオリの力」編

前回の「雨と大気編」で、「コリオリの力」に触れた。触れただけだけれど、これが気象現象を考察する上ではとても重要。なのでもう少し、浅めに深く、整理してみる。

「コリオリの力」は、大気について言えば、地球の自転が関係する物理的法則、回転系の力学だ。よく衛星写真で見る台風の渦は、この力が作用して、どっち向きかが決まっている。また大気だけでなく、海流運動もまた、この力が作用している。

よく引き合いにされる例が、洗面所や風呂場の排水口。排水口に吸い込まれる水は、北半球だと右回り、南半球だと左回りの渦になる。これは、回転する円板の上で、その中心からボールをまっすぐ転がすと、ボールが曲がって外側に転がっているように見えるのと同じでもある。

goo辞書の解説が分かりやすい。「コリオリの力」とは、「回転体上を運動する物体に働く慣性の力」のこと。「回転軸と物体の速度の向きとの両方に垂直に働き、物体の速度の向きを変える。台風の進路が、地球の自転のために曲がるのはこれによる」。

ふむふむ。「1828年、フランスの物理学者G=G=コリオリが提唱。コリオリ力。転向力。偏向力」。コリオリさんが、この不思議な力学を見つけた。実に面白い法則。

もっと分かりやすく説明しているサイトもある。こんな具合。「直進運動している物体を、回転している座標系から見ると、まるで横から力を受けているかのように軌跡が曲がってみえる。この見かけの力をコリオリの力と呼ぶ」。

次の部分が肝心。「実際に力が加わっているわけではないので、『力』という言葉を使うと、理解を妨げるような気がする。英語では『Coriolis Effect』と呼ぶので、このような現象を指して『コリオリ効果』と言った方が適切だ」。

つまり、「コリオリ効果」によって、直線方向への力が、まるで横から力を受けているように見えるということ。宇宙から見ると、北半球では真北に向かってまっすぐに撃った大砲が、東向きに曲がって進むように見える。

ちなみに気象予報士試験、学科一般の出題範囲に「大気の力学」があり、そこで「コリオリの力」が出てくる。計算もある。「コリオリの力 =-2×重さ(質量) ×回転角速度×運動速度」。この式を眺めて思う。最終的に、なんでやねん!

◇おしまい

「金環食」最高!を再考。

世紀の天体ショー、金環食。それは宇宙の神秘。あるいは奇跡の瞬間。2012年5月21日(月)の朝の出来事でした。

その当日まで、あれだけ「金環食を直視したらダメ!」「最悪失明しちゃうよ!」と騒がれていたのに、その後30日に日本眼科学会が公表した報告によると、日食を見たことでの眼障害の症例が、全国で546報告されている。これは中間報告だから、実際にはもっと“やちゃってる人”はいると思う。

「ばかだなー」と、ちょっぴりそんな日本人にかわいさを感じ、笑ってしまうのはダメなのかも知れないけれど。 仮にその後遺症が「太陽系の壮大なプラン」に組み込まれた、“壮大なしょうがなさ”と認識できれば、もしかしたらそれは思い出の外国でタトゥーを彫るのと同じことのようにも思う。

さて、金環食。世界大百科事典によれば、「太陽本体(光球)の中央部の光を月が遮り,太陽の縁のみが金の環のように輝いて見える現象」のことだ。「地球上の観測地点から月と太陽の中心が一直線上に並ぶとき,月の見かけの大きさが太陽よりも大きければ皆既日食,小さければ金環食となる」。つまりは「太陽ー月ー地球」の大きさ、距離の絶妙な関係が、生み出す現象になる。

では「太陽と地球」「月と地球」の“絶妙な関係”とはどんなものか、メモしてみる。
・太陽:地球から約1億5000万km、直径約140万km(地球の約109倍)
・月:地球から約38万km、直径約3500km(地球の約4分の1)

ここから、こんな公式ができあがる。
・地球から太陽までの距離 : 地球から月までの距離 ≒ 400:1
・太陽の大きさ : 月の大きさ ≒ 400:1

ってことで、地球から見た太陽と月の大きさは、ほとんど同じになる。夜空に浮かぶ満月の大きさは、夕陽の大きさと同じに見える。

だから「太陽-月-地球」と一直線上に並べば日食が起こる。太陽と月の見かけの大きさが同じに見える地域では、太陽は月に隠され、皆既日食となる。また「太陽-地球-月」と一直線上に並べば、月食になる。

そんな“絶妙な関係”による天体ショーに、人は神を感じたりする。感じなかったりもする。けれどこの偶然は、極めて奇跡に近い、“あり得ない”バランスだと、僕は思う。実際、「日食」「月食」は、世界各地で神話を生んできた。

いつか太陽について、月について、のんびり考えてみたいと思う。恋愛問題など、物事を考えるときは、その対象物を見つめながらが一番のはずだけれど、唯一太陽だけは、見つめながらの考察は難しそう。でも今度やってみよう。宇宙の神秘を体に刻めるし。「太陽ー僕」一直線の“微妙な関係”も味わえそうだし。

◇おしまい


2012年6月6日水曜日

【気象考(1)】「雨と大気」編

本日・東京の天気は雨。職場から見えるスカイツリーは雲がかり、今日の展望は哀しい感じだ。

ちなみにYahoo!の天気予報ページ「全国概況」では、こんな風に書かれている。「きょうの北海道から関東はすっきりしない天気です。北海道や東北は日本海側を中心に雨や雷雨となるでしょう。」

ということで、いつからか僕は「気象予報士」資格取得を目指していることもあり、今日のテーマは「なぜ雨が降るのか」あるいは「雨天を深く楽しむための知識まとめ」。晴れの日も雨の日も、雪の日も台風の日も、全天候型を味わうための「気象シリーズ」を、中途半端に始めてみたい。そして中途半端に終わります。

どこから手をつければいいのか分からないので、まずは「大気」についての情報整理から。「大気」、これは地球の重力によって、地球自身を取り囲んでくれています。いつかこの「重力」についても研究していくとして、「大気」は惑星の重力によって、宇宙空間に拡散されず、地球上に留まってくれている。

大気、大気圏は、「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」の4つに区分。「対流圏」で気象現象が起き、「成層圏」にオゾン層がある。「中間圏」は高度50ー80kmにあり、「熱圏」は太陽からの電子エネルギー吸収により、高温となっている。

雨と関連するのは、海面から高度11kmまでの「対流圏」。地球大気の質量の約80%がこの層にある。対流圏の大気温度は、高さとともに変化し、100m高くなるにつれ、0.6度ずつ気温が下がる。だから富士山山頂は寒い。エベレスト山頂は死ぬほど寒い、と思う。

太陽熱などで地表付近の空気が暖まると、その空気の塊は上昇を始める。それは温かい空気塊は、その周辺の空気密度よりも小さくなるからだ。熱いと、密度が周囲より低いと、沸かしたてお風呂の湯みたくなる。周囲より熱い人が、めっちゃ浮いてるように見えるみたくなる。

そして上昇した空気塊は断熱膨張して気温が低下。上空で熱を放射して冷えたり、また含んでいた水蒸気が凝結することによって気温が下がる。冷えた空気塊は下降する。こうして「対流」が起きている。この過程で、雨が降る。

対流圏の気象現象は、対流圏下部と上部ではちと違う。下部では大気が地表と摩擦を起こすけれど、対流圏上部ではその摩擦がない。この違いから、対流圏は3つの層に分けられる。

海抜0mから100mまでの「接地境界層(接地層)」、海抜100mから1kmの「エクマン境界層(エクマン層)」、1kmから対流圏の一番上層11kmまでの「自由大気」がそれ。接地層では地面との摩擦の影響が大きいため、大気の運動、乱流が不規則で活発だ。

「エクマン層」では「コリオリの力」、「気圧傾度力」、「地面との摩擦力」の力がつり合って大気が運動している。ちなみに「コリオリの力」を難しく説明すると、「回転座標系上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種」だ。

「自由大気」では地面との摩擦の影響はなく、大気が自由に運動している。楽しそうに運動しているかどうかは知らないけれど、とにかく自由奔放だ。

自由大気の上層部、対流圏上部ではジェット気流が流れていて、成層圏との境界線「対流圏界面」と呼ばれる高度約11km付近で、風速はMAXになる。国際線のジャンボジェット機は、対流境界面を轟音とともに飛行する。僕はよく海外へ出かけていたから、人生のうち結構な時間、この「対流圏界面」でいびきをかいてきた。

とにかく地球には、こんな「大気」の物語がある。「大気」のシステムがある。観光客を残念にさせる「降雨」という気象現象は、その中のごくごく一部の現象になる。

宇宙があり、銀河系があり、太陽系があって、地球という惑星がある。その惑星の大気圏で、水分がくるくると循環。地球上では緑が生まれ、動物はそれを食む。人は激流下りやスキーを楽しみ、ときどき雨に濡れて風邪をひく。または雨の恵みに感謝する。

一粒の水滴の物語にも思いを馳せる。海たとえば地中海、山たとえばロッキー山脈、川たとえばナイル川、街たとえばリオデジャネイロ…。米国西部の雲になり、あるいは豪州北部に雨を降らせ、太平洋に還って行く物語。巡り巡って僕らの飲み水となり、血液となり、涙となる物語。

そう捉えると、今降る雨は、もしかしたら以前僕の一部だったのかも知れない。クレオパトラの一部だったかも知れない。でも小沢一郎とかのだったら嫌だなあ。

◇おしまい


2012年5月31日木曜日

超「実存主義」講座(サルトル記・中)


日本では大阪帝国大学が設立され、米国では「星条旗」が国歌に採用され、ロシアではその後初代ロシア大統領になるエリツィンが生まれたころ。1931年。フランスのサルトルは、高等中学校の哲学科教師になった。けれどそのまま教師生涯を続けたわけではなかった。というのも、ベルリン留学をすることにしたからだ。

ベルリン留学は1933年からの1934年にかけて。サルトルは本場ドイツで「現象学」を学んだ。というのも、「精神現象学」を書いた哲学者ヘーゲル(1770-1831)も、ドイツの人。現象学的解釈で「存在論」を展開したハイデッガーもドイツの人だ。サルトルはベルリンで、フッサール(1859-1938)を師匠とした。このフッサールから、哲学者サルトルが生まれ、ハイデッガーが生まれ、メルロー・ポンティが生まれた。

ちなみにハイデッガーは、「実存主義」に大きな影響を与えていて、もしかしたらサルトルよりも哲学者・思想家としてキーパーソンかも知れない人物と言える。なのでいずれ、あまり質が良くない当ブログ「哲学タイムズ」でも、ハイデッガーは取り上げていきたいと思ったりしている。いつものように、“思うだけ”で終わるかもだけど。

フッサールは、あらゆるものを現象そのもので把握、記述するスタイルでの「世界把握」を開拓していった。つまり先入観よりも、目の前にある現象を感じている直観を重視した。そこに「週刊少年ジャンプ」があったとして、そこに漫画本がある、絶対的に存在するかは分からない。と考えた。そこに絶対的にあるかどうか、ということよりも、その物体や概念を直観したことの絶対性を認めることが大切だとしたのだ。多分。

仮にそういった認識が全てとするならば、現在多くの高齢者を悩ませる認知症や、薬物中毒者の幻覚などを考えると、「ちょっと待った」的な部分、より深遠な哲学的世界が広がりそうだけれど、ここでは「現象学」についてはあまり触れないでおこっかなぁ。サルトルさんのお話です。

そんな「現象学」の権威の学者を、サルトルは師匠とした。フッサールから大いに学び帰国したサルトルは、2005年に世界遺産に登録された街、ル・アーヴルで再び教師になった。今度は大学教師。ル・アーヴルはあのノルマンディーがある街だ。この街で教鞭をとりながら、1938年、サルトルは小説「嘔吐」を出版。一躍有名人となった。

小説「嘔吐」はサルトルの代表作。ル・アーヴルに似た街で、ある絶望した研究者が、吐き気を覚えている。その理由は、彼を取り巻く事物や境遇が、「自我を定義する能力や理性的・精神的な自由を侵している!」との確信してしまったため。そんな小説が、実存主義における聖典の1つとして人気を博した。

ちなみに1964年、サルトルはこの作品が評価され、「ノーベル文学賞」受賞が決定された。が、サルトルはそれを辞退している。なにせ彼にとっては、「ノーベル賞は資産家層によって作られた儀式に過ぎない」からだった。僕がサルトル好きなのは、こんなところにもある。

◇つづく



2012年5月29日火曜日

なぜ僕は哲学を学ぶのか?考。




僕は社会人になって、もう一回大学生をすることにした。慶応義塾大学の文学部。哲学を学ぼうと、昨年2011年に入学、今年で2年目になる。僕が慶応義塾からどれほど知識を得ているかはさて置き、再び「大学生」となることで「哲学を学ぶ」「哲学を究める」というモチベーション維持には、大きく役立っている。

「学生」のご身分でメリットは多々あるにせよ、「そんなモチベーションのためだけに学費を納めるのは勿体ない」という人はいるだろう。そもそも「学生」の身分にならなければモチベーションを保てない程度なら、「学習・研究意欲がない証拠。だったら最初から止めてしまえ!」と言う人もいるかも知れない。いてもいい。

まあそれを言うなら、ロクに講義を聴かずにだらだら4年間大学に通うより、4年間毎日図書館に通って本を読み漁っているほうが、よっぽど教養的という気がする。人脈づくりや経験値向上、コミュニケーション能力醸成などは図書館では難しいけれど。ただし、そう毎日図書館に通って「ガクモン」できる人は、よっぽどアレな人だろう。

僕の場合、あっちの方面ではちょっとアレだけれど、そっち方面ではアレには至れなかった。アレじゃない人種にとっては、「学生」の区分に身を置くのは、結構アリだ。自己暗示にもかけられる。「おい!お前は学生なのだから、もっと必死になってガクモンしなさい」と自分を追い込めもできる。

アイデンティティをあえて、自由に、好きな枠組みに置く。それはできることとできないことがあるが、僕が再び学生という身分になることは、できた。もちろん学費が払えるという条件や、審査合格という条件、文字を読めたり書けたりする能力があるという条件など複合的な条件がクリアできたからではある。

だからインドネシアの農科大学に入学することは、僕にはできない。ロシアの宇宙飛行士になることも、僕にはできない。インドのバラモンになることも、僕には不可能だ。年齢的、言語能力的、人種的、宿命的なもの、あらゆる「的なもの」に縛られつつ、柵に囲われつつ、けれどもその中で僕なりに「僕が好きな身分」を求め、時にそれを得る。

求める、得る。聖書では「求めなさい。そうすれば、与えられる」とある。「探しなさい。そうすれば、見つかる」と続く。「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」。かつて中東で、イエスはそう説教した。

けれど、当然、求める。けれど得られない。そんなことはザラだ。1億円求めて宝くじを買う、当たらない。就活をする、けれど職が得られない。考える、けれど答えは得られない。イエスは「魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」とうまいことを言ったが、実際は蛇以下のものになることもしょっちゅうだ。

哲学は奥深い。僕の奥深い問いを、僕は「哲学」と呼んでいるのかも知れない。とにかく僕に限った話ではないけれど、「求める。そして得られるもの」。「求める。けれど得られないもの」。どっちもある。できればどっちも得られるなら得たい。得られなければ「得られなくて良かった」と思い込みたい。パラダイムシフトの欲求。

そんなわけで、僕は「哲学」を学ぶ。学び、神に問うことになる。“求める。けれど得られない。”ってことはどーなのよ?と。そこで「神学」になる。「哲学は神学の婢」ということわざ通りになる。ならないかも知れない。僕は最終的には、トマス・アクィナスのこの言葉と向き合うことになる。そんな予感はしている。

◇おしまい

2012年5月28日月曜日

疲れる、とは何か考。


なぜ疲れるのか。生きていれば、ずっと動いていれば当たり前とも思うが、ふと「僕たちはどうして疲れなければならないのだろう」とも思う。睡眠の話にも近い気もするけれど。

「疲労」についてはいろいろ言われている。“wikipedia”でだけど。“痛み”と“発熱”に並ぶ、生命維持装置に欠かせない「3大アラーム」だとか。脳が主体的な疲労のことを「中枢性疲労」、肉体的に由来する疲労のことを「末梢性疲労」というのだとか。

また「生理的疲労」と「病的疲労」に区別もでき、病的疲労には発熱や記憶障害も起こることもある。同じ疲労でも、男性は無口になり“活動停止状態”に陥りがちだが、女性の場合は逆に“動的”で、他人に八つ当たりしやすいなどとも言われているそうだ。

「疲労」についても様々なメカニズム、ルートがありそうだが、恐らくおおよそはこんな感じになると思う。「ストレス→神経・免疫・内分泌系の異常→ウイルス再活性化→サイトカイン産生異常→神経細胞機能異常→疲労感」。

ここに出てくる「サトカイン」とは、免疫システムの細胞から分泌されるタンパク質のこと。僕らを構成する細胞の、増殖や分化、死、治癒などに関係する重要な高分子化合物だ。ストレスを受けると、このサトカインの分泌がおかしくなる。結果、僕らはヘロヘロになる。あくまでも一つのルートだけれど。

そう考えると、一番始めの「ストレス」がなければいい、ということになる。では「ストレス」って何? となる。で、1935年に「ストレス」の言葉を生み出した、カナダ人生理学者・ハンスさんの定義を借りてみると、「体外から加えられた要求に対する身体の非特異的な反応」となる。

ハンスさんは、反応を引き起こす刺激を「ストレッサー」、刺激に対して反応し、歪みを起こした状態のことを「ストレス」と区別した。だから「ストレス=刺激=有害」というわけでは、この時点ではない。実際僕は、結構刺激を求めているし、それが快感だ。喜びにつながり、「ストレス解消」になっている。

ただ、刺激にも限度がある。物理的、精神的に。その限度、許容量は人それぞれと思う。孫悟空なら死なない刺激で、クリリンなら死んでしまうこともある。ということになると、僕らにはそれぞれ、それぞれに合った、適度な「刺激」が求められ、適応能力を超えれば「疲労」につながる、ということなんですね。とまとめにかかる。まとめられそうにないけれど。

あるいは認知の仕方も「疲労」「ストレス」と関係がありそうだ。ある人には快感と思えることは、別の人には苦痛でしかないこともよくある話しだし。であれば、「あらゆる苦痛も快楽に感じれる認知術」があれば、僕らはかなり幸福な日々を過ごせそう。まあそのために僕は個人的に“修業”をしているのだし。

ここで言う“修業”は、たとえば色んな価値観を吸収し、あらゆる物事の知識を仕入れること、あるいは……。とにかく「プラス思考」を目指すプロセスになる。

うんぬん。かんぬん。そして話は「癒し」、飲み会やマッサージ、お笑い鑑賞などといった“疲労回復”に飛ぶ。飛んで止める。長くなる。けれど「疲労」と「回復」は、哲学的命題としてイコールだ。きっと。

いずれにせよ、「疲労」を思考していることで、僕は疲労してきた。ふぅ。だったら最初からよせば良かったのにね! 結局何もまとめられずにいることも、また疲労感を増量させてくれています。と「疲労」を実感するためのプロセスでした。

◇おしまい